書きますよ~皆さんついてきてくださいね!
今日は弘子ちゃんのお誕生日だけど、朝から肝臓(脂肪肝の初期)の定期検査のため、神戸中央市民病院にでかけた。検査が終わり支払のためロビーで待機していると、朗報を告げる電話が入った。この3ヶ月掛かって取り組んでいた案件成立を告げる確認でんわです。さっそく、商大の20年は後輩のⅠ君に嬉しい報告を入れる。I君とは、今回初めての共同仲介でかなり苦労をかけた。誠にきめの細かい仕事ぶりで、感心するばかり。元銀行での経験をいかした手法が身に付いているんだ。今後に繋がる連携プレーで良い相棒になりそう。・・すると、弘子ちゃんの同級生からも電話が入り、今夜急遽お誕生会を明石でやってくれるとの申し出。せっかくのご厚意を無にするわけにはいかない。ついでに三宮駅に回りMINTで昼食。8階に中華の名店「神戸リーズガーデン」を見つけて舌鼓を打つ。このお店はMINTがオープンするまでは、六甲アイランドのホテルで営業していて、数度足を運んだことがあります。今回三宮に拠点を移したんだ。シェフの李さんがホールにまでお出ましで、丁寧なご挨拶を頂く。こちらのことなど覚えてもいまいが、お店移転の理由をきいてみると、もう年だし、六甲の大店で日に200-300人をこなすのに疲れたとか。この20坪のお店で気軽にご来店いただければとのコメント。むろん便利な三宮でこのぐらい丁寧にリーゾナブルに愉しめればこちらは大歓迎です。そのあとはSOGOに回って、長男の二男・良将への誕生祝いを贈る。
夜、嫁は出かけて、一人家にいると、8時過ぎに横浜の長男の2人の孫から、「おばあちゃん、お誕生日おめでとう、いくつになったの」電話が入る。不在を伝えて、携帯に電話するように頼む。ついでにおしゃべりを楽しむ。
3歳になる良将もかなり御話しできるようになりました。・・バーちゃんに電話してくれたかな。どうせ弘子ちゃんの帰宅は、いつものように午前様。ほんとあべこベ夫婦です。
夜、嫁は出かけて、一人家にいると、8時過ぎに横浜の長男の2人の孫から、「おばあちゃん、お誕生日おめでとう、いくつになったの」電話が入る。不在を伝えて、携帯に電話するように頼む。ついでにおしゃべりを楽しむ。
3歳になる良将もかなり御話しできるようになりました。・・バーちゃんに電話してくれたかな。どうせ弘子ちゃんの帰宅は、いつものように午前様。ほんとあべこベ夫婦です。
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79歳のY老夫人の今夜お通夜に出かけた。この話は生々し過ぎて実名を書くわけにはいかないだろう。
あれはいつのころだったか、東京に居たはずの、親父の長兄・清寿の息子・二人の兄弟が明石にやってきた。長男は東京工業大学卒の技術屋で、次男は明治大学在学中学徒動員され一式陸攻の通信兵で、特攻前夜空襲を受けて、搭乗予定の飛行機が破壊され、ために命拾いをした、特攻くずれ。それこそ戦後間もなく、食い詰めて明石の伯父さんを頼ってのことだった。四郎兄との相談の結果、長男は四郎兄が就職を斡旋し、次男は清志(おやじ)がさんよう喫茶を手伝わせるという手筈となった。次男Rのその時の様子は、小さなボストンバック一つを手に持っただけの姿で、そのとき着ていた上着も友達からの借り物だったとか。親父にすれば、10数年前、東京の長兄を頼った揚句、追い返された恨みはなかったのか、それでも肉親の情がそうさせたのか、店を手伝わせだした。Rは教養もあり、小柄ながら、一見ニヒルな色白二枚目であります。そのころの大学出か中退かは聞かなかったけれど、我々兄弟にとっては、良い兄貴分に思えて、よくまとわりついて話を聞いた覚えがあります。喫茶仕事も熱心で、たちまちコーヒーのブレンドも研究し「さんようブレンド」なるものも、親父と合作で作り上げていた。とくに絵画が好きで、筆をとるわけではないけれど、審美眼はかなりのもの。そのRの最大の欠点は酒好きなこと。それも並み大抵のものではありません。酔って暴れるというのでもありませんがなにしろ、飲み出すととめどが無い。顔は飲めば飲むほど青白くなる。お店のカウンターの中での仕事中に盗み酒をやらかして、あげくが突然ばったり昏倒することの繰り返し。それと女性にもてるらしく、あるとき、店の中で、親父とRが神妙な顔付きで話し込んでいた親子連れの娘さんのお腹が妙に膨らんでいたように覚えている。それでも親父は頼りにしていたんでしょう。明石で店を出した時から世話になっているN氏の奥さんの末妹との縁談が持ち上がり、N氏の興業関係で加古川で初めての駅前映画館ビルがオープンするに伴い、その2階にさんよう喫茶・加古川店を出店し、その店をR夫婦に任せることとなりました。その縁談の相手が今夜のお通夜のY婦人というわけ。そう昭和31年のことでした。
親父が血縁関係でお世話をした人は、10人は下らないが、このRにはN氏の関係からか、とことん尽くしあげたように思う。そのころの私の口癖は、「うちの親父は親にもつより、伯父さんに持つほうが上だね」であったほど。せっせせっせと加古川に通い詰めていた親父が、数年経って、N氏に言われて、現地で購入してこの夫婦を住まわせていた寺家町の家と、加古川店すべてをRにiゆずり渡したのが、昭和35-6年ではなっかたか。まあひと財産くれてやったわけだ。そのときの税務上取っていた金100万円の借用証が未だに手元に残っています。R氏も確か100万援助してやるとかで、泣く泣く無償譲渡したわけだ。これも浮世の義理なのか、なにを馬鹿なことをと思いながらもその後、R氏の贔屓で明石での出店が可能になったもとを考えると、仕方がなかったんでしょう。それほど親父はこのR氏には尽くしましたね。
ただ私がずっと持っている違和感は、このR夫婦のその後の行状にあります。加古川での夫婦のあり様はRの行状にやきもちをやいて、熱湯入りの薬缶をRのおでこめがけて投げつけたとか、生傷の絶える間がないような話が聞こえてくる。事実そうだったんでしょう。そうこうするうちに、N氏の奥さんとYとが相談のうえ、ちょうど明石の人丸前に売りに出ている、新築の商店を買って、お互い近くでいようとなったようだ。親父に相談もなく、加古川の家とお店の設備と暖簾を売り払ってしまった。そしてオープンした画廊喫茶が今年で開店43年となったらしい。Rは画廊喫茶のほかに、明石駅前のジャスコ店6階家具のアイ店で画廊・画材の店を出したりしていたが、これは赤字つづきでいたらしく、いつのまにかなくなっていました。なにしろ、そんな経緯からRは私たちの前には姿をほとんど見せないありさま。心底語り合うこともなく、親父にありがとうとの感謝の気持ちを持っているようにもかんじられなかった。・・・そのうち何時ごろだろうか、Rが酔っ払ってお風呂に入っていて、心臓麻痺で死んだとの知らせが来て、それでも葬式の世話を焼いていた親父のことを思い出す。爾来30年ほとんど交流もなく、私が困りに困って、100万の証文を見せて、何とかと頼み込んだ時も、門前払いの仕打ちだ。これほど尽くして尽くしがいのなかった奴は我知らずの境地。・・・そのことを喪主として並んでいる兄弟はどこまで知っているのやら。
たいがい恨み節は云わない私ですが、この件に関しては、とうとう胸のつかえが下りることなく、幕引きとなってしまった。
あれはいつのころだったか、東京に居たはずの、親父の長兄・清寿の息子・二人の兄弟が明石にやってきた。長男は東京工業大学卒の技術屋で、次男は明治大学在学中学徒動員され一式陸攻の通信兵で、特攻前夜空襲を受けて、搭乗予定の飛行機が破壊され、ために命拾いをした、特攻くずれ。それこそ戦後間もなく、食い詰めて明石の伯父さんを頼ってのことだった。四郎兄との相談の結果、長男は四郎兄が就職を斡旋し、次男は清志(おやじ)がさんよう喫茶を手伝わせるという手筈となった。次男Rのその時の様子は、小さなボストンバック一つを手に持っただけの姿で、そのとき着ていた上着も友達からの借り物だったとか。親父にすれば、10数年前、東京の長兄を頼った揚句、追い返された恨みはなかったのか、それでも肉親の情がそうさせたのか、店を手伝わせだした。Rは教養もあり、小柄ながら、一見ニヒルな色白二枚目であります。そのころの大学出か中退かは聞かなかったけれど、我々兄弟にとっては、良い兄貴分に思えて、よくまとわりついて話を聞いた覚えがあります。喫茶仕事も熱心で、たちまちコーヒーのブレンドも研究し「さんようブレンド」なるものも、親父と合作で作り上げていた。とくに絵画が好きで、筆をとるわけではないけれど、審美眼はかなりのもの。そのRの最大の欠点は酒好きなこと。それも並み大抵のものではありません。酔って暴れるというのでもありませんがなにしろ、飲み出すととめどが無い。顔は飲めば飲むほど青白くなる。お店のカウンターの中での仕事中に盗み酒をやらかして、あげくが突然ばったり昏倒することの繰り返し。それと女性にもてるらしく、あるとき、店の中で、親父とRが神妙な顔付きで話し込んでいた親子連れの娘さんのお腹が妙に膨らんでいたように覚えている。それでも親父は頼りにしていたんでしょう。明石で店を出した時から世話になっているN氏の奥さんの末妹との縁談が持ち上がり、N氏の興業関係で加古川で初めての駅前映画館ビルがオープンするに伴い、その2階にさんよう喫茶・加古川店を出店し、その店をR夫婦に任せることとなりました。その縁談の相手が今夜のお通夜のY婦人というわけ。そう昭和31年のことでした。
親父が血縁関係でお世話をした人は、10人は下らないが、このRにはN氏の関係からか、とことん尽くしあげたように思う。そのころの私の口癖は、「うちの親父は親にもつより、伯父さんに持つほうが上だね」であったほど。せっせせっせと加古川に通い詰めていた親父が、数年経って、N氏に言われて、現地で購入してこの夫婦を住まわせていた寺家町の家と、加古川店すべてをRにiゆずり渡したのが、昭和35-6年ではなっかたか。まあひと財産くれてやったわけだ。そのときの税務上取っていた金100万円の借用証が未だに手元に残っています。R氏も確か100万援助してやるとかで、泣く泣く無償譲渡したわけだ。これも浮世の義理なのか、なにを馬鹿なことをと思いながらもその後、R氏の贔屓で明石での出店が可能になったもとを考えると、仕方がなかったんでしょう。それほど親父はこのR氏には尽くしましたね。
ただ私がずっと持っている違和感は、このR夫婦のその後の行状にあります。加古川での夫婦のあり様はRの行状にやきもちをやいて、熱湯入りの薬缶をRのおでこめがけて投げつけたとか、生傷の絶える間がないような話が聞こえてくる。事実そうだったんでしょう。そうこうするうちに、N氏の奥さんとYとが相談のうえ、ちょうど明石の人丸前に売りに出ている、新築の商店を買って、お互い近くでいようとなったようだ。親父に相談もなく、加古川の家とお店の設備と暖簾を売り払ってしまった。そしてオープンした画廊喫茶が今年で開店43年となったらしい。Rは画廊喫茶のほかに、明石駅前のジャスコ店6階家具のアイ店で画廊・画材の店を出したりしていたが、これは赤字つづきでいたらしく、いつのまにかなくなっていました。なにしろ、そんな経緯からRは私たちの前には姿をほとんど見せないありさま。心底語り合うこともなく、親父にありがとうとの感謝の気持ちを持っているようにもかんじられなかった。・・・そのうち何時ごろだろうか、Rが酔っ払ってお風呂に入っていて、心臓麻痺で死んだとの知らせが来て、それでも葬式の世話を焼いていた親父のことを思い出す。爾来30年ほとんど交流もなく、私が困りに困って、100万の証文を見せて、何とかと頼み込んだ時も、門前払いの仕打ちだ。これほど尽くして尽くしがいのなかった奴は我知らずの境地。・・・そのことを喪主として並んでいる兄弟はどこまで知っているのやら。
たいがい恨み節は云わない私ですが、この件に関しては、とうとう胸のつかえが下りることなく、幕引きとなってしまった。
昔を振り返つてみると、千尋の谷に懸かったか細いつり橋とは知らず、霧の中渡り終えて振り返って見れば、霧の晴れ間から遥かな谷底が垣間見えたような人生もやっとカウントダウンに時期に突入した今日この頃。
しかし日々の生活の糧を稼がねばならない状況に変わりは無い。
考えてみれば、時々刻々変わり行く不動産動向をリアルタイムに書き記しておくのも大事なこと。自分の状況認識が果たして正しかったかどうか、後々判定するためのデータとなるわけだ。
現在、平成20年7月の時点で聞こえてくるのは、業界がまるであのバブル崩壊後と同じ、あるいはそれ以上の惨憺たる様相を呈してきたという認識であります。とくにファンドとやらの、つい最近までの勢いはまったく影を潜め、ゼファーの倒産は、この前の悪夢再来を実感させるに十分な衝撃となった。
こうなれば、BKの融資は厳格審査となり、平時であればなんの問題も無い融資さえ、「上がそう言っておりまして」の台詞で断ち切られてしまう。上つて一体誰のことなんだ。このやり口は商工ローン、街金と同じで、私も散々いたぶられたもんでした。考えてみれば、サブプライムと名がついていれば、与信上正直に申告しているわけで、無理があることをカタカナ文字で誤魔化され、高度な収益計算と称して、危険の種を世界中のファンドにばらまいたからショウガナイ。なにが真ともで、どれがババなのかさえ分からなくなった、というより端から、分からないようにした魂胆が丸見え。日本人の悪い癖は、すぐ猫も杓子も雪崩を打って同じ方向に走り出したら止まらないならまだましで、すこしの躓きを大げさに事上げして、今度は反対の方向へまたまた爆走をはじめる。
それこそ商売は人と同じ方を見ていたのでは商機を捉えることなどできるわけが無いし、損はもれなく付いてくる。神戸市中央区にある建設予定の複合商業施設「神戸ミッドポート」にも異変が起きている。新聞が報道するころは、すでに案件を巡ってすったもんだももう終盤で、大勢はほぼ決しているに違いはないと見ていい。
そのような表舞台のどんでん返しも見ている分にはあもしろいが、面白がっていては一文にもならない。
かくなれば、白熊の食い遺した腐肉といっても十分美味しい案件を寄ってタカって処理する我々の出番がやってくるというもの。景気の良いときは、案件をもちまわり、十分融資もいたしますというBKに勝てるわけが無い。
しかし、BKも一端風向きが変わると、融資なしの仲介など日ごろやり慣れないことから、動きがとれなくなってしまう。
このような情勢のなか、よくよく探せば、これをチャンスと捉え、ひごろ温存していた豊富な資金を投入を模索している企業も固有名詞であるとの情報を聞いた。その名前から、さもあろうと頷づいたことです。
あるいは、企業の体質改善のため、積極的には売りとはいわないが、確実・堅実な買い手と予算をぶつければ
極々秘密裏にそこそこの物件が動いてゆく。ただ勝ちをあせって我々仲介方から話をぶち壊すことだけは避けないと。ある程度時間をかけて気長くとりくまないと、出来る話も出来なくなる。そんな状況を耐えて、同時に緊張をたもっていくのはかなり難しい芸当でもある。私が特に最近このブログに力入るのも実はそういう事情があるからです。・・・本当にじれったいつたりゃありゃしない。
しかし日々の生活の糧を稼がねばならない状況に変わりは無い。
考えてみれば、時々刻々変わり行く不動産動向をリアルタイムに書き記しておくのも大事なこと。自分の状況認識が果たして正しかったかどうか、後々判定するためのデータとなるわけだ。
現在、平成20年7月の時点で聞こえてくるのは、業界がまるであのバブル崩壊後と同じ、あるいはそれ以上の惨憺たる様相を呈してきたという認識であります。とくにファンドとやらの、つい最近までの勢いはまったく影を潜め、ゼファーの倒産は、この前の悪夢再来を実感させるに十分な衝撃となった。
こうなれば、BKの融資は厳格審査となり、平時であればなんの問題も無い融資さえ、「上がそう言っておりまして」の台詞で断ち切られてしまう。上つて一体誰のことなんだ。このやり口は商工ローン、街金と同じで、私も散々いたぶられたもんでした。考えてみれば、サブプライムと名がついていれば、与信上正直に申告しているわけで、無理があることをカタカナ文字で誤魔化され、高度な収益計算と称して、危険の種を世界中のファンドにばらまいたからショウガナイ。なにが真ともで、どれがババなのかさえ分からなくなった、というより端から、分からないようにした魂胆が丸見え。日本人の悪い癖は、すぐ猫も杓子も雪崩を打って同じ方向に走り出したら止まらないならまだましで、すこしの躓きを大げさに事上げして、今度は反対の方向へまたまた爆走をはじめる。
それこそ商売は人と同じ方を見ていたのでは商機を捉えることなどできるわけが無いし、損はもれなく付いてくる。神戸市中央区にある建設予定の複合商業施設「神戸ミッドポート」にも異変が起きている。新聞が報道するころは、すでに案件を巡ってすったもんだももう終盤で、大勢はほぼ決しているに違いはないと見ていい。
そのような表舞台のどんでん返しも見ている分にはあもしろいが、面白がっていては一文にもならない。
かくなれば、白熊の食い遺した腐肉といっても十分美味しい案件を寄ってタカって処理する我々の出番がやってくるというもの。景気の良いときは、案件をもちまわり、十分融資もいたしますというBKに勝てるわけが無い。
しかし、BKも一端風向きが変わると、融資なしの仲介など日ごろやり慣れないことから、動きがとれなくなってしまう。
このような情勢のなか、よくよく探せば、これをチャンスと捉え、ひごろ温存していた豊富な資金を投入を模索している企業も固有名詞であるとの情報を聞いた。その名前から、さもあろうと頷づいたことです。
あるいは、企業の体質改善のため、積極的には売りとはいわないが、確実・堅実な買い手と予算をぶつければ
極々秘密裏にそこそこの物件が動いてゆく。ただ勝ちをあせって我々仲介方から話をぶち壊すことだけは避けないと。ある程度時間をかけて気長くとりくまないと、出来る話も出来なくなる。そんな状況を耐えて、同時に緊張をたもっていくのはかなり難しい芸当でもある。私が特に最近このブログに力入るのも実はそういう事情があるからです。・・・本当にじれったいつたりゃありゃしない。
*一葉抜かしておりました。第141回 昭和36年10月1日の案内状をSCANー縮小アップ・ロードしました。
昭和36年といえば、戦後はや満15年を経て、社会は落ち着きを取り戻し、夫々の家庭においても、昭和の良き
時代の気風を取り戻し、大学を目指す連中も親の期待を一身に背負い、将来を賭けての熾烈な戦いを当然のこととしておりました。事実大学進学率は10%の世界でした。私のように、絶望感とかなんとか言ってる暇は無いのが本当のところです。そんななか2年もの浪人を耐えてくれた両親に今更ながら感謝しています。
《18才の暗黒感》
目を閉じる
暗闇 それも何かしら物の幻影が白い光となってぼんやり浮かび上がって見える暗闇。
決して真の暗闇ではない。(それは)生きている者が見る暗闇。いや持っている暗闇だ。
絶望の中にあっても何かに望みを見出したいという。
私はまだ死者の暗闇の何たるかを知らない。永遠に知りたくない。
そして明日にも知るはめになるかも知れない自分が恐ろしい。
しかし、死者の持つ暗闇が死者に感じることの(できる)暗闇であるとしたら。
あるという事が今のうちにわかったら。太陽の光は暗闇を暗闇でなくしてしまうだろう。
(こんな風に深刻がるのも秋の夜長に聞く虫の声が私の心の琴線に共鳴しているから。)
*相当落ち込んでいます。っこんな文を読んで親父はどう思っていたのかな。2浪目の7月さんよう喫茶の姉妹店として喫茶リオ・ブラジルをオープンしたのだが、これは多分に、私の逃げ場を用意してくれたものではなかったかな。オープンした店に懸かりっきりで働いていた私を見兼ねて、田口建材の田口社長様から、懇々と説教されたのも、今は懐かしい。
第144回さんようクラッシック・レコード・コンサート
昭和36年11月19日
明石デパート4階中集会室 PM6:30-8:30
自分の能力の限界を痛切に思い知らされた時
『平々凡々たる無能な自分には
努力しようとあせればあせるほど
自分の新境地を開こうと
自分の心を分析して行けば行くほど・・・
・・一時的に心が明るくなることはあっても
その実は虚無である。自分を愛しむ余り
徹底して自分を誤魔化し切れないでいる・・
その結果は重々しい鎖となって、
「敗北感」「無力感」という杭に心を縛り付けることになる』
そんな時、我知らず流す涙、この涙は何を言っているのだろう。
「涙は悲しみのものいわぬ言葉」と片付けて良いのだろうか。
「諦めの涙」と考えて自分まで諦め突き放して良いものだろうか。
これも若人が持つ疑問の一つ
*この文はどうやら私が書いたものでしょう。それにしても随分と浪人が堪えております。関学の商学部合格していたんだから、行けばいいのに、変に神戸商大に拘って、一年浪人する道を選んだのはいいが、この時期ほとんど勉強には手が付かず、毎晩徹夜で、日本文学全集を読み続けておりました。完全な現実逃避の典型的症状であります。
浪人を決めて受けた予備校・天下の大道学園の試験に落ちた。関学より予備校のほうは難しいんだ。慌てて、忘れもしません、兵庫日産自動車・中巻社長に親父が頼み込んで、大道英昌園長にお願いしてもらって、再受験してやっとのこと入れて貰ったのに。夏休みに入る前には、今で言う登校拒否状態。家では勉強が出来ないなど、難癖を付けて、上の丸の一軒家を一月ほど借ってもらつたり、散々無理ばかり言ったあげくが、まさにこの文の如き有様と成り果てた。
たかが、大学入試に失敗したぐらいで、身も世もあらぬ苦しみ様。とりあえず、一年せっせと勉学に励みさえすれば結果は付いてくる。そんなことも分からず、悩み苦しむポーズだけは一人前。今おもってもやたら恥ずかしいかぎりです。・・そんな時も、さんようレコードコンサートの手伝いは欠かさず続けておりましたとさ。
昭和36年11月19日
明石デパート4階中集会室 PM6:30-8:30
自分の能力の限界を痛切に思い知らされた時
『平々凡々たる無能な自分には
努力しようとあせればあせるほど
自分の新境地を開こうと
自分の心を分析して行けば行くほど・・・
・・一時的に心が明るくなることはあっても
その実は虚無である。自分を愛しむ余り
徹底して自分を誤魔化し切れないでいる・・
その結果は重々しい鎖となって、
「敗北感」「無力感」という杭に心を縛り付けることになる』
そんな時、我知らず流す涙、この涙は何を言っているのだろう。
「涙は悲しみのものいわぬ言葉」と片付けて良いのだろうか。
「諦めの涙」と考えて自分まで諦め突き放して良いものだろうか。
これも若人が持つ疑問の一つ
*この文はどうやら私が書いたものでしょう。それにしても随分と浪人が堪えております。関学の商学部合格していたんだから、行けばいいのに、変に神戸商大に拘って、一年浪人する道を選んだのはいいが、この時期ほとんど勉強には手が付かず、毎晩徹夜で、日本文学全集を読み続けておりました。完全な現実逃避の典型的症状であります。
浪人を決めて受けた予備校・天下の大道学園の試験に落ちた。関学より予備校のほうは難しいんだ。慌てて、忘れもしません、兵庫日産自動車・中巻社長に親父が頼み込んで、大道英昌園長にお願いしてもらって、再受験してやっとのこと入れて貰ったのに。夏休みに入る前には、今で言う登校拒否状態。家では勉強が出来ないなど、難癖を付けて、上の丸の一軒家を一月ほど借ってもらつたり、散々無理ばかり言ったあげくが、まさにこの文の如き有様と成り果てた。
たかが、大学入試に失敗したぐらいで、身も世もあらぬ苦しみ様。とりあえず、一年せっせと勉学に励みさえすれば結果は付いてくる。そんなことも分からず、悩み苦しむポーズだけは一人前。今おもってもやたら恥ずかしいかぎりです。・・そんな時も、さんようレコードコンサートの手伝いは欠かさず続けておりましたとさ。
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企業向不動産仲介・企業立地
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ふるさと高知と龍馬をこよなく愛し、元気に活動中。
永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)
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