忍者ブログ
書きますよ~皆さんついてきてくださいね!
[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6
腹膜に広がっている癌細胞が動き出せばがん性腹膜炎を起こし、腹水がどんどん溜まることになる。
当時、癌患者を抱える家族の最後の頼みはいわゆる丸山ワクチンではなかったか。
肺病患者に癌が発生しないことに気がついた丸山ドクターが編み出したワクチン療法であります。
これの難点は、有効な患者とまるで効かない患者とはっきり効果がわかれること。症例報告では、著しく改善されたものもあると喧伝されれば、もしかして我が親にもとすがるのは人情です。
昭和58年8月15日のワクチン問い合わせのメモが残っています。18日に東京都文京区千駄ヶ谷の日本医科大学附属病院皮膚科を尋ねることになる。
8月26日の院長回診で明日退院して宜しいとの許可が出た。その時の親父の嬉しそうな顔と言ったら。
この一年見たこともない良い笑顔を見せた。
もちろん、丸山ワクチンを打つことは、本人には知らせられない。術後、コバルト照射が無かったことから、どうやら胃がんではなかったらしいと母に漏らしていた。
そこで、退院後、もとの松浦内科に戻り、そこで栄養剤とか何とか言って丸山ワクチンをうってもらうことになった。
それでもえらいもので、術後体は本来の自然治癒力を発揮して、めきめき元気になってゆく。食欲も出てきて
医院の帰りに少し歩いてみたりする。
このままの状態が続いてくれればいいんだが。気休めの丸山ワクチンが効いているようには思えない。
img215A.jpg

















PR
診断の結果、早急に手術すべしとなったが、がんセンターのベッドの空きがなくて即入院とはいかない。
そこで啓三の付属中の同級生で、今は県の参事となっている神田君に頼みこんで入院の便宜を図ってもらうよう依頼した。そのかい有ってか、7月16日になって、18日入院と決まった。
18日の入院の朝、家族皆に見送られ家を出発。親父はかなり神経の高ぶりが見られた。
がんセンターの病室は思ったより広く、清潔で、すこし気持も落ち着いた。
このあと、22日最終診断。26日1時からの手術と決定。
26日の手術日には、土佐からも兄弟が駆けつけ、手術室まえには16人が心配で声も無い。
今、手元に2冊のノートが残っている。1冊は6月27日から始まる私の備忘録。そしてもう一冊は入院の7月18日から始まる親父の闘病記。
両方を読めば、思わず当時のせっぱつまった気持が蘇り、果たして私の取った処置が正しかったのかどうか思い悩むこともあります。あれほど苦しい手術を受けさしたのは、間違いでなかったのか。むしろ死を早めたのではなかったか。・・しかしなんといっても、嚥下障害があれば栄養不良で命は持たない。今のように遺漏で栄養補給が十分出来るレベルにはまだ至ってはいなかった。
経過、親父の感想など詳しくはとても書けない。
ただ言えることは、たいがい胃がんの患者のことには詳しいはずの親父が、我々が糜爛性の胃潰瘍だという言葉に疑いを示さなかったこと。闘病記には、自分の苦しさよりも、私ばかりに重荷を背負わすことになったすまなさを気遣う言葉ばかり。はやく人生2度目の大病を克服して現場復帰を願う思いが書いてあります。
入院以来、俺の病気のことは伸一に聞いてくれとすべてを任せてくれたのは、うすうす重大な病状を察知して
のことだったかも知れない。
手術の結果、望月主治医から腹膜への移転があり、よく持って4-6ヶ月の余命との説明があった。
このことは、私と啓三・弘子・妹の旦那の芳男の4人のみに知らせ、ほかの家族には手術成功と報告した。
img208A.jpg









































確か、昭和58年6月初旬、事務の楠田さんが、マスター(親父のこと)どこか具合が悪いのではと聞いてきた。
寝耳に水の感じで、どうしてそう思うのかと問うてみると、親父の姉(高知で産婆をしている)に電話をしているのを聞くとはなしに聞いてみると、水や食物が飲み込みにくくて困っているとの相談をしていたと言う。
弘子にも食事の様子を検めて聞いてみるに、時々、食道にものがつまるのか、じっと下を向いて辛抱していることがあると言う。これは大変と伯母に電話をしてみると、どうやら嚥下障害をおこしているのに間違いない。
なにを辛抱しているのと、叱り飛ばして松浦内科に連れて行ったのが6月27日。ただちに28日田路放射線科でレントゲン撮影した結果が立派な胃がんとの見立て。同日松浦内科よりがんセンターへ紹介状を書いてもらい、30日啓三が付き添ってがんセンターへ行き入江病院長の診察をうけた。
7月1日、胃カメラ。外科へ直ちに回され後藤副院長診察。大至急手術との診断が出た。
かなり深刻な嚥下障害を起こしていることから、食道癌か胃の上部にできたがんが胃の入り口を狭めての嚥下障害が考えられる。それにしても、すでに手遅れなのは間違いない。
以前、10年も前に、ライオンズの健康診断で、佐久川医師によるレントゲン診断があって、その際、胃のあたりが怪しいとなって、精密検査の必要を迫られた時、知り合いの永田医師に頼んだ再検査で、心配なかろうと安請け合いされて、それ以上の検査をせずに放置していた経緯がある。
この佐久川医師はレントゲン写真を見る達人で、この時、もっと突き詰めた、専門医による診察をうけるべきだった。その佐久川医師も親父より早くに、同じく胃がんで亡くなった。
ことは重大であります。なにしろ親子二人三脚で進めてきた商売の相方が倒れるとなると。それも信用の基の親父の身に何かあれば、すべてが崩壊するのは時間の問題である。
そのことは親父も鋭く感じていたらしく、入院する日から何をするかと思うと、それまで一手に引き受けていた経理処理のための手引きを懸命に書き出した。題して経理処理解説「BIBLE」とあった。
img205A.JPG

思えばこの昭和56年のW-ビアガーデンオープン、そして昭和57年の頃が一番の最盛期だった。売上も全店で3億近くあって、すべてが順調に推移していくかに思えた。昭和56年の11月からは1年間明石人丸ライオンズクラブの幹事を務め、アンサンブルコンテスト第1回を昭和57年2月20日に開いている。翌昭和57年7月1日にはライオンズ国際協会335-A地区キャビネット運営委員に就任。年次大会をポートアイランド国際展示場で3000人あまりを集めて開催した際には、司会者として無事会を取り仕切る。
おまけにこの年の10月末、明石ジャスコ8階の残り半分を展示場として使っていた家具の加古屋が閉店・撤退となって、Kビル、N社長からまたまた何かアイデアはないかと聞かれて、ちょうど息子たちが中学受験の最中だったことと、教室をホールとして使えるようにしておけば、GOODTIME  CIRCUS の集客にも役立つと踏んで、学習塾などどうでしょうと提案したところが、早速OKとなって、6000万の資金まで用意された。
結局は学習塾よりは中学・高校・浪人対象の明石予備校を開校することになってしまった。メクラ蛇に怖じず、
まあなんてことをしてしまったものか。
教室への内装工事は早々と、12月1日に完成、早速新年パーティーの会場に流用したのは勿論です。
姫路・淳心の副校長を校長に迎え、自身は理事長に納まった入学案内が今に残っています。
今読んでも冷や汗ものの挨拶が記載されています。その当時は本気で大真面目もいいところ。川村君という明石高校OBの後輩の操られて踊っておりました。
結果、二男が見事白陵中学合格を果たした。これには親父の喜ぶまいことか。
開校PRの進学講演会を市民会館中ホールで開催したりして、4月開校となった。
img203A.jpgimg204A.jpg


























昨日、私が大学卒業して3年程勤めた株式会社入江商店時代、神戸製鋼大久保工場の購買係長をしておられてお世話になったT氏から呼び出しがあった。御子息が収益マンション販売の押し付け営業にあって迷惑しているから助けてくれとの依頼だった。
ことは、3日ほどまえから始まって、KホームのSと名乗る営業マンから、まず職場に電話が掛ってきて、収益マンションを買わないかとの勧誘。これはよくあることで、大概が要りませんと宣すれば、それ以上シツコクは言ってこない。ところが、このSは違った。翌日も職場に電話が掛かり、職場には電話はこまると告げると、こんどは家の電話を教えろという。このご子息も見るからに気の弱そうな御仁で、営業マンも電話の話しぶりで、押せば何とかなると踏んだんだ。
職場に気兼ねして、家の電話を言ったもんだから、翌日は家へジャンジャン電話を掛けてくる。
それも夜9時から11時過ぎまで、切っても切ってもかけてきたらしい。
結局、近所の喫茶店で直接会って断固断ろうとなって、明日1時、伸ちゃん立ち会ってくれないかというわけ。
宅建業法でも、そんな執拗な営業は禁じているし、サラ金も遠慮する9時ー11時の電話なんて考えられない。
どんな奴が出てくるのか興味もあって同行を承知した。
先に私が喫茶にい入って昼食をすました頃、資料鞄を抱えた営業マンとご子息が入ってきた。
御子息は着席と同時に、そんな話には興味も関心もないから、説明などする必要もないと告げているにも」拘わらず、鞄を広げて説明用の資料を出そうとする。おもわず、歩み寄って、「あんた、ほんとしつこいな。」と声をかけた。一瞬ギクリとした表情をしたが、瞬間立ち直ってどちらさんですかと自分の名刺を差し出す。
かまわず、たいがい執拗な電話に迷惑しているんだ、あんたがその電話の主かと問い詰めると、私は今日説明のためだけに、わざわざ東京からやってきているもので、そんな事情は預かり知らぬとトボケル。
役割分担なのか、その男がSの名前で電話をして来ていたのか。あとでご子息はどうも同一人物に思えると言う。
そこで私とその男がもみ合いになって、表に出ろとなった。喫茶のお姉さんも、もめ事は表でやってと迷惑顔。
そのまま表に出て、ご子息には110番しろと声をかける。手筈どうり110番を済ませながら、なんでここまでシツコイ営業をするの。振り込め詐欺の新手かいなと決めつけていると、ポリさんが3人やってきた。
こちらの事情をはなして迷惑行為で排除してくれと申し入れる。奴さんはあくまで、担当の営業マンから物件の説明をしてくれと頼まれてやってきただけと、新幹線の切符まで出して抗弁する。堂に入ったもので。
そのうえ、こんな失礼な応対はない一言謝れとまで言い出す始末。まあうまく言い逃れも考えている。
この手の押し付けが有るとは聞いていたが、実際実物を目にするのは初めてだ。無作為に電話した相手の対応次第で、つけこんで高額物件を収益物件と称して売りつける。こんなので無理やり買わされる人もいるもんだ。商談が上手くいかないときは、せっかく東京から来てるんだから、誠意を見せろぐらいに居直って経費を請求でもするんだろう。我が方の強硬な態度に諦めたのか、出した名刺を返してくれと言いだした。
ポリさんも民事不介入でもなかろうが、こんな見え見えの手口どうにかならないのとの問にも頭をかしげる。
あとで、名刺に記してあった会社名を検索すると立派なHPが出てきた。
こんな会社がこうまでしないといけないくらい追い詰められているのか、あるいは普通の会社を装うHPなのか
分からないが、随分と乱暴なことにまで業界の雰囲気は荒れているんじゃないのかな。
警察の対応には不満が残ったが、1時間半ほどのグズグズでお互い今後拘わらないことにして別れた。
原因ははっきり断らなかったことにもあるんですよと、今後の注意をしてT宅を後にした。
こんなことが、日本中のあちこちで起こっているに違いない。振り込み詐欺以上の被害が出ているんではないのかな。・・・まさに平成幕末の感あり。
[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6
カレンダー
01 2009/02 03
S M T W T F S
17 21
26 27
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
[05/16 Backlinks]
[04/23 cheap auto insurance in california]
[03/19 気になるね]
[02/12 私だ]
[01/23 Prope]
プロフィール
HN:
つのしん
性別:
男性
職業:
企業向不動産仲介・企業立地
趣味:
ボランティア活動
自己紹介:
ふるさと高知と龍馬をこよなく愛し、元気に活動中。
永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)
バーコード
ブログ内検索
カウンター

Copyright © 『つのしんの独り言』 All Rights Reserved

Template by ゆうじ

ブログ [PR]ウィルス対策 保険