宅急便ですの声が聞こえた。山形さくらんぼが届いた。三男が父の日のプレゼントとして贈ってくれたんだ。
サクランボが熟すまで待ってのこと。先ほど美味しく頂いた。
届いたのがお昼前、そうとなれば早速お礼を兼ねて先日から気になっていた孫授かりの玉の緒地蔵さんをお参りにゆくことにした。
事は何時も急に展開する。なにしろこの一週間不気味なほど私が関係する範囲の業界は静かなもの。
6月末の決算報告・総会が済まないと企業立地は動かない。
7月になると縣案の案件の結論が出てくる。運命の一瞬だ。その為にも玉の緒神社にご利益のお参りだ。
加古川消防・志方分署の前の細道の奥にお地蔵さんはいますとの新聞記事だけを頼りに出発。
志方分署は思ってより辺鄙な場所にあって、そこに辿り着くのに一苦労。この志方には加古川牛を求めてたびたび来ていて土地勘があると思っていたのが裏目にでたんだ。
やっと探し当てた玉の緒地蔵尊は人々の切なる願いと成就の喜びが満ち満ちたオーラ漂う霊気を感じる。
早速孫授かりを地蔵さまに祈願して、商売繁盛は玉の緒神社にお願いする。
玉の緒神社はこの土地がら有名なお肉やさんから日本を代表するハムメーカーの寄進の石柱が並ぶ玉垣。
そして驚かされたのは、あの三島由紀夫の慰霊の碑が同じ境内に安置されていたことだ。
右隣には市ヶ谷の自衛隊本部で割腹自殺した際の檄文が看板に大書してある。坂井時忠兵庫県知事の揮毫。三島は本名・平岡公威、父は平岡梓で水産局局長とある。本籍が志方・上富木。
意外な碑を見つけて今検索してみると、確かに三島の父方は志方出身で生涯で2度この地を三島は訪れている。一度は徴兵検査、そして墓参り。
6月24日NHK神戸文化センターでの講座『坂本龍馬伝』-その時名もなき若者は「龍」になったーを拝聴。
この講座は4月から3回完結で今回が最終回となる。
前2回はいろいろと所用が重なり欠席し、今回が最初で最後となった。
もちろん講座を聞くことが目的ですが、本心はこの講座の講師・木村幸比古先生にお目にかかり、「龍馬さんへの手紙」への協力と、この先生の承認を頂くことで、この事業がほぼ公知のものとなるという目論見からであります。
木村先生は京都護国霊山神社そばにある霊山歴史館の学芸課長として長年研究を重ね、幕末維新の歴史研究の第一人者です。
もっとも霊山神社の神主さんのご子息であれば当然と思っていましたが、お聞きしますとこの歴史館を立ち上げられた松下幸之助氏に直接交渉して縁故で採用となった押しかけ学芸員だったとか。
京都護国霊山神社は明治元年、明治天皇直栽により設置された招魂社で幕末維新に散った数多の御霊を安んずべく設けられたもので、靖国神社よりずっと歴史ある神社であります。
敗戦等のなかで今日に至っておりますが、今や龍馬・慎太郎の墓所として有名となり、11月15日の墓前祭には8000人からのお参りがあるとか。
そんな背景を持つ木村先生に龍馬さんに係る事業を報告・認知して頂かなくては話が始まらない。
講義の直前の時間を頂いて押しかけ、概略を説明。龍馬検定・神戸編のことも御承知で、今回の計画も必ず検討返事するとのお話を頂いた。
講座内容については割愛いたします。
箕面市の旧外大グランドは遠くて大変だったけど、居てもたってもいられず弘子ちゃんを乗せていってきました。
雨かもという予想を裏切って、6月とは思えない快晴酷暑のコンデイションの中、試合開始。詳しくは淡水サッカーHPの現役報告にゆずることにして、概略を述べれば、開始40秒で1点、2分で1点とこのリーグで初めての素晴らしい出足を見せた。その後ちょいと余裕をかまして追加点ならず、結構危ない場面もあって、けっして上出来とはいえないが、皆がよく走っていたのは確か。終了まぎは44分に入れた1点は、コーナーからのシュートをキーパーが2度弾いたのをそのたび拾ってシュート、3本めでゴールとなったもの。
これくらいねばれれば上出来か。
後半5分に1点コーナーキックから入れられる。課題はゴール前、芯になる壁役の養成だ。
試合ごとにそれぞれが自分自身の課題を見つけて解決努力し次の試合に生かしてゆく。
1部のころの商大サッカーをやれば2部復帰も間じかの手ごたえありだ。要は簡単な決めごとを互いに確認し、試合でその通りにやってみる余裕が欲しい。
それにしても長丁場の最終戦を残すのみ。夢兵庫大を取りこぼすことのないようにお願いします。
岡本・楠瀬・的場・遊上4人衆 ほとんどの試合を応援 頭が下がります
お疲れ様
その後書きに曰く、
「このコンテストは明石市東部の、明石、人丸、中崎、朝霧、松ヶ丘の市立5校と、神戸大学附属明石小学校のご参加を頂きました。暮れの忙しい時期にもかかわらず、各校の校長先生、担当先生にはおしみなきご協力を賜りありがとうございました。
いただいた作品は、どれもこれもが大切なものであり、全作品をこの冊子に盛り込みたいところであります。しかし、あえて審査を行い表記のような結果を得るにいたりました。審査をお願いしました作文・明石小学校校長、三谷正信先生、絵画・鳥羽小学校校長、中井禎一先生には、コンテストの主旨の心よりの賛同をいただき、全幅のご協力をいただきました。
作文を読み進み、絵画を鑑賞しながら、遠い昔の自分をふりかえることさえ出来ました。
本当に、こんなに楽しみながら、この冊誌を編集できたこと。心より感謝いたします。
出品された小学生諸君、いいプレゼントをありがとう。」とあります。(2作品掲載)
この明石人丸ライオンズ20周年記念事業として同時に発表されているのは、
第8回アンサンブルコンテスト、第6回小学生駅伝、それとミニ消防車装備一式を明石の消防署に贈呈するとともに、笹川良一氏の財団からの援助を受けて明石幼年消防クラブを長寿院保育園の協力を頂いて結成しました。
今日まで続いているアンサンブルコンテストに小学生駅伝と良いアイデイアがそんなに沢山あるわけもないし、継続性のある事業はとてもじゃないが財政が許さない。それでもいまこの時点で意義のあるものを取り上げなければならない。
そこで考え付いたのがまず明石海峡大橋が完成する10年後の明石はどうなっているのか、小学5・6年生を対象に作文を募集し、厚かましいことながら優秀作品を選び作文集を作ることだった。題して『10年後のふるさと明石を語る』。
当初作文のみ考えていたが、文より絵が得意な子供たちもおろそかにできないということで『郷土明石の身近な文化財』絵画コンテストも同時に行い、色刷りとはいかないが作文集に合わせて掲載することになった。
そうと決まれば後は日頃の人脈を頼って早速お願いに走りまわる。
常々、明石の小学校教諭の中でも作文といえば明石小学校校長の三谷正信先生、絵画といえば恐らく40年のお付き合いになろうかという鳥羽小滑降校長中井禎一先生と頭にありましたから、あとはお願いにあがるのみ。両先生ともお話を申し上げますと即座に了承して下さり、募集範囲を旧明石市内の6小学校と私の母校神戸大学教育学部付属明石小学校の5・6年生とすることまで決定した。
出来あがったのは70ページほどの小冊子であったが、そのもう一つの目的は10年後、明石海峡大橋がかかる頃。この子たちが、大学を卒業して社会人になる頃、もう一度読み返してくれたなら、どんな感想を持つだろうかということだった。
もちろん、この作品群は明石勤労会館で展示会を開いて一般市民にも披露した。
ところが、この明石人丸ライオンズが3年前に解散、10年後を期してこの子たちに呼びかける母体がないまま
私も手を拱いて今日にいたっております。
改めて拝見そてみるに、このまま埋もれさせておくには惜しい宝物であると自認。機会を見て呼びかけ発表をしないともったいない気がしております。
永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)
