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書きますよ~皆さんついてきてくださいね!
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 まずは日本人に生まれ落ちたことを感謝しましょう。
この40日あまりの選挙前期間あらゆる予測が飛び交っていたが、それが段々収束して行き、直前には民主300越が確信をもって報じられる。
内心ほんまかいなと思っていると、この暗示に懸ったように日本が揺れた。
30日投票締め切りと同時に、出口調査での分析で当選確実が一斉に打たれる。
480議席のうちほぼ半数がこの瞬間に決まっちゃった。
これでは選挙での投票数発表を一喜一憂して聞いたあのハラハラドキドキもあったもんじゃない。
それ以上に驚きなのは、この確実報道に訂正が一件も無かったこと。いろいろ学習して慎重に確実を打っているんだろうが、その精度には驚かされる。
あれは何時の選挙だったか、神戸商大同窓の塩田晋先生の選挙を2度お手伝いしたその初回。民社党候補としてかなりの健闘を見せた手ごたえから、開票が70%ほどすすんだ処で、サンTVが当確を打った。
事務所に詰め掛けていた我々、自然とバンザイの声が湧き上がる。それでは皆さんTVが入りますから改めて万歳三唱お願いしますとなったその時、忘れもしない北口明石市長のお父さん・北口進県会議員が大声で、もう高砂は開いたのかと叫んだ。その声で、我を取り戻したかのように会場は一瞬冷静を取り戻す。
高砂は対立候補宿敵渡海紀三郎の地元・大票田である。
やっとのことで、バンザイを思いとどまった直後、サンTVが当確訂正を報じた。
やはり高砂が明いて渡海票がぐっと伸びた。バックストレッチで抜かれてしまった。
二度目の選挙では、川崎重工の軽音楽部をチンドン屋よろしくトラックに乗せ、出陣式も晴れやかに演出。
おまけに立会演説所では応援弁士を務めるほど肩入れしてしまった。
当時、日本のケネデイを自称されていたダンディ塩田が我が店のカウンターに腰かけて「津野君今度の演説会ではどう言ったらいいだろう」と仰って下さったことが目に浮かぶ。

一方今回の選挙で私の注目は高知1区。神戸高知県人会・福井潤氏の令息・福井照氏と橋本大二郎氏が激突している。
この夏、よさこいに帰った時も、行く先々で福井と橋本はどうよと聞くのに忙しかつたが、その際は福井有利との声が多かった。
橋本知事時代、県人会総会にはたびたびお出で頂き、福井も橋本も勝たしたいが、小選挙区となれば議席は一つだ。
状況はとインターネット速報で探るが、高知2・3区は結果発表が出ているが、1区は何時まで経っても開票0%のまま動きがまるで分らない。
余程の接戦か、高知市役所の役人が手ぬるいのかと待つうちに、12時ころになって突如最終結果が出た。
福井照辛勝。思わずTVの画面向けて拍手を送っていた所を見ると、やはり照ちゃんを応援していたんだ。
この2年、橋本が知事満期辞任して国会に出馬宣言そてからの、父君福井潤さんの心労といったら無かった。
知名度・人気とも抜群の橋本候補に勝てるわけがないとだれしもが思った。
しかし、流石高知、自民が強かった。1・2・3区とも自民が議席を守ったがぜよ。
民主の風も四国山脈を越えては吹か無かったんだ。
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 日本の戦争終結は遂に陸軍及び海軍からの執拗な本土決戦・一億玉砕の声を掻い潜って、天皇陛下の玉音放送による終結宣言・ポツダム宣言受諾によりやっともたらされた。
厚木飛行場にコーンパイプを銜えながら降り立ったマッカーサー将軍。そのマッカーサーが早々に設置した駐留軍総司令部・GHQ(GENERAL  HEAD QUARTOR)により、日本はたちまち武装解除され米国流民主主義の色に染め変えられていった。
子供心に、ジープをぶっ飛ばす米兵にギブ ミー チョコレートと強請った覚えはないけれど、米軍用貨車が延々
踏切を通過して、遮断機が揚がる暇もなかったこよは覚えている。
特攻崩れの従兄が体一つで転がり込んできたのも終戦まもなくのこと。
そんな戦後の混乱も、闇市も、15年経った昭和35年、そう僕が一浪に突入したころには、もう誰もあの戦争を口にするものも、関心を示すものさえ少なくなっていた。終戦記念日前後、今のように掘り下げた終戦特集番組があったわけでもない。もちろん戦争原因と反省などに及ぶことも避けられていたのでは。
あっという間に、戦後ヒエラルキーが形成され、旧財閥が復活した。まるで戦争など無かったかのように。

一方、米国はというと、特にベトナム戦争中・後反戦・厭戦の動きは絶えずあって、最近では、2008年3月13日から4日間、メリーランド州シルバースプリング市の大学を会場にして行われたイラクとアフガ二スタンからの帰還兵たちによる公聴会「冬の兵士」(WINTER SOLDUER)が開けれている。
この公聴会に出席した勇気ある証言者たちが、いくら上官の命令とは言えども、何の罪もない人たちを殺してしまったことや、お年寄りや子供や女性までも殺してしまったことを証言し、米国の戦争犯罪を告発している。
 昭和15年 海軍に第一委員会なるものが設置された。
これこそが、国家総力戦準備の中枢だ。その委員会がまず冒頭に挙げた原則が「ABCD列国が石油の輸出を禁止した場合すなわち開戦とする」というものだった。
まさに戦争ありきでの組織内委員会が、開戦以外の選択肢を持てるはずがない。
軍備増強に次ぐ増強で、予算もバンバン付いてくるとなれば、否でも戦争は出来ませんとは言えなくなった。
この海軍400時間の最初に課題となったのが、この第一委員会の検証だった。
果たして、十分な調査と冷静な判断が為されたのかどうか。
その当時の参謀連中が口をそろえて、米国と日本の国力の比較を真剣にやった覚えがないという。
米国在住で日本人で初めてエール大学の教授となった朝河貫一博士(歴史学・唯一の邦語著書「日本の禍機」)が米国との戦争の無謀さの警鐘をいくら鳴らしても、まったく耳を貸さない。
一部幹部にはこの戦争の馬鹿馬鹿しさを分かっていた節があるが、御身可愛さから発言に及ばない。
かくしてあれよあれよといううちに対米開戦必死が共通意識となっていた。
そんなころ、まさに開戦4ヶ月まえ、軍令部総長・永野修身が天皇陛下に開戦を進言した。
ことは一気に運び、12月8日新高山登れの攻撃電が発せられた。真珠湾攻撃開始である。
この総長進言の基となったのが、第一委員会が出した結論を受けてのことだった。
本当に世界を相手に戦がやれるかどうか、徹底的に検討することもなく、亡国の選択に流されてしまった。
これと同じことが、今の時代にも起きてはいませんか。
小泉の郵政改革に踊らされて、一斉に雪崩をうって自民圧勝にぶれたかと思うと、今回2009では、政権交替
が錦の御旗となって、日本全国を覆い尽くす。
活力も人材も失った世襲自民がかくなったのも、馬鹿でもちょんでも血筋を引いていれば代議士になれるという究極の亡国装置に絡めとられたため。
ところが、いまだ往生際悪く、麻生のジタバタ。それを止めようとする人物もいない。
大政奉還に及んだ慶喜が立派に見えてくる。といっても、慶喜さんも一旦返しても、すぐまた戻ってくるとあてこんでいた節も見え隠れする。
大久保・西郷を頼んで何時おれは将軍に成れるのかと、待ち焦がれた島津が、だまされたと知って、はらいせに錦江湾で大花火を揚げて悔しがったのも、こうなれば立派に見えてくる。
この2009選挙、結果は30日夜半判明するが、またまたこの日本がとんでもない方向に梶を切っちゃうような気がします。
民主の約束がすぐに実行される筈がなかろうし、民主に成ったら成ったで、翌日からバッシングが始まるいつものことだ。
そして戦い終わって日が暮れて、懲りない日本人は自分が仕出かした事の真実を振り返ることもない。
 弘子ちゃんの同級生でブラジル・クリチバ市の公園局で同市の公園美化に手腕を振るった中村矗(ひとし)が定年引退後もブラジル政府の要請で、ブラジリア職員として活躍中。その様子は、4月3日のテレビ東京の番組で世界を変える100人の日本人の一人として紹介された。
度々講演の要請があって日本へ帰ってくるたびに、同級生が集まり旧交を温めているが、この際「ちょこさん」がいるブラジルを旅しようとの声が上がり、昨日三宮の飲み屋で基本計画の打ち合わせがあったとか。
当初は、ああいっていても、多分ブラジル行きなんて出来はしないとたかを括っていたが、どうやら実現しそうな雲行きに少々慌てている。
旅程は前後7-8日間は見ておかないと。旅費にしてもどの程度かかるものか分からない。
何時ごろの計画かと聞くと、3月下旬ー4月と即答が返ってきた。ちょうど夏の時候だそうな。
リオでサッカー観戦も。マラカナンサッカー場、実に11万5千人が詰め掛ける、南米のサッカーのメッカだ。
これには、かなり心が揺れる。
それと、親父の兄姉のうち次姉が戦前、土佐からブラジルへ移民している。
津野から津野に嫁入りして、最初はコーヒー園の経営をやり遂げるまで相当な苦労があったと聞いている。
もうかれこれ15年ほど前、叔母さんの息子夫婦が日本へやってきた。そもときの親父たちの歓迎ぶりといったら大変ななもので、一方息子夫婦はまるで竜宮城の浦島さんのようで、その歓迎ぶりに心底驚き喜んでいた。
今は手元に、その際太寺の実家での団らんの際の録音テープと、1995年元旦と書かれたブラジルからの年賀メールが残っている。
挨拶の最後に「ブラジルにおいで下さることをお待ちしています。」と追記もあります。
住所はMARINGA州 RUA ANTONIO となっている。この所在が、クリチバに近いのか遠いのかも分からないが、ここは腰を据えて案を練ってみることになりそう。
 全国地方有力紙がこぞって連載中の『親鸞』がいよいよ親鸞を名乗るクライマックスに差し掛かっている。
別れと旅立ちのとき(8)では最後、法然上人との面会を果たす中で、初めて親鸞と称することを法然上人に報告する。
それに法然上人応えて「その志や賞すべし。念仏往生の教は、遠く大乗の道にすすんだ天竺の世親菩薩と、浄土の思想を極めた曇鸞大師の願につきる。我一心 帰命尽十方 無礙光如来 願生安楽国。 そなたは、この法然をもこえて、さらに遠くへ旅立とうとしているのじゃな。」
範宴ー綽空ー善信、そして親鸞と四度目の脱皮を経て、越後への流罪となり出発する直前。
この時法然上人も四国高松への流罪が決まっていた。
状況から言えばよくぞ流罪止まりで済んだものだといえる。
両者は同じ姓・藤井と名づけられ法然は藤井元彦、親鸞は藤井善信と名乗る。
この連載開始から一日も漏らさず愛読。
大切に切り抜いていても、やはり抜け落ちたもの多数だ。
これほど注意を払ったあげくが公となれば、何事にももっと集中してかからないと迷惑をかけることになりかねない。

実際お浄土が有るとは思えないし、必ずやってくる我が断末魔が如何なるものか心中、脅え恐れているわけだけど、この世に不自然なことはたぶん起こらない。その時はその時で土佐の政婆さんのように一言呟いておさらばするつもり。「もうだれた」。

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