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書きますよ~皆さんついてきてくださいね!
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 東郷外相の甲案は天皇制護持だけを唯一の降伏条件としていた。阿南陸相が書いた乙案は、天皇制護持の他に、占領不可、軍の武装解除不可、戦犯指定不可の三つの不可条件を付け加えた徹底抗戦玉砕論であった。
東郷外相と元老の平沼枢密院議長と、日独伊三国同盟反対論者だった米内海相が甲案を支持すると、阿南陸相、梅津、豊田陸海両総長は乙案支持。阿南陸相は「敵の本土上陸作戦をとらえ痛撃を与えてから好条件で和平したいと存ずる」と所信を述べた。
さて甲案賛成3名、乙案賛成3名で、議して決せざるとき、鈴木貫太郎首相(海軍大将)は天皇の裁下を求めた。そして天皇は甲案を採った。
思えば、開戦の詔勅を求められた際も、すでに決定された上奏を裁下するということで、天皇の意志による判定の逆転は決してあり得ないし、天皇の意志表示を以て事が左右されるような事はなかった。
しかし、ここにきて遂に国家首脳が雁首を揃えて天皇の判断に全てを委ねると言う未曽有の事態に立ち至った。

思えば、天皇ほどに近来これ程重い判断を求められた人間が一体何人居たことか。
二つの原子爆弾とソ連参戦というダメ押しがあったとはいえ、甲案を取れば、軍による反乱・クーデターの可能性もあり、事実玉音放送の録音盤を巡ってその動きがあった。
そして、以後43年、その判断が正しかったかどうかの十字架を背負って過ごされた天皇の心中がどれほどのものであったのか、今更ながら、近頃の国家指導者の情けない体たらくを見るにつけ、思われてならない。



かくして8月15日正午天皇の降伏受諾は放送された。

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 快晴強風風下の中、前半わずか1点で、前週京大が近畿に4-0おで勝利していることから、バランス悪い印象があったが、後半土肥監督のシステム手直しが効を奏して結果、10-0の大勝となった。
会場本学入り口、神戸商大の名残を発見。
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試合終わり。今期から胸番号表示となってアシックスでユニホーム新調。
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静かなるファイター 兼折主将。頼んだぜ。


最近つくづく昭和天皇の偉大さを感じる。
八月九日、深夜十一時五十分から皇居の地下十メートルの深さに掘られた防空壕の中で、最後の御前会議が開かれていた。
天皇は金屏風を背にして一段高い玉座。大元帥の制服。天皇の玉座の前にコの字型にテーブルが置かれ 、天皇側から見下ろして左側に鈴木貫太郎首相、阿南惟幾陸相、梅津美治郎陸軍参謀総長が座った。右側には平沼騏一郎枢密院議長、米内光政海相、東郷茂徳外相、豊田海軍軍司令部総長が連なり、陪席したのは迫水久常内閣書記官長、池田内閣総合計画局長、吉積陸軍軍務局長、保科海軍軍務局長らでテーブルの上には、東郷外相が書いた甲案と、阿南陸相が書いた乙案の二つの書類が載せられていた。
東ドイツの古都ポツダムで、戦勝連合国が発表した無条件降伏宣言の中には「天皇の地位」は空白にされていた。ポツダム宣言発表後二週間の空白期間を経過し、その間、広島と長崎に二個の原子爆弾が投下され、ソ連軍の参戦という恐怖的な大付録が付くまで、政府と軍部が宣言受諾を戸惑ったのは、ポツダム宣言内に「天皇の地位」が空白化されたためであった。宮中地下壕、最後の御前会議の席でも、最後の最後まで揉めに揉めたのはこの一点であった。
 馬鹿なもので、一気に読破した覚えのある大森実先輩の『エンピツ一本3巻』の最初の所を読み返したが殆ど忘れてしまっていて、おまけに面白い話がぎっしりで、ついつい読み進んでしまった。
観るたびに胸に迫るあの神宮外苑での学徒動員に始まる大学生繰り上げ卒業で徴兵された神戸高商同期生の内、ダイエーの中内氏と大森氏は早行きで、早速の徴兵を免れたとか。
このため、大森氏は日本窒素に就職するわけだが、ダイエー中内氏はたしかビルマ戦線へ送られた筈だ。
ジャングルの悲惨を通り越した状況の中で、国民誰もが夕飯にすき焼きを囲めることを夢みて、復員後ダイエーを創業したはずだ。
もっとも、大森氏は故郷・岡山・和気での徴兵検査でたまたまレントゲンに肺の陰が写り、乙種合格となっていた。

その中の敗戦前夜のエピソードとして、竹槍と剃刀の話があった。
一億玉砕・鬼畜米英のスローガンはまだ記憶にあって、ついに男子は竹槍で米兵に立ち向かう。
一方、女子は上陸して来た敵兵を色気で誘い、敵のナニを剃刀でちょん切ってしまおうと言う、今考えれば噴飯ものの作戦も真剣に検討されたそうだ。
悲しいことに、当時この捨て身作戦に該当する婦女子は日本全国に3000万人で、なんとか用意出来る剃刀が1000万であったことから、作戦は見送られた。なんじゃこれは。

ついでに書くと、よく知られているスローガンには必ず続きがあって、たとえばいろは丸補償交渉に際して龍馬さんが長崎丸山界隈に流行らせた唄の文句である『金を取らずに国を獲る』の続きは『国を取ったらミカン食う』
だったとか。よほど紀州のミカンは天下に美味と知られていたんだ。


 25日外大グランドでの京都花園大戦で久しぶりにお会いした木下名誉会長より淡水サッカー部大OBであるジャーナリスト・大森実先輩の訃報を聞かされた。3月25日88歳とのこと。
大森実氏と言えば、国際ジャーナリストとして、毎日新聞在職中はベトナム反戦キャンペーンを張り、時の駐日米国大使・ライシャワーをして実名を挙げての批判にさらされ、毎日を退社に追い込まれたという大物。
我が淡水サッカー諸先輩数あれど、国際的に名の轟かせたのは大森先輩が最右翼だ。
氏は日本脱出の後、ロスで著作活動に入られ、膨大な昭和史を書きあげられた。
自伝でもある『エンピツ一本上・中・下』は勿論読破しました。
その文中にサッカー部のことは殆ど書かれていなくて、辛うじて毎日新聞社に再就職される際の面接時の部分に・・引用
『社会部長浅井良任は背の低い赤ら顔の男で、剛髪を七三に分け、首を振り振り私を面接した。毎日新聞が主催する浜寺水連場の水府流の達人で、豪放磊落なことこの上もない人柄で通る東大出身の社会部長であった。第一問。
「きみ、腰は軽いか」と坂田三吉のように端し歩を突いて来た。
「はい、サッカーのハーフでした」
「神戸高承は強いのか」
「朝日招待サッカーの東西対抗で、明治と遣りました」
「勝たかね」
「1対零で惜敗しました」
「そらあかんがな」  』

去年、淡水サッカー80周年記念に大森先輩に寄稿して頂きたく、淡水ロスアンジェルス支部・支部長さまにメールで大森先輩の近況を問い合わせていたが、もうそんな元気は無いとの返事だった。
今にして、無理やりお願いしてでも頂いておくべきだった。
きっと、淡水サッカーのためなら快く応じて下さっていたのに違いない。・・・合掌
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