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人間勝手なもので、須磨以東の地がひっくり返っているというのに、明石駅前は比較的静かな状況に一安心してしまう。
後で公文会長にお話をお聞きするに、公文病院、適寿病院は運び込まれる負傷者であふれかえり、野戦病院もかくやと思うほどの惨状で、一時は打っ倒れそうになったとか。つらく悲しい現場を数え切れないほど見たと言われる。
17日はとりあえず店内の片付けに専念し、いったん家に引き揚げた。
翌18日、駅前に東から逃げ出した人々があふれ出した。そして何かあったかい食べ物はないかと尋ねてくる。
ブラジルは地階口が陥没して入店できない。なんとか営業できるのはさんよう喫茶しかありません。
いま思い出してもどんな風に客を迎え入れたんだか、定かではありません。第一水道が止まっている。
しかたなく、ブラジルで高架水槽の水が残っているのを幸いに、ポリタンクに詰めては運び込む。
メニューも数点に限定して、アツアツの料理を出した。
冷たく、心細い一夜を過ごした人たちの喜ぶまいことか。・・・商売抜きの人助け。
年が代わって平成7年1月17日午前5時45分。弘子ちゃんにたたき起こされた。頭上に何かが降ってくる。
弘子ちゃんがかばってくれなかったら大怪我は必定。半端じゃない揺れ、それも縦方向。やはり自然にはかなわないと観念した。
最初の大揺れがやっとおさまって部屋を見渡す。マンションの8階とあって、よほど揺れたらしい。
倒れかけた食器棚から食器があふれ出ている。あの重い本棚がかなりズレテいる。なにしろ収納のためタンスの上まで物を詰め込んでいるため、フロアーは落下物で埋め尽くされている。
最初テレビの速報では死者数名と報じられた。そんなわけがあるもんか。
さてお店はどうなっていることだろう。とりあえず室内を片付けながらお店のことが気になってくる。
店には大槻某が寝泊まり(ビルには内緒)していて連絡したいが電話が通じない。
フロアーのめげものをとりあえず片付けるその足で、店へ出かけて行ったと弘子ちゃんが口をとんがらす。
その際、道路はそう込んではいなかったように覚えている。
長男夫婦は3日に横浜に帰り、二男は放出の寮に帰っている。三男から15日に電話があって、ロスの英語学校評価Aだったと言ってきたところ。
この三男がロスの国際電話で我々の安否を確かめ、兄弟連中に連絡をとってくれました。
去年、ロスの大地震を経験している三男の地震体験談を人ごとのように聞いていたが、まさか自身が大震災
に遭遇するとは。
やっと辿り着いたブラジルは、ビル内のそれも地階にあることから意外と被害が少ない。棚に並べていた地酒の一升ビンが5-6本落下してお酒のいい匂いがたちこめていたことを覚えている。
それよりもビルの入口と道路の間に亀裂があって、かなり広い溝のようになっている。このままではお客は入ってこれない状態だ。
かねてより、母校で行われるこの試合を去年思いがけず逝去された故矢頭会長の追悼試合と定め、OB諸氏が参集のうえ、試合観戦を共にし勝って矢頭会長と喜びを共にしようとするところです。
商大サッカーを愛して止まなかった矢頭会長が、会長就任直後、それもヨーロッパの街角で、少年達にサッカーボールを蹴り返した際断裂したアキレス腱がもとで亡くなった。
いまもその時の驚き悲しみは忘れられません。
この気持は現役諸君にも十分伝わっていて、是が非でも、この試合に大勝して、その報告を手向けようとの意気込みが見られた。
遺影とならんで矢頭夫人と御息女が見守る中、1:00KICKOFF。
ホームグランドであること、皆の意気込みがそのまま乗り移ったかのように、ほとんどピンチらしい場面も無く、
無事、追悼試合を勝利することが出来ました。
VS 神戸外語大 5-0(2-0、3-0)
応援に駆け付けたOBの皆さんと現役も交えた試合ごの喜びの集合写真。
それと5点目、新田主将の得点場面をコマ送りしてみました。
2号線に面して、ダイエー明石店前に古くからK診療所がありました。平成6年ころは診療も辞めて固く閉ざされておりました。立地としては魚の棚通り近く、歩道橋が間じかに付いて店舗としてはまあまあの場所だ。
ひごろから、何にか利用先はないものかと考えている時、出入りの酒屋・ナカノの番頭が、明石で居酒屋さんが出店場所を探しているが何処かないかとの立ち話。
同じく出入りの魚の棚の豆腐屋さんに、町内のこととて何か聞いてないかと問うてみた。
マスターいまK診療所は売りにでているよと即答する。k診療所は明石駅前の不動産やに声をかけているようだ。こんな場合売り寝付けと買い寝付けといって、双方懇意な不動産やを使うのが常道だ。
一社だけの仲介に場合、売り買い双方の条件を十分すり合わせることが出来なくなる場合がある。
ここは直接持ち主に当たって条件その他を聞き出す必要があります。
酒屋を通じて居酒屋さんに場所だけは知らせて立地上は希望どうりとの感触を得ておいた。
たまたま県人会の理事会があり、ふと思いついて公文会長にk診療所の院長を御存じないか聞いてみると、同じ大学の後輩で親しくしているとの返事だ。ビギナーズラックとはこういう幸運を言うものか。さっそく紹介状を頂いて、本院の院長を訪ねた。紹介状の威力は抜群で、出入りの不動産やを呼んで、条件は彼と打ち合わせてくれとなった。売り値は一億円。約30坪の土地にしていい値段だ。
一瞬居酒屋で土地に一億とはと思いながら、売値を連絡する。これが意外とすんなり通った。ただし銀行融資が条件となった。
この時の取引手続きは全く売り側の不動産やさんにお世話になりました。契約書作成、重要事項説明、境界立会など、初めてのことばかりで我が方のE不動産の田中氏とのやり取りを一言逃さず聞き取った。
決済の場で銀行側と買主との間で思い違いがあり、融資の実行に少々手間取るハプニングもあったが、最終無事決済出来た。その時渡された仲介料が三百万。干天に慈雨とはこのことか。押しいただいたのはもちろんのこと。多少の労苦、気遣いはありましたが、さて原価はときかれるとほとんど零。何という仕事なんだと感嘆しきり。ほんと信じられない金額が手中にあった。もちろんお世話になった先にはそれ相当のお礼はいるもののこの醍醐味は確かに私のなかの何かに火をつけた。
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永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)