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 神戸新聞明石版に駅前再開発ビルCGが発表になっていた。(9月21日付)
昭和23年頃から昔の追手町、今の大明石町1丁目の映画館街で育った私は、この町の栄枯盛衰の目撃証人の一人だ。戦後娯楽のない庶民が押し掛けたのが映画であり実演・ストリップショーでありました。
私は、映画館街の5館フリーパスを良い事に殆どの名画からB級ものまで見尽くしたと言える。
そんな町がTVの出現と共に閑古鳥が鳴くようになり、大衆消費が盛り上がるにつれ新顔が登場した。
ダイエーとジャスコの両雄だ。明石ではダイエーが圧倒的な存在感を示し、映画館4館を連結してダイエー明石店とし、グループ内でも屈指の売り上げを叩きだした時期もありました。
そのダイエーが中内バブルの破裂とともに閉店して幽霊ビルとなって久しい。
この大明石町い丁目の既存ビル群のほとんどはゴッドファーザー永田による私的再開発と言えるもので、彼が手がけたビルは私の知る限りでも7棟に上り、今回の駅前再開発の半分以上の面積になるのでは。
そんな中、明石の再生を賭けた中心街活性再開発の事業が開始される、その計画案にダイエー西館ビルが含まれていなかった。もちろんビルオーナーの重大な事情が有ってのことながら、このままでは世間に笑われるようないびつな姿になる。一旦建ってしまえば無様な姿を晒すことになる。
そんなことも動機の一つで、このビルの再開発参加について取り組みを始めたところ、やはりこの地に思い入れのある志溢れる若き事業家が立ち上がられ、やっとのことこのビルの参入が実現した。
計画図等で再開発の姿をイメージはしていたが、このようにCGにして頂くと、想像以上に素晴らしい景観機能と成っている。これなら明石の玄関としても100年誇れる出来栄えとなることだろう。
この町の再生に微力を尽くせたことを誇りとして、平成25年2月完成をこの目で見届けられれば尚のこと幸せと言うものだ。
Scan10016B.jpg


































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 恥ずかしながら初孫を抱いた歳が不動産業独立元年。やっと9年なんとか凌いできた。
その孫も小学3年生。もう一人前男同士の話が出来る。
この通算して20年の不動産仲介業活動の中で、近頃の停滞は初めての経験といえる。
最初のまったくがむしゃらな営業にもならない情報屋から始まって、もっぱら買い手探しの日々。
出会いがしらの幸運な巡り合わせがあって、自分でも驚くような大きな案件が成約がありました。
そして、状況は買い手、売り手の根付の役割が巡って来る。
なかには両手で成約のこともある。
しかし、こうなるととても一人では出来る話ではなくなる。
幸いにも信頼出来る相棒が出現して、一致協力。
そんな商売のパターンが出来上がっていた。
ところが5月初め、その相棒の一人が進行性肺癌のため、あっという間に逝ってしまった。
私が前立腺がんの手術をした去年2月、病院に見舞いにきて、当分死んでもらっちゃだめですよと励ましてくれていたのに。

一方、明石駅前案件でテナント誘致にもう2ヶ月を要して未だ詰めが出来ていない。
連日、やいのやいのと催促をかますが、エンドのキーマンを捕まえられないでいるらしい。
こちらの業者は相棒とは言い難く、むしろ腐れ縁。しかし、今回は彼の一番得意とする分野での仕事。
なんとか早急に取り纏めて空回り屋の汚名を返上して欲しい。
今までは、これでもかと攻めの姿勢で、常に相手の返事を待つことはあっても、こちらサイドは即答態勢でやってきました。
何故、早急に返事を取りつけられないんだろうと不思議に思いながら、じりじりと時の経つのを待つ経験は余りない。
オーナーさんに申し訳も無い状況。これが招く心理的停滞。明日にでも詰めて結論を引き出さねば。
それと、相棒とやり残した案件の始末を果たして、初盆の報告に参らねばなりません。

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 神戸新聞明石版に明石駅南再開発地域が拡大されて、旧ダイエーがあった3つのビル全部が入ることになったと大書報告されている。
このあたりは、戦後映画館街として発展。確か西から松竹・山陽座(のち東宝)・東映・白鳥座(洋画)と並び、駅前の日活をいれると5つの劇場が軒を連ねていた。
記憶にあるのは、戦後始まったストリップショーと公衆衛生広報の性病映画。
最初ストリップといっても、せいぜい舞台にタライを持ち出しての入浴ショウで、ほんと今とは大違い。
歌謡歌手の実演とかも大人気で、春日八郎来演の際には妹が花束贈呈した。
それ以来、わが母は終生春日八郎フアンでとおした。
娯楽と言えば映画。TVがそこそこ行き渡るまでは、劇場は立ち見が常識。押すな押すなの盛況で、入場料のお札を数える間もなく、ミカン箱に踏み込んでいたとか。劇場の支配人が桜町で良い顔だったのも頷ける。
そんな町が、TVの普及とともに閑古鳥が鳴き出した。
その起死回生の一手がダイエー誘致。まずは東宝を建て替えてダイエーがオープン。回転を待つ人の列が、ぐるっと大明石1丁目を一周したもんだ。
それからは、松竹を繋いで増床。そして駅正面となるダイエー東館がオープンする事で、完全に映画館街はダイエーの主要館へと変身した。
一時はダイエー内でベストファイブに入るほどの成績を残した。
そして中内ダイエーバブルが破裂。現在の幽霊ビルへと姿を変えた。
そんな状況下で持ち上がった今回の中心街活性化再開発。新聞発表では松竹部分が欠落していたが、今日の発表ではその部分も編入して理想的な形状・機能を有する事となった。まずはめでたし、めでたし。
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 常々、不動産仲介が天職と申し上げている根拠の一つに、物件が呼んでいるという実感が有ります。
なにしろ、車を運転中も沿道の何やら淋しげな佇まいの土地・建物を見かけると、その土地・建物が十分活用されているかどうか、一瞬に判定できると思っている。
こうすれば良いのにとの感想を持った土地・建物がそのあと、必ずと言っていいほど、そのように転換・変更が加えられていた経験たびたびだ。
なにせ、頼まれもしないのに、謄本を挙げて財務状況を調べたり、どこの企業の。個人の、所有か確かめたり忙しいことだ。
50歳でこの業界を知り染めて65歳で会社を不動産業に転換した。
先輩の潜みに倣えば、健康さえ許せば80歳までは楽々仕事が出来まっせ。
最近は、初心の物件探索という地道な作業を怠っていたとの反省もあり、無理難題の土地の注文を聞いていることもあって、未だ頭に入っていない高砂・荒井町ー高砂町の工場地帯を走りまわった。
実は、大学1-2年の時、週一回はカネカの職場バンド指導という美味しいアルバイトに高砂に来ておりました。
その頃は、山電高砂駅を南にまっしぐら、高砂小学校の近くに立派なホール付きの会場が有り、そこに有志のカネカマン、クラ・チュウバ・トロンボーン・サックスとてんでバラバラな編成に手こずりながらも、バッハのリツルフーガを我流で編曲して、無理やり吹かせておりました。
そんな脂汗が出るような思い出が蘇る高砂。一気に下って行き着いたのがカネカ正門だ。
そこで行きどまりとなって、仕方なく右にハンドルを切ると、高砂西港の岸壁に出た。
岸壁は寒々とした更地で、確り囲ってありました。その北にため池の土手のようにも見える土地が視界を遮る。
地図で調べても何も建っていないし、更地のようでもある。
最悪、この岸壁なら10,000坪は有るかなと思いながら、加古川の法務局に寄ってみる。
確かに、何も使っていない広大な土地は約20,000坪。所有者はカネカさん。
こうなると、何でこんなに広い土地が彫ってあるのかということの方が気になって、あることを思い出した。
これって、あの有名なPCB汚染の後始末じゃないのか。
そして検索の結果、ピンポン。それもまだこれからこの丘に閉じ込めてあるPCBを最終処理すべく高砂市とカネカが相談してる最中だった。・・・たまにはこんな無駄足を踏むことも。


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大企業の派遣社員切りが続々報じられる。天下のトヨタは何十兆円かの内部保留を有しながらこの仕業。
歴史上、関ヶ原で西軍の大将として敗戦の責めを負った毛利は三分の一にまで縮小した領地に家臣の殆どが流れ込み、それまでの知行を削りに削って、歯を食いしばって耐えに耐えた。
大政奉還して駿河一国のみとなった徳川家にも旗本一族が大挙押し寄せ、知行にありつけぬものは、帰農してもなお駿河を去ろうとはしなかった。戊辰戦争に敗れた会津藩はわずか3万石、実石7千の辺境の斗南藩に4700余名の藩士とその家族計1万7千人余りが入植。
殿様に頼るしか道がなかった武士階級のみじめな姿と見るか、領米を分け合って命を繋いだと見るか、意見の分かれるところだろうが、附いてくるくる家臣を見捨てる姿はなかったようだ。
そんな貧困の中で子弟の教育に努め、後の明治の世に多数の人材を送り出している。
そんな大和の国で、いま大企業の職場では正規社員と派遣社員の厳しい階級別け、まるで土佐の上士と下士(郷士)の再現とも思える情勢となり果てた。となれば、歴史の事実が証明しているように、これ以後、この階級間の激烈な闘争が巻き起こることは必定。
首切りを宣告された派遣社員が、その企業のみを相手取って騒ぎ立てているに過ぎないと楽観してはならない。必ずや複数の、あるいは全国の派遣社員階層が結束、大波となって深刻な労働争議へと変化していくことは自明です。規制緩和の流れにのみ込まれた犠牲者の多くは、襤褸の筵旗を押し立てて国会を取り囲むことになるでしょう。
正に経済災害と言えるこの年末・年始、急遽街に救世軍が行ったような炊き出しとテント村を何故政府は用意しようとしないのか。麻生政権が浮上する唯一の道は、この緊急経済震災援助法の発令でしょうに。

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