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今日本業の不動産仲介でこの4ヶ月かかりっきりになっていた案件の山を越した。商大の後輩I君(G39)との初の共同仲介であります。ことの経緯は企業秘密で、多くは語れないけれど、もともと銀行マンのI君にとっては、買い客への気の使いようは尋常にあらず、まことにきめ細かい配慮と連絡の密さは見習わなくてはならない。今は証券マンとして中堅企業相手の株取引から資産運用の営業に携わる一方で、主に企業が求める収益物件の買い方に回っての不動産取組を修行中。大手銀行にいたとは思えない腰の低さ。客が求める物件の規模・利回り・立地などを聴きだして我が方に情報提供してくれる。いままで、客先に偶然商大OBがいて、思いがけない便利を図ってもらったことは度々ありますが、日常的に営業活動を共にするのはI君が初めてとなります。
とくに今回は、売り方が、是非早急に売りたい状況ではなく、売ってやってもいいけど的立ち位置であったため、最終売り渡し確認が遅れに遅れて、I君のやきもきたるや相当なものであったでしょう。
I君のようにハードなルテインワークをこなしながら、なお不動産業者の海千山千を相手にするのはご苦労なことだと思います。銀行あるいは企業の不動産部営業であれば、次々と押し寄せる案件の処理をこなせばいいてなもんだけれど、我々町場の不動産屋のレベルにまで降りてきますと、世に千みつ商売と称される確率の悪いヤクザ商売とならざるをえなくなる。そこでの工夫のあるなしが運命を左右するわけだ。考えてみるに、何処のどなたが考え出したのか、仲介手数料が売り買いどちらもから売買代金の3%頂けて、取引額にたいして青天井の仕組みが公認されている。このことがどれ程有難いことか、わりと業界人は分かっていないのではないか。世に不動産というからには中々動かないものという先入観があるが、これほど動くものはございません。景気が良ければ、事業拡大のための土地が必要。景気が悪くなれば、先祖が営々と蓄えた虎の子の土地を売らざるを得なくもなる。その御手伝いをするつもりと心得て営業しなければならないのに、思わず「あんた仲介しようとしてるのか、邪魔をしにきてるのかどっちやねん」とかましたくなる御仁もいて、ようは土地が好きでないと務まらないことだけは確か。いまや天職と心得て仕事を楽しんでいる境地に至ったのは、遠く昔、土佐の地で戦国七雄と一角として寸土を争った血のなせる業かもしんない。

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 明石駅前で「てんぷらマルイチ」を開店したのが、昭和44年(1969年)。飲食業のほうは、平成11年に、ついに『さんよう喫茶』を閉めざるをえなくなるまでの30年間。自己責任といえば聞こえがいいが、無我夢中・ある意味やりたい放題させていただいて、最後の10年は終戦処理に費やした。「後から気がつく癲癇病」の言葉通り、親父の七光のお陰で身の丈以上のことを仕出かして、思ってもいなかった親父の早逝(69歳)という非常事態に見舞われ七転八倒の苦しみも自業自得は承知ながら、走りながらの勉強で、ある時点から自分がどの方向に向かっていって良いのか分からなくなっていたのは確か。商売が最大に盛り上がっていた時も、まるでジェットコースターに乗せられて、行く先ままならず目前のハンドルにしがみついているのが精いっぱいでありました。
 一方、平成2年ひょんなことから手がけた事業用不動産仲介の真似で、いまの2号線南に面した明石市本町の金沢診療所(神戸金沢病院経営)の30坪が売りにでているとの噂を耳にはさんで、出入りの酒屋ナカノの番頭から聞いていた居酒屋用地(今の居酒屋・大学)として総額1億で斡旋することに成功した。たぶんビギナーズラック。出会い頭の好運であったに違いない。ちょうど信太郎爺さんが明石の競輪で初めて買った車券が大穴だったように。
 それまで飲食業といえばいろいろ工夫を凝らして店を開けてまっているのが仕事で、お客はその日の出来心でのご来店。いちど足が遠のけば当分は顔をにせることはない。ところが、事業用不動産を扱って最初に感じたことは、その立地の大切さ。極論すれば土地というものは「絶対に必要」な土地か、「只で遣るといわれても必要のない」土地かのどちらかしかないということ。そして必要としているところへ積極的に情報をもたらせば
放っておいても買いに来るということ。そのうえ誰が企んだか、手数料とやらも、片方売買額の3%法定額として請求出来て、青天井ときている。
もちろん買い手・売り手のどちらかと近い距離にあることが絶対条件ですが、以外と法人向け大規模土地の仲介は先1-2社程度なら自分がイニシアチブを取れば、案外できることがわかって来た。
 時あたかも不動産バブルの終わりの始まりといった時期。釣り上った物件を検討する先さえ無いという状況でした。こうなると銀行系の不動産部はからきし頼りにならなくなる。自行の系列の企業しか知らないからです。例えば西明石駅前2号線に面した結構な広さの土地が、猛烈な地上げの挙句塀を廻らして淋しげに佇んでいました。西隣のパチンコ店はわり盛況らしく見受ける。いや駅南の本店はかなり景気が宜しいとの噂もある。そこで物件に大書してある不動産会社へTELする一方、知り合いの元不動産屋で今はパチンコの景品会社勤めで、当のパチンコ店に出入りしている人物に、隣りの土地が要るのか要らぬのかアタリを付けてもらう。一方かの不動産会社を調べてみると、M信託銀行の系列で、その土地を抱かされていることが判明。M信託銀行に話をつけねば動かないこと必定です。その時、神戸商大のサッカー部で最初に仕えた小林先輩がM信託銀行に居られることことを思い出す。さっそく担当部署を紹介していただくに、その物件は小林先輩と同期のおなじく商大先輩のH部長が担当されていることも分かってきた。なんという幸運か。おまけに同窓のよしみで、こちらの申し出を快く聞き入れて頂けた。内々売値の見当までも。ここまでお膳立てが揃えば、あとは両者を会わせばもう出来たも同然。さて買い手は如何にと、喫茶時代のしりあいで、付き合いだけは古い不動産屋さんと初めてのタッグをくんでの営業を開始した。すると意外や意外、町場の3-4軒営業のP店の会長がかのパチンコマネーの源のC銀の理事長であることが判明した。両者の会談はC銀の巨大金庫の前でのことでありました。いまでも忘れませんが、M信託銀行の部長が、それまで買い付け証明をだしてもらってくれとシツコクいっていたのが、買い手がC銀の理事長と分かったとたんに口に出さなくなってしまった。今考えれば、そこはどうであれ買付証明書はとっておくべきでしょう。かくして5憶5千の売買成立の運びまで後は一気呵成。

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企業向不動産仲介・企業立地
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