[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
やっとのこと、フッセンの町に着いた。食事の後、馬車でお城に向かう。デイズニーのお城のモデルになっている世界一人気の高いお城。バイエルン王ルートビヒ2世の居城であり、ロマンチック街道の終点でもあります。
王はワグナーの庇護者としても有名だ。
写真のように2頭立ての馬車に揺られてノンビリ見えるが、出発直後右のお馬さんのウンチとオナラ攻撃には閉口。それも馬力むきの頑丈な馬体ときて迫力満点。目を丸くして歓声を挙げたことでした。
このお城では忘れられない偶然があって、お城からの帰り道、上ってくる日本人の観光客の一団の中に弘子ちゃんがどうも知り合いの人がいると言い出した。こんなヨーロッパのど真ん中で、選りによって明石の友達によく似ていると言う。思わずすれ違いながら「近藤さん」と大声で呼びかけた。当のご本人が驚いて振り返った。
弘子ちゃんが「やっぱり近藤さんや」と駆けよって奇遇を驚く。なかなか話が尽きなくて少々イライラ。
下の写真のうち縦長の写真の上3分の一あたりにうっすら見えるのが、ベラード峡谷に架かるマリエン橋で、このお城を眺めるベストポイントと言われており、見物客が鈴なりになっている。
あくまでも青いアルプスの空を背景にした教会の写真はSCHROCKENを出発して最初の街らしい街NESSLEGGでのもの。
このあと記録している地名の列挙になるが、WARTH-(R198)-LECHTAL-PRENTEN-STEEG-HAGERAU-STOCKACH-BACH-EIMEN-STANZACH-LECHASCHAU-REUTTE-BAD-(R179)-ここまでTIROL-ここよりBAYERN-(R7)-(R310)-FUSSEN
いま手元の写真をどこで取ったものか分からなくなっていて、アルプス縦走の途中の風景であることは確か。
肌を刺す冷気さえ心地よく思えて、このドライブの爽快感は未だ忘れることが出来ません。
今グーグルアースであの時たどった道を確認しようとしています。
ボーデン湖畔HORNから宿をとることになるSCHROCKENまでのR200に入るのにどう走ったかよく覚えてはいない。
気が付けばボーデン湖を遥かに望む山の峠につていたといった感じ。(写真1枚目)
この峠からR200をひた走る。両側は2500mを超すアルプスの山々が連なり、標高1000メートルの峡谷を川沿いに上ってゆく。川の流れが右に左に変化し、河原の広い所を選んでは、流れに手を浸してみる。
誠に冷たい、これがアルプスの水ですぜ。
私も河原に降り立って形の良い石を3ヶ拾ってポケットにいれる。
たどりついたSCHROCKENの町はスキーリゾートとして有名で、この季節は静かな佇まい。
9時過ぎにやっとB&BのHAUS BERGHOTに宿をとる。
ここでは夕食は出なくて、近くのレストランに出向いて食事をとった。肉料理を中心にオーダー。この店では、英語も通じない。どうやら日本人も初めてのようで、お店の壁に私の名刺を張り付けて、以後この店を訪れる日本人に、よければ帰国後連絡を下さいと書き込んで帰って来たが、未だに便りなし。
コンスタンツへたどり着くまで、眼前にひろがる原野を望めるビュウポイントにさしかかる度に、写真のような洒落たお店に立ち寄り一服をしてしまう。それほど魅力的な眺めとお天気にも恵まれたんだ。
やっとコンスタンツにたどり着き、ボーデン湖を暫し眺める。
ローマ皇帝の名前がつけられたこの街は、その後プロテスタントとなったり、オーストリア領となってカトリックに戻ったり、大変な歴史的交差路の運命をたどってきている。
ボーデン湖はドイツ・スイス・オーストリアの国境をなし、もともとは氷河であったところが、氷河がとけた後のU字谷が湖となったわけで、水上交易盛んな商業ちたいともなっている。
コンスタンツから橋を渡ると、そこはスイス領HORNの町。HORNというからには何かの角ということか。
湖畔にはヨットハーバーが広がり、あくまでも青い湖面はキラキラと光り輝いていた。
04 | 2025/05 | 06 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | ||||
4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 |
18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 |
25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)