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1974(昭和49年)12月1日ダイエー東館が完成、と同時に地下をダイエーとは独立した飲食街もオープンを迎えた。
喫茶リオ・ブラジルは地下街の北の一角に移り、約50坪の大箱。いま振り返れば借り物のお店に、精一杯の内装を施すなど、馬鹿としか言いようのない、凝りに凝ったお店が出来上がった。店内東半分の一段高く設えたフロアーにはグランドピアノを据えて、連日夕刻に生演奏。これで人気が出ない訳が有りません。
当時国鉄明石駅高架に伴って、ステーションデパートが誕生し、そのテナント募集の際、明石駅前の有力飲食店に入居の声がかかり、親父も誘いを受けていた。しかし、親父はゴッドファーザー永田のグループの一員で、このGODは駅前一帯を民活で再開発していると変わらないビル建設を手がけていて、義理からステーション出店と言う訳にはいかなかった。
ところがこの明石ステーションデパート内の喫茶・飲食がはやりにはやり、親父が悔しがること。
その積年の想いに区切りを付けることができる程のお店の出来栄えに、胸を張って駅前で30年と高らかに開店を宣告いたしました。
思えば、私がお店を手伝うようになって5年目のこと。・・実際これぐらいで大人しくしておけばよかったのに。

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創業さんよう喫茶が地下の狭苦しいエレベーターピットの底が飛び出した猫の額ほどのところに押し込められたのは、ダイエーが明石店を開くため、それまでの古い映画館を建て直したためだ。
明石に初めての本格スーパー誕生とあって、1966(昭和41年)10月28日の開店の日には、人並みが大明石町一帯に溢れかえった。今ジュンク堂書店が路面で営業している明神ビルがそれだ。
狭い上に、ど真ん中にエレベーターピットの底が天井から突き出てる、そんな場所に押し込められた親父は一計を案じて、親しかった設計士と施工の明石土建に無理やり当初計画に無かった地下2階まで掘り下げて、巧みに営業面積を拡げてしまって。最終ビル側も了承することになったんだろうが、喫茶開店の時まで極秘の工事だった筈。もちろんその掘り下げに拘る費用はこちらの負担。この時の貸しを返してもらうのは33年後のことになる。
2005(平成17年)8月31日にダイエーが撤退してから、3棟に増えていたダイエーテナント店舗のうち、両端のビルが明宝興業所有で、真ん中が今言う明神ビル。運命は分かれて、明神ビルは築43年ながらほぼ満タンにテナントで詰まっている。一方1974(昭和49年)ブラジルを移転開店したダイエー東館と言っていた第二明宝ビルは船井総研からデイべロッパー兼北へと転売されてしまった。西館といっていた明宝ビルもこの12月16日期限の競売に掛けられていたが、任意での取り下げになったのか、入札が無かったのか、入札結果一覧には出ていない。。しかし、先日ビル屋上にレリファ(株)の名前の垂れ幕でテナント募集しているところをみると、兼北あるいは船井総研に渡ってしまったようにも思える。・・かって絶対的存在であった明宝ビルが人手に渡ってしまうとは、栄枯盛衰のことわりを目前に見るようで感慨一入。
先に結論・結果を言ってしまったが、24年間に及ぶダイエー明石東館地下飲食街での喫茶リオ・ブラジルへの移転・開業作業の一切を親父は私に任せてくれた。

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                                                               謹賀新年  平成21年元旦
             今年の経済変動の大波を乗り切りましょう
              この平成幕末、戦国乱世の予感あり  

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平成18年3月17日から、三男のお嫁さんを貰いに札幌のご両親のもとへお願いに参上。
といいながら、20日まで連日札幌駅に早朝駆け付け、観光バスに乗りまくり。支笏湖・旭山動物園・すすきのと走り回っておりました。平成18年年賀の左上はそのさい御馳走になった、御鮨屋さんの店先での写真。
その後、約1年、平成19年4月1日・エプリールフールに東京・日本橋にあるCOREDO・サンパウというスペインレストランでの結婚式・披露宴となった。なんでも嫁さんがフラメンコに夢中だとか。

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平成一七年は二人の孫を授かった。八月五日に長男の第二子・男児、そして10月12日には次男に待望の第1子・男児が生まれた。
この次男の第1子出産が思いのほか難産で、産気づいたとの知らせで、里の富山へ向けて名神・北陸道をぶっ飛ばすうち、なかなか出産との知らせが入らない。出産初期に、最初の産院から富山中央病院へ産院の院長自ら搬送・転院するという知らせもあって、かなりな難産であることが予想できた。北陸道の永平寺の結構が左手はるかに見えるころが、あとから聞いてみるに、山だったとか。津野氏の菩提寺・元亨院の総本山である永平寺さんに向かって、出産の無事を繰り返し、繰り返し二人してお祈りを続けた。
やっと無事出産とのメールが届いて、尼御前のSAに滑り込み、流れる嬉し涙を拭き合った。
もしろん後日、永平寺さんにお礼まいりに参じたことは言うまでもない。翌年4月26日のこと。
それにしても、4人の息子に、3人の孫が全員男の子。ほんと女の子にはご縁がありません。
いまや女の子の孫の誕生を内心願っておりますが、これだけは授かりもので、コウノトリの御意に任せる他ありません。

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