書きますよ~皆さんついてきてくださいね!
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龍馬検定・神戸編を見事合格された庫山堂先生から度々CMを寄せて頂く。誠に有難いことです。
その中で、先生日々の学習結果をj報告頂き、そのうえ質問まで頂く。
今回の御指摘は、龍馬の父、直足・ハ平は実潮江村白札山本覚兵衛次男で坂本家に婿養子に入った人であり、その妻・幸は直澄・八蔵の娘とされていたが、八尋舜右著「坂本龍馬」によれば、八蔵夫婦には子供が無く、井上某から娘を養女に迎えていたので、結果夫婦養子の形になったとのこと。
早速、土居晴夫先生著の「坂本龍馬の系譜」を開いてこのことを確認してみる。
龍馬の系譜研究では、身内の系図を調べた土居晴夫先生以上の信頼出来る書は無いと思うが、いくら読んでも八尋氏の指摘されるような記述は見られない。
かくなればその本を入手して吟味確認する必要があります。
庫山堂先生どうかお手柔らかにお願いいたします。
その中で、先生日々の学習結果をj報告頂き、そのうえ質問まで頂く。
今回の御指摘は、龍馬の父、直足・ハ平は実潮江村白札山本覚兵衛次男で坂本家に婿養子に入った人であり、その妻・幸は直澄・八蔵の娘とされていたが、八尋舜右著「坂本龍馬」によれば、八蔵夫婦には子供が無く、井上某から娘を養女に迎えていたので、結果夫婦養子の形になったとのこと。
早速、土居晴夫先生著の「坂本龍馬の系譜」を開いてこのことを確認してみる。
龍馬の系譜研究では、身内の系図を調べた土居晴夫先生以上の信頼出来る書は無いと思うが、いくら読んでも八尋氏の指摘されるような記述は見られない。
かくなればその本を入手して吟味確認する必要があります。
庫山堂先生どうかお手柔らかにお願いいたします。
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今日日本代表のPK場面を何度見たことだろう。
3番手駒野の番になってこれはヤバいと声を挙げていた。結果球は非情にもバーを叩いた。
岡田監督が最後は自分の勝という執念が足らなかったとコメントしていたが、このPKの人選にまで考え抜いていたかどうか。玉田に蹴らせる選択は無かったのかな。
そして俊輔。これほどワールドカップとの巡り合わせの悪い男も珍しい。
今大会にしても、大会前2年間は完全に俊輔を軸にしたチーム作りだったはずで、予選突破を果たしたうえでの俊輔の役割と貢献が有ったからこそ今回の大会出場が決まった。
このブログでも本大会でラッキーボーイが出れば日本も何とかなるとして、弾けろ本田圭祐と励ましたことが的中したが、俊輔へのリスペクトを忘れたかのような報道ぶりに腹が立つ。
昨日までの絶対エースが、じっと出番を待つ辛さ。それも殆ど監督からの声が掛かる状況ではなくなってもベンチに座り続けなければならない身の置き所の無い虚脱感。
それを振り払ってチーム一丸を演じ続けた俊輔。その悔しさは如何ばかり。
かくなれば胸を張って帰ってこい。・・・泣くな俊輔。
3番手駒野の番になってこれはヤバいと声を挙げていた。結果球は非情にもバーを叩いた。
岡田監督が最後は自分の勝という執念が足らなかったとコメントしていたが、このPKの人選にまで考え抜いていたかどうか。玉田に蹴らせる選択は無かったのかな。
そして俊輔。これほどワールドカップとの巡り合わせの悪い男も珍しい。
今大会にしても、大会前2年間は完全に俊輔を軸にしたチーム作りだったはずで、予選突破を果たしたうえでの俊輔の役割と貢献が有ったからこそ今回の大会出場が決まった。
このブログでも本大会でラッキーボーイが出れば日本も何とかなるとして、弾けろ本田圭祐と励ましたことが的中したが、俊輔へのリスペクトを忘れたかのような報道ぶりに腹が立つ。
昨日までの絶対エースが、じっと出番を待つ辛さ。それも殆ど監督からの声が掛かる状況ではなくなってもベンチに座り続けなければならない身の置き所の無い虚脱感。
それを振り払ってチーム一丸を演じ続けた俊輔。その悔しさは如何ばかり。
かくなれば胸を張って帰ってこい。・・・泣くな俊輔。
坂本龍馬は慶応元年(1865)薩摩藩の援助を受け、長崎の伊良林に日本最初の商社・亀山社中を創設した。
当時この小高い丘一帯を亀山と呼び、亀山焼きの古窯跡もある。
龍馬と社中はこの場所を拠点に、貿易や人脈づくりに奔走。
ブーツを履いた龍馬や社中の制服の白袴で街を闊歩する姿はかっこよく、街の人々の噂の的となっていました。
ところで神戸から長崎に本拠を移した龍馬達がたちまちのうちに社中を立ち上げて商社活動を始める上で役に立つと言うより、其れを可能にしたのが今回私が辿って来た勝・龍馬の旅を通じて勝から龍馬へ授けられた長崎人脈があったからだ。
長崎海軍伝習所で伝習中に築いた勝の人脈は多岐に渡り、その全てを長崎滞在中の1ヶ月余の間に龍馬へと繋いで行った。
小曽根・大浦お慶・グラバ^ー等知られた人々の他にも多くの人々との繋がりを持ち、特に勝の薩摩藩とのパイプを利用出来るようになったことが重要であったに違いない。
それが証拠に慶応元年夏頃に社中を立ち上げると同時に薩摩藩の名義でイギリス・グラバ^ーから小銃・船舶を購入し、長州藩へ輸送している。
そう考えれば、神戸での海軍操練よりも、この旅での収穫がその後の龍馬の運命を決めることになった訳だ。


亀山社中資料館で富山のお龍さんと

ブーツの前で高知・須崎のおんちゃん親子と。偶然にも須崎・弘田(従姉弟)の知り合いだった。

当時この小高い丘一帯を亀山と呼び、亀山焼きの古窯跡もある。
龍馬と社中はこの場所を拠点に、貿易や人脈づくりに奔走。
ブーツを履いた龍馬や社中の制服の白袴で街を闊歩する姿はかっこよく、街の人々の噂の的となっていました。
ところで神戸から長崎に本拠を移した龍馬達がたちまちのうちに社中を立ち上げて商社活動を始める上で役に立つと言うより、其れを可能にしたのが今回私が辿って来た勝・龍馬の旅を通じて勝から龍馬へ授けられた長崎人脈があったからだ。
長崎海軍伝習所で伝習中に築いた勝の人脈は多岐に渡り、その全てを長崎滞在中の1ヶ月余の間に龍馬へと繋いで行った。
小曽根・大浦お慶・グラバ^ー等知られた人々の他にも多くの人々との繋がりを持ち、特に勝の薩摩藩とのパイプを利用出来るようになったことが重要であったに違いない。
それが証拠に慶応元年夏頃に社中を立ち上げると同時に薩摩藩の名義でイギリス・グラバ^ーから小銃・船舶を購入し、長州藩へ輸送している。
そう考えれば、神戸での海軍操練よりも、この旅での収穫がその後の龍馬の運命を決めることになった訳だ。
亀山社中資料館で富山のお龍さんと
ブーツの前で高知・須崎のおんちゃん親子と。偶然にも須崎・弘田(従姉弟)の知り合いだった。
龍馬の銅像がある風頭山から中島川東岸に広がる町並みは古くから発展してきた街。
これぞ長崎の坂というより崖に段々に家並みが天を目指す。
亀山社中は頂上近くにあり、出来るだけ徒歩で来館するようにとの案内がある。
麓の駐車場に車を置き手製の案内地図を貰ってエンヤコラと坂を上る。
訪れる先はいろいろあるんだが、まずは若宮稲荷神社にお参りだ。
このお稲荷さんの境内に風頭山で腕組みして佇む龍馬像のひな型がある。
このお稲荷さんは勤皇稲荷とも呼ばれていて楠木正成の守り本尊と言われ志士のお参りも多かった。
おめあての立像は直ぐ見つかったが、何故かここでは長崎の海に背を向けて腕組みしている。
解説文によるとかの有名な龍馬立像写真で龍馬が差している脇差しは、正成が佩用していた刀を模したものだそうだ。そういえば神戸・湊川神社にも度々お参りしていた。



これぞ長崎の坂というより崖に段々に家並みが天を目指す。
亀山社中は頂上近くにあり、出来るだけ徒歩で来館するようにとの案内がある。
麓の駐車場に車を置き手製の案内地図を貰ってエンヤコラと坂を上る。
訪れる先はいろいろあるんだが、まずは若宮稲荷神社にお参りだ。
このお稲荷さんの境内に風頭山で腕組みして佇む龍馬像のひな型がある。
このお稲荷さんは勤皇稲荷とも呼ばれていて楠木正成の守り本尊と言われ志士のお参りも多かった。
おめあての立像は直ぐ見つかったが、何故かここでは長崎の海に背を向けて腕組みしている。
解説文によるとかの有名な龍馬立像写真で龍馬が差している脇差しは、正成が佩用していた刀を模したものだそうだ。そういえば神戸・湊川神社にも度々お参りしていた。
京大グランドは左京区吉田山にある。我々年寄りには吉田山と言えば三高逍遥の歌「紅燃ゆる岡の花」を思い浮かべる。
紅燃ゆる岡の花。早緑匂う岸の色。都の花に嘯けば、月こそかかれ吉田山。
その吉田山の麓。ふり向けば五山の送り火で有名な大文字山(如意ガ岳)の大の字が見える。
それも近くに一乗寺あり黒谷の会津藩が本陣とした金戒光明寺ありとうろうろキョロキョロ。
1時からのキックオフには少々間がある到着。偶然車を止めたのが吉田神社の参道前だった。
全国の吉田さんの名前のルーツと言われる神社だそうで、淡水サッカー吉田前会長も京都堀川の出身だ。
自然と足が向いて、今日の必勝祈願をお願いすることにして、大鳥居をくぐり本殿へ。
その途中、左手にゲージが設えてあって、クジャクが2羽羽を休めていた。
特に左のゲージのクジャクは今迄見たことのない真っ白な羽根。
へー真っ白い孔雀なんて初めてお目にかかると弘子ちゃんと近づいて行くと突如羽根を全開にしてこちらを威嚇。
眩しいぐらいの壱点の汚れも無い扇をサッと開いたような見事な姿に、これは今日の試合の白星を告げる瑞兆なんだと身勝手な解釈。
いやそれよりも淡水サッカー2部復帰を告げる予兆ならんか。

紅燃ゆる岡の花。早緑匂う岸の色。都の花に嘯けば、月こそかかれ吉田山。
その吉田山の麓。ふり向けば五山の送り火で有名な大文字山(如意ガ岳)の大の字が見える。
それも近くに一乗寺あり黒谷の会津藩が本陣とした金戒光明寺ありとうろうろキョロキョロ。
1時からのキックオフには少々間がある到着。偶然車を止めたのが吉田神社の参道前だった。
全国の吉田さんの名前のルーツと言われる神社だそうで、淡水サッカー吉田前会長も京都堀川の出身だ。
自然と足が向いて、今日の必勝祈願をお願いすることにして、大鳥居をくぐり本殿へ。
その途中、左手にゲージが設えてあって、クジャクが2羽羽を休めていた。
特に左のゲージのクジャクは今迄見たことのない真っ白な羽根。
へー真っ白い孔雀なんて初めてお目にかかると弘子ちゃんと近づいて行くと突如羽根を全開にしてこちらを威嚇。
眩しいぐらいの壱点の汚れも無い扇をサッと開いたような見事な姿に、これは今日の試合の白星を告げる瑞兆なんだと身勝手な解釈。
いやそれよりも淡水サッカー2部復帰を告げる予兆ならんか。
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ふるさと高知と龍馬をこよなく愛し、元気に活動中。
永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)
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