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 津本氏の「私の履歴書」⑫から、明石への動員令が下り、和歌山中学4・5年生400名が明石の川崎航空機工場への派遣が決まった様子や、地元での反応が描かれ始めている。
戦時中の不思議、あるいは不条理は多々あるが、記事中、和歌山三菱に熊本の学生が招集され、地元の和歌山の学生がわざわざ明石へ遣らされる。なんとも理に合わないことがまかり通っていた。
この気持ちのくすぶりは和歌山中400人のなかでくすぶりt続けていて、そのうえに明石・玉津寮での劣悪な住食環境が重なり、当時としては考えられない全員集団脱走という騒ぎを引き起こした。
昭和19年9月13日のこととある。
この前代未聞の集団脱走はその規模の大きさと、確かに劣悪すぎた待遇の反省もあって、表ざたにされることなく治められたが、やはり首謀者グループへの弾圧と、陰険な報復、そしてひそかに行われたのこりの和歌山中生の分散があった。
まさにかの226事件の際、命令で訳も分からずクーデターに参加させられた将兵が、その後戦死率の高い最前線の弾よけに転属させられていたと同じ報復だった。
津本氏の明石・玉津での記述は⑳で終わったが、氏がその後の明石市街への無差別爆撃には会っていないこともわかった。
氏が命からがら逃げ降りたのが和坂(かにがさか)で、12畳に9人も詰め込まれていた玉津寮とは、今リハビリテーションになっている曙町あたり。我々には玉津診療所と言ってもらった方が判りやすい。
明石高校音楽部で同じトロンボーンを吹いていた秀才西江君は、この診療所の医師の息子だったはずだ。 

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 2008.7.12のブログで作家・津本陽の和歌山中学4年生時、はるばる明石・川崎航空機での勤労奉仕体験と大空襲の模様を記した記事を紹介した。
12月に入って日本経済新聞の「私の履歴書」で津本陽氏が筆を取り始めると同時に、この明石での勤労奉仕・大空襲の詳しい記述があるものと期待していた。
前回はこの地、明石でまさか坂本龍馬を書かせれば当今第一任舎である津本陽氏が苦労をされていたんだという驚きが勝っての取り上げでしたが、あれから一年余、よくよく考えれば、当時小生は4歳2ヶ月。その当時のことなどまったく記憶にないんだが、唯一小高い丘に立って眺める空が真っ赤に燃えあがっている光景を思い出す。
これが津本陽氏が描くところの川崎航空機明石工場大空襲と符合する。
両親が居を構えていた西新町は川崎航空機明石工場とは指呼の距離で、爆弾が工場をそれて着弾する範囲もいいとこだ。祖父の散髪屋の知り合い客を頼って今の西区上津橋へ疎開していた。弟はその馬小屋で生まれている。
お互いB29の爆音のもと、生きるか死ぬかの状況下にあった連帯感のようなものを感じるわけだ。

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 現役・OBの念願の2部復帰を掛けた最期のチャンスをつかみ損ねて一夜が明けた。
関西学生リーグを勝ち抜くためには前後期20試合をこなし、その上順位戦2試合を戦い、なおかつ最期のチャンスとしての入れ替え戦があります。
ほぼ半年を掛けての長期戦を戦う。それには我々の時代では考えられないほどの困苦と忍耐と勇気と努力そして英知が求められる。その上クラブとしても最低25名のメンバーが居ないことには安定したメンバーが組めないことになる。エースに頼っての幸運を願ってはいられない。総合力・総力戦を展開しないことには、息切れして失速しかねない。
早速、幹部交替があって、新しい指導者のもと来年を戦うことになるんだが、今年得た教訓をことごとく引き継いで実力向上を目指して欲しい。実践サッカーを身に付けて欲しいと願います。
この想いはOB全員の願いであり、来年は、より一層の応援と援助を贈り続けることは当然。OBとしても気付いた反省・改善を自らに課して悔いのない80周年の年を過ごしたいものです。
応援OBの皆様に心よりの感謝。

木下名誉会長挨拶・特に連戦応援にかけつけたOB連に心からの御礼。

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的場淡水サッカークラブ会長挨拶

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 必勝を期して臨んだ入れ替え戦。
前半10分、県大待望の先取点が入った。
敵味方の守備・攻撃のすきまにポトリと入った1点。
これがもっと決定的な形での得点であったなら、その後の形勢は違ったものになったに違いない。
この後の大成学院の2点は完全に県大の守備を突き破ったものだった。
多分幸運な先取点が却って命取りになった。
入れ替え戦はそんなに甘くはない。
負ければ3部転落の相手も必死。そして全体的にサッカーの巧さ馴れでは大成学院がやはり一枚上だった。
2部の荒波でもまれて、スピードこそそんなに差は感じなかったが、バックから前線へのボールの受け渡しでは完全に負けていた。なにしろ行きあたりばったりにしか見えない試合運び。
がむしゃらを通り越しての空回りが目立つ。1対1での余裕の無さ。球際の甘さ。相手の逆を取るダッシュ・ターンが身に着いていない。無意識に体が動かないといけない。不用意なチャージで攻撃の流れを変えてしまった。2TOPが機能していないなど、反省点は挙げられるが、さてお前がやってみろと言われれば、出来るはずもない。
どの試合でも敵方ゴールまじかで県大のゴールを待ち続けてきました。
そして今日、今期最期の1点を連写。
どうか、この1点が来季の2部復帰に繋がりますように願うばかりです。
もう2010年リーグは始まっているんです。
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 摂南大寝屋川グランドで12:30から行われた入れ替え戦。
2部9位の大成学院大との入れ替え戦チャレンジは寒風吹きすさぶ中、多数のOB来援の中行われた。
前半10分県大待望の先取点を入れる。
続いての得点で勝利を確定すべく声援をおくるが、前半はそのまま1-0で終了した。
全員で円陣を組み、現役・OB挙って気合を入れる。「死んでも勝ってこい」。
戦況は現役報告を待つとして、たびたびのチャンスをものにできなかった運の無さ。
後半、遣らずもがなの1点を入れられて1-1で前後半を終えた。
大会ルールによると、このあと10分ハーフを最大2回まで行い、そえでも決着がつかない場合は再試合となる。
延長戦最初の10分前後半、依然1-1のまま。
しかし、その後の10分ハーフの前半、ついに相手に1点を献上す。
必死の追い上げをみせるも、体力の消耗は激しく、敵味方双方足がつるもの続出した。
終了のホイッスルと共に、新田・西・米田らがたまらず倒れ伏す。
その肩は悔し泣きに震えていた。
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ミーテイング等終えた後、新田主将たまらず泣き伏す。新田・西・竹内・米田泣け爽やかに。

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