書きますよ~皆さんついてきてくださいね!
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
前回大雨のためグランド泥濘状態となり、前半終了時1-2で負けていた大工大戦が中止となり、明日再試合。
これで秋季リーグ最終戦となる。
あの泥んこ試合をあのまま続けていたら負けていたかもしれない。それを考えればあの中止で救われたことになる。ならば、この幸運を味方につけない手はありません。
大工大は兵教大戦でも後半40分まで0-0でかなり優勢だった。これは直にその試合を偵察しての感想だ。
当面は兵教大戦対策としての観戦だったが、収録ビデオには大工大の感想もコメントしておいた。
後半40分、あの兵教大10番森谷にゴール前こぼれ球を拾われての1点。2点目はまたまた森谷に気落ちした瞬間を突かれてのもの。
京大戦に勝った勢いを忘れず、決して大工大を侮ってはなりません。明日はその確認のためのみの応援となります。現役・西君もそのことは試合報告に書いているので心配しすぎなのかもしれません。
さて、大工大に勝って無事リーグ優勝を獲得した後は、A・Crリーグの1位との3チームでの順位決定戦を2試合戦い、上位2校が2部へ自動昇格となる。
Aリーグは大阪大(勝ち点51)で決まりで、Cリーグは同じく明日の再試合を残しているが、多分大阪大谷大(勝ち点56)が1位となるのが順当。
私的には、2回生の時京極での入れ替え再試合を制して2部に復帰した相手が奇しくも大阪大だ。
是非とも、その時の再現を図って、もちろん2勝を目標に、歓喜のグランドに立たせてもらいたい。
これで秋季リーグ最終戦となる。
あの泥んこ試合をあのまま続けていたら負けていたかもしれない。それを考えればあの中止で救われたことになる。ならば、この幸運を味方につけない手はありません。
大工大は兵教大戦でも後半40分まで0-0でかなり優勢だった。これは直にその試合を偵察しての感想だ。
当面は兵教大戦対策としての観戦だったが、収録ビデオには大工大の感想もコメントしておいた。
後半40分、あの兵教大10番森谷にゴール前こぼれ球を拾われての1点。2点目はまたまた森谷に気落ちした瞬間を突かれてのもの。
京大戦に勝った勢いを忘れず、決して大工大を侮ってはなりません。明日はその確認のためのみの応援となります。現役・西君もそのことは試合報告に書いているので心配しすぎなのかもしれません。
さて、大工大に勝って無事リーグ優勝を獲得した後は、A・Crリーグの1位との3チームでの順位決定戦を2試合戦い、上位2校が2部へ自動昇格となる。
Aリーグは大阪大(勝ち点51)で決まりで、Cリーグは同じく明日の再試合を残しているが、多分大阪大谷大(勝ち点56)が1位となるのが順当。
私的には、2回生の時京極での入れ替え再試合を制して2部に復帰した相手が奇しくも大阪大だ。
是非とも、その時の再現を図って、もちろん2勝を目標に、歓喜のグランドに立たせてもらいたい。
PR
2009.6.30のブログ「さくらんぼうと玉の緒地蔵」で意外な場所で三島由紀夫慰霊の碑を見つけたと記載している。あの市谷駐屯地に殴りこんで割腹自殺して果てた三島由紀夫が、意外や意外、加古川の志方出身であることは、ほんまかいなと念を押したほど結び付かなかった。
その後も気にはなってはいたものの、三島文学にそう惹かれることも無かったことから、実際に調べてみようという気にはなりませんでした。
そして偶然開いた塩田晋座談の中で先生が加古川ー三島由紀夫の関係を述べておられるのに出くわした。
『三島由紀夫さんは、本名平岡公威さん。加古川の人だというのを加古川では知らない人が殆どですね。
徳川時代、先祖が西神吉の宮ノ前から志方・上富木にやって来た。もう何代も前ですがね。私の親父が小学校時代に、三島由紀夫のお祖父さんが志方を出まして、(帝国大・現東大法科卒ののち)岩手県の小沢さんの関係がある原敬という平民宰相。この人の懐刀でやっていた。樺太長官から満鉄総裁になるときに、それが実現しないで引退した。これがお祖父さん。内務省の名簿を見ますと、平岡定太郎、お祖父さんは明治25年の採用なんです。
私は昭和25年の採用で同じ名簿に載っています。息子さん、つまり三島由紀夫のお父さんも農水省、当時、岸信介と同期生で、一緒に東大を出て農商務省に入った。
当時、そのあと商工省と農林省に別れた。
岸さんは商工省に行き、平岡さんは農林省に残った。最後は農林省の局長をやりました。
岸信介は総理までなりましたから。親父さんはそうゆう関係。
息子の三嶋由紀夫さんや弟さんも皆官僚だったんです。
三嶋由紀夫は御存じの通り大蔵省で、弟さんは外務省。「仮面の告白」に少し出てくるんです。
志方に帰って徴兵検査を受けた。加古川で受けた。ということは本籍が亡くなるまで志方にあったんです。(注結婚に際して戸籍について確認騒動があり本籍を東京に移している。)
お祖母さんに言われて「お前は体が弱いから田舎に行って徴兵検査を受ければ兵隊に取られないだろう、行って来い。」と。
私と同年輩ですから、一緒の人が徴兵検査を受けた。その時、学習院の服装で来ていたものだから目立っていたでしょうね。見ていると、これくらいの米俵を地元の青年が軽々何回も上げるのに彼は胸までも上げられない。青白い。それでボデイビルをやったんです。そんな状況です。
すべると思っていたのに通つてしまった。それで入隊して病気になって帰ってきた。
親父さんと一緒に東京へ志方から帰っているんですよ。それでそのまま終戦になったんです。
もっと三島由紀夫を大事にしなければいけないと地元の人に言っているんです。
命日が11月25日で、私はちょうど当時、福岡県の労働部長をやっていたんです。
知らせが東京から入りまして、そのうちに亡くなったらしいと聞いてびっくりしました。
「なんで、死ななくてもいいのに。」と。
そのあくる年び志方に帰って、成人の日に、三島由紀夫の話をしたんです。
「皆さんと同じ、当時はまだ志方は町でしたからね、志方町に本籍があったんですよ、皆さんと戸籍が同じだったんですよ」と。志方には記念碑が立っている。そこに大阪や姫路からボランティアーで清掃してくれることが何年も続いている。私もずっと行けなかったのが、2・3年前から行くようになりました。この間も一緒に清掃したんです。
三島由紀夫のお祖父さんのお兄さんが平岡万次郎、お兄さんが次郎で、弟さんが太郎と言うんです。
この方が国会議員として明治の初めから4期、務められた。そういう意味では私は志方の2代目なんです。そんなことで色々な関係があります。』
その後も気にはなってはいたものの、三島文学にそう惹かれることも無かったことから、実際に調べてみようという気にはなりませんでした。
そして偶然開いた塩田晋座談の中で先生が加古川ー三島由紀夫の関係を述べておられるのに出くわした。
『三島由紀夫さんは、本名平岡公威さん。加古川の人だというのを加古川では知らない人が殆どですね。
徳川時代、先祖が西神吉の宮ノ前から志方・上富木にやって来た。もう何代も前ですがね。私の親父が小学校時代に、三島由紀夫のお祖父さんが志方を出まして、(帝国大・現東大法科卒ののち)岩手県の小沢さんの関係がある原敬という平民宰相。この人の懐刀でやっていた。樺太長官から満鉄総裁になるときに、それが実現しないで引退した。これがお祖父さん。内務省の名簿を見ますと、平岡定太郎、お祖父さんは明治25年の採用なんです。
私は昭和25年の採用で同じ名簿に載っています。息子さん、つまり三島由紀夫のお父さんも農水省、当時、岸信介と同期生で、一緒に東大を出て農商務省に入った。
当時、そのあと商工省と農林省に別れた。
岸さんは商工省に行き、平岡さんは農林省に残った。最後は農林省の局長をやりました。
岸信介は総理までなりましたから。親父さんはそうゆう関係。
息子の三嶋由紀夫さんや弟さんも皆官僚だったんです。
三嶋由紀夫は御存じの通り大蔵省で、弟さんは外務省。「仮面の告白」に少し出てくるんです。
志方に帰って徴兵検査を受けた。加古川で受けた。ということは本籍が亡くなるまで志方にあったんです。(注結婚に際して戸籍について確認騒動があり本籍を東京に移している。)
お祖母さんに言われて「お前は体が弱いから田舎に行って徴兵検査を受ければ兵隊に取られないだろう、行って来い。」と。
私と同年輩ですから、一緒の人が徴兵検査を受けた。その時、学習院の服装で来ていたものだから目立っていたでしょうね。見ていると、これくらいの米俵を地元の青年が軽々何回も上げるのに彼は胸までも上げられない。青白い。それでボデイビルをやったんです。そんな状況です。
すべると思っていたのに通つてしまった。それで入隊して病気になって帰ってきた。
親父さんと一緒に東京へ志方から帰っているんですよ。それでそのまま終戦になったんです。
もっと三島由紀夫を大事にしなければいけないと地元の人に言っているんです。
命日が11月25日で、私はちょうど当時、福岡県の労働部長をやっていたんです。
知らせが東京から入りまして、そのうちに亡くなったらしいと聞いてびっくりしました。
「なんで、死ななくてもいいのに。」と。
そのあくる年び志方に帰って、成人の日に、三島由紀夫の話をしたんです。
「皆さんと同じ、当時はまだ志方は町でしたからね、志方町に本籍があったんですよ、皆さんと戸籍が同じだったんですよ」と。志方には記念碑が立っている。そこに大阪や姫路からボランティアーで清掃してくれることが何年も続いている。私もずっと行けなかったのが、2・3年前から行くようになりました。この間も一緒に清掃したんです。
三島由紀夫のお祖父さんのお兄さんが平岡万次郎、お兄さんが次郎で、弟さんが太郎と言うんです。
この方が国会議員として明治の初めから4期、務められた。そういう意味では私は志方の2代目なんです。そんなことで色々な関係があります。』
日本のケネデイを目指されておられた淡水OB・塩田晋元衆議院議員(高商16回)の座談を淡水第50号記念号(平成16年)で拝読。
昭和51年ー61年先生の選挙区が3区明石・加古川の当時、高木学長の号令の下、淡水会明石支部はほとんど塩田晋選挙対策本部と化しておりました。
川崎重工明石事務所長藤田修作先輩を司令塔として、川重労組(民主党)と協力。たびたび決起集会を開き、選挙公示日には川重のJAZZBANDととも私もラッパを抱えてトラックに乗り込み明石市内を練り歩いたり、挙句は明石デパートでの決起集会では応援弁士まで勤める肩のいれようでありました。
その塩田晋先生の懐かしい座談を淡水誌上に発見。選挙結果も詳しく書かれていて、結局は国政選挙5勝5敗であったことを確認。
東京の往き帰りにお店に顔を出していただき、食事を召し上がりながら政局を語っていただいた。
引退されたのち、側近グループの一員として淡路へ記念旅行にお招きいただいた思い出も思い浮かぶ。
先生はそのあと平成17年12月11日にお亡くなりになり、加古川の事務所に駆け付けた有様も今は懐かしい。
御話では神戸商船大ー神戸経専(神戸商大)ー神戸高等商業(現神戸大学)ー京都大学と承って居りましたが座談では商船が抜けておりましたね。
戦後労働省での苦労は大変なもので、今では信じられないほどの労働争議も多発するなか、志を持っての政界進出であったとか。
一昨日のブログにも書きましたが、商大の性格上政界で活躍されたOBも希少で、市会・県会議員まではちらほら見かけますが、国会議員となりますと塩田先生一人という寂しさでありました。
その先生が古里加古川・志方を懐かしむなか、三嶋由紀夫について触れられております。
PS. 学部16回同期の岡田述史の御子息が加古川選出の民主党・岡田康裕衆議院議員であると昨日知りました。なにやら因縁めいたものを感じます。
昭和51年ー61年先生の選挙区が3区明石・加古川の当時、高木学長の号令の下、淡水会明石支部はほとんど塩田晋選挙対策本部と化しておりました。
川崎重工明石事務所長藤田修作先輩を司令塔として、川重労組(民主党)と協力。たびたび決起集会を開き、選挙公示日には川重のJAZZBANDととも私もラッパを抱えてトラックに乗り込み明石市内を練り歩いたり、挙句は明石デパートでの決起集会では応援弁士まで勤める肩のいれようでありました。
その塩田晋先生の懐かしい座談を淡水誌上に発見。選挙結果も詳しく書かれていて、結局は国政選挙5勝5敗であったことを確認。
東京の往き帰りにお店に顔を出していただき、食事を召し上がりながら政局を語っていただいた。
引退されたのち、側近グループの一員として淡路へ記念旅行にお招きいただいた思い出も思い浮かぶ。
先生はそのあと平成17年12月11日にお亡くなりになり、加古川の事務所に駆け付けた有様も今は懐かしい。
御話では神戸商船大ー神戸経専(神戸商大)ー神戸高等商業(現神戸大学)ー京都大学と承って居りましたが座談では商船が抜けておりましたね。
戦後労働省での苦労は大変なもので、今では信じられないほどの労働争議も多発するなか、志を持っての政界進出であったとか。
一昨日のブログにも書きましたが、商大の性格上政界で活躍されたOBも希少で、市会・県会議員まではちらほら見かけますが、国会議員となりますと塩田先生一人という寂しさでありました。
その先生が古里加古川・志方を懐かしむなか、三嶋由紀夫について触れられております。
PS. 学部16回同期の岡田述史の御子息が加古川選出の民主党・岡田康裕衆議院議員であると昨日知りました。なにやら因縁めいたものを感じます。
この11月、まさに紅葉真っ盛りの頃、20日までの間嫁の弘子ちゃんは皆生温泉・東光園に湯村温泉・井づつやへと出かけ、大山の紅葉が最高とかの報告は聞いたがまるで実感が湧きません。
おまけに15日から18日本日までは姉妹旅行と称して北海道ツアーに姉妹3人と次女の長女のグループでお出かけ。朝も早くから頻りに写メールを送ってくる。早速返事をしないと後が恐ろしい。
この時期の北海道も御印程度の積雪で、これも良いものらしく、毎晩の姉妹宴会も楽しく、今日千歳で積雪フライト不能になればいいのにとかぬかす。
本土を離れての長期滞在をいいことにいろいろ怪しからんことも考えてはみるが、敵の居らぬ間の洗濯は卑怯千番との良心の声が邪魔をして可愛らしく在宅の日々でした。
何処かしこに行ったと脳天気に報告している側から、ひたすらおとなく在宅勤務。おまけに先日から糖尿の数値が上がっているとかで食事報告書をこの一週間書くようにとの掛かり付けのお医者からのお達しもあって、食事で気をまぎらわすのもできません。まこと一人ぼっちの辛いこと。
おまけに15日から18日本日までは姉妹旅行と称して北海道ツアーに姉妹3人と次女の長女のグループでお出かけ。朝も早くから頻りに写メールを送ってくる。早速返事をしないと後が恐ろしい。
この時期の北海道も御印程度の積雪で、これも良いものらしく、毎晩の姉妹宴会も楽しく、今日千歳で積雪フライト不能になればいいのにとかぬかす。
本土を離れての長期滞在をいいことにいろいろ怪しからんことも考えてはみるが、敵の居らぬ間の洗濯は卑怯千番との良心の声が邪魔をして可愛らしく在宅の日々でした。
何処かしこに行ったと脳天気に報告している側から、ひたすらおとなく在宅勤務。おまけに先日から糖尿の数値が上がっているとかで食事報告書をこの一週間書くようにとの掛かり付けのお医者からのお達しもあって、食事で気をまぎらわすのもできません。まこと一人ぼっちの辛いこと。
最近はBSフジプライムニュースに嵌っています。
この情報番組は独特のカラーで、まず出演者の顔が見慣れないこと。
もうお馴染みのコメンテーターとやらのその場のお茶を濁すようなコメントを聞き飽きている耳には誠に新鮮。
報道ステーション・古館さんの毎度の悲憤慷慨も辛いものがあります。
一応キャスターといった感じの反町氏がてっぺんハゲを気にする風もなく、メモを取りとり専門家に質問を投げかける。それを八木亜季子キャスターがフォローしてゆく。
それも毎回、テーマをほぼ1つに絞って80-90分掛けて本当の意味で検証してゆく。
昨日は今旬のJAL再建問題を取り上げてあらゆる面から掘り下げていた。
何しろ、クソメデイアに刷り込まれているJAL問題もこうして聴いてみるとまた違った問題の本質が見えてくる。
そのコメンテーターの中に町田徹氏の名前があり、そのテロップに神戸商大卒とあった。
かねがね真剣に、実証的掘り下げで面白い論評を展開している氏のことは、面白いと好感を持っていたが、その彼が淡水メンバーだったとは、勉強不足でした。
学校の性格上、実業界には綺羅星のごとく人材を輩出してきたが、ジャーナリストで名を高めた方は、かのサッカー部OB、国際ジャーナリストの名を欲しいままにした大森実氏と経済評論家で一家言を確立の内橋克人氏の御両名しか思い浮かばなかった。
早速、名簿を繰ってみると学部34回卒。日経記者を経て執筆評論活動をなさっている。
もちろんHPにもお邪魔して、氏の得意とする分野も確認した。
実に面白い。有名両氏とはまた違ったアグレッシブな実証を展開。当分目が離せない。
この情報番組は独特のカラーで、まず出演者の顔が見慣れないこと。
もうお馴染みのコメンテーターとやらのその場のお茶を濁すようなコメントを聞き飽きている耳には誠に新鮮。
報道ステーション・古館さんの毎度の悲憤慷慨も辛いものがあります。
一応キャスターといった感じの反町氏がてっぺんハゲを気にする風もなく、メモを取りとり専門家に質問を投げかける。それを八木亜季子キャスターがフォローしてゆく。
それも毎回、テーマをほぼ1つに絞って80-90分掛けて本当の意味で検証してゆく。
昨日は今旬のJAL再建問題を取り上げてあらゆる面から掘り下げていた。
何しろ、クソメデイアに刷り込まれているJAL問題もこうして聴いてみるとまた違った問題の本質が見えてくる。
そのコメンテーターの中に町田徹氏の名前があり、そのテロップに神戸商大卒とあった。
かねがね真剣に、実証的掘り下げで面白い論評を展開している氏のことは、面白いと好感を持っていたが、その彼が淡水メンバーだったとは、勉強不足でした。
学校の性格上、実業界には綺羅星のごとく人材を輩出してきたが、ジャーナリストで名を高めた方は、かのサッカー部OB、国際ジャーナリストの名を欲しいままにした大森実氏と経済評論家で一家言を確立の内橋克人氏の御両名しか思い浮かばなかった。
早速、名簿を繰ってみると学部34回卒。日経記者を経て執筆評論活動をなさっている。
もちろんHPにもお邪魔して、氏の得意とする分野も確認した。
実に面白い。有名両氏とはまた違ったアグレッシブな実証を展開。当分目が離せない。
カレンダー
04 | 2025/05 | 06 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | ||||
4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 |
18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 |
25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
リンク
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
最新記事
(12/10)
(03/07)
(09/29)
(07/06)
(03/22)
最新TB
プロフィール
HN:
つのしん
HP:
性別:
男性
職業:
企業向不動産仲介・企業立地
趣味:
ボランティア活動
自己紹介:
ふるさと高知と龍馬をこよなく愛し、元気に活動中。
永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)
永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)
ブログ内検索
アーカイブ
最古記事
(03/08)
(03/12)
(03/12)
(03/16)
(03/23)
カウンター