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だてに25年やっていたわけではありません。あらゆる競技の基礎となる走ることの大切さを伝えただけでも値打ちが有るというもんです。
②岡村哲郎トロンボーンリサイタル・西馬健史トランペットを迎えて
駅伝大会の打ち上げが3時からあり、それに引き続いてアスピア・明石市生涯学習センター9Fホールで、表記のコンサートに駆けつける。岡村君は23歳、大久保北中、明石南高校と過ごしたトロンボーン奏者。恩師である山口博之教諭・トロンボーンの影響を受けソリストを目指している一方西馬君は1歳年上で神出中、明石北高校と過ごしたトランペッターだそうな。
両人ともいまが鳴り盛り、新進気鋭の若者だ。そして言わずと知れた、我がアンサンブルコンテスト出身であることは言うまでもない。聴衆の前で、妙なる音楽を奏でることの嬉しさと心地よさと緊張を覚えたに違いない。
演奏そのものを、どうこう言うほど私に確固たる音楽根拠があるわけではない。ただただ伴奏のピアノ奏者も含めて、この明石でかくなる音楽会が開かれるということに感謝感激あるのみ。
岡村君に関しては、5年後の円熟したころにもう一度是非聞いてみたい。曲そのものの大局理解と、音色の磨きあげ、そしてもう一段の響きが加われば。
西馬君に関しては、さてこれからどんなペットを目指すのか、重大な岐路にたっているように感じた。
マルサリスのような軽快自在な方向か、音色に特長をもたせた味のあるペットを目指すのか。
そして案外二人のDUOが聴かせましたね。一人で吹く時より、音の広がりが何倍にも感じられました。
出来れば、このDUOは今後も続けて欲しいものです。
という訳で、この2月28日が至福の一日と申し上げた訳が御分かり願えたことでしょう。
親がなくとも子は育つ。 いい種がまかれれば大輪の花が咲く。
しみじみありがたい一日でありました。
ここ3-4日雨ふりが続いていたのが嘘のように、青空が広がった2月28日(土)。明石公園の陸上競技場周辺は、早朝から第23回小学生駅伝大会の参加者と父兄・応援団で賑わっておりました。
周辺道路は、ウオームアップするグループが行き交い、スタンドは応援の兄弟父兄で埋め尽くされた。
開会は9:30から、去年の優勝校から優勝旗の返還があり、選手宣誓の後、大会運営上の諸注意がされ、市内各校ごとのプラカードの元集合した小学生は3年から6年生の1400余名に達していました。
1984年(昭和59年)2月明石チッビコマラソン大会と名打って開催した市内小学生5・6年生対象の駅伝大会。意外と好評を博し、次年度以降も明石人丸ライオンズクラブの主要アクテイビティとして継続されることになり、2回目以降は小学生駅伝大会と名前を変更した。
この駅伝大会の発想のきっかけは、事業担当の第3副会長として、なにか面白いアイデアはないか模索していた私に、山口光紀君が、長姉の旦那は市陸上連盟の役員をされていた柴田先生で、先生の力を借りれば、青少年育成にピッタリな事業ができるかもしれないとの申し出。さっそく陸連で今、なにがやりたいか聞いたところ
駅伝形式の中距離競走の大会が望まれるとの返事がかえってきました。最初は5・6年生に限り、駅伝グループのみとしておりましたが、その後参加対象を3-6年としたことや、駅伝のほかに自由参加のタイムトライヤルを男女別、学年別で付け加えたことから、年々参加者は増え続け、去年1200人、今年1400余人もの規模にまでなりました。
第6回大会がちょうど明石人丸ライオンズクラブの20周年に当たったことから、当時瀬古選手と並び人気のあった新宅選手をゲストに招き、ブラスバンドの演奏まで繰り出してのにぎわいとなりましたが、それでも参加者は5・6年生男女59チーム472名参加の記録が残っています。
会場入りAM8:30。明石市民会館アワーズホール付属のモンデンコーヒーにひとまる倶楽部会員5人が勢揃。開会式と表彰式には参加。他有志が会場の特設席に姿を見せる。驚いたのは本日審査をお願いしている先生方6人のうち、たぶん3人の先生は明石出身で、このコンテスト出場経験者。そうなんだ27年という年月はそれだけ幅広く成長しているんだ。もちろんその先生方に共通しているのは、現役出場の時、すでに一頭抜け出た存在で、その後が嘱望されていたことであります。原石の輝きは覆い隠されることなく、成長を続けてゆく。
我々はほんのお手伝いができれば、これほど嬉しいことはありません。
思いがけず、開会の御挨拶を任されて、言いたいことの半分も言えなかったことを反省しながらも、会場の皆さんに無理やりの拍手を求め、あと10年は続けましょうと約束できたことが、最大の収穫でした。
しかし怖いもんですね。特に中学生レベルでの演奏の出来不出来は、まるで先生方の資質と熱意を鏡の如く写し出していて、このコンテストは先生方の通信簿であることに気がついた。
あるいみ、先生方は歳を取りましたね。昔、しゃにむに突っ走っていた先生も、ある意味要領をかましているように見えた。この程度で出演させるなよと言いたくなる出来のグループも正直ありましたね。
先生方の切磋琢磨の時期はとうに通り過ぎて、それぞれが自身の定位置に身を置いて疑わない。
こうなれば、少々生徒が可哀想。今後の問題は、この団塊の先生方後の中学校の新鮮な指導者の出現・引き継が上手く行くか行かないか。そこまで考えておかないと、明石地区の近年の中学レベルでの低迷にいっその拍車をかますことになりかねない。
高校レベルでは、明石南の自信にあふれる演奏が目についた。やはり勢いのあるバンドはモノが違った。
城西は相変わらず金管が良く鳴った。
明石高校のクラリネットも良かったんじゃないかな。
高校生ともなると、うまくなろうとの勢いはだれも止められないんだ。
ふとタコフィルならぬ、タコブラスを中学・高校それぞれに選抜して、好みのバンドを編成してみたくなった。
ひとまる倶楽部比嘉会長さまから電話があり、明日のアンサンブルコンテスト開会の挨拶をまかせるとのこと。
思えば昭和57年(1982)2月20日第一回のアンサンブルコンテストを明石北高音楽部顧問の松井隆司先生と手探りで始め、今年で27回目。私はその間商売の撤退戦のためライオンズを退会し、15年ほど留守にしており、ひとまる倶楽部がこの事業を一昨年引き継いだことから、やっと去年の大会から復帰を果たした。
よくぞ今まで継続してくれたと、気持ちはまるっきり「父帰る」。とあれば、明日のご挨拶もそんな気持ちを込めたものになりましょうが、それは私の心に秘めて、会場を埋め尽くす1000余の中高生に、このアンサンブルコンテストのそもそもの主旨をせつめいしてご挨拶とするつもり。日頃、原稿など書いたことは無いけれど、明日だけは、簡単明瞭に思いを伝えたい。・・・と言う訳で。
「会場の皆さんおはようございます。このアンサンブルコンテストの主催者であります、ひとまる倶楽部より一言申しあげます。そもそもコンテストと言い、音楽に順位をつけるなんておかしいなとの思いがあります。しかし音楽を聴いてもらい、楽しんでもらう上で、ある程度の水準まで演奏力を高める必要があります。今回中学生の諸君の中には、初めてこの厳しい舞台を踏む方も居られるでしょう。その諸君には、おじ気ず、力一杯の演奏をお願いします。もう何度か出演経験のある高校生諸君には、前回以上の演奏が出来るように、細心の注意をはらって下さい。また先生方、審査員の皆様も、責任重大です。あえて原石と申しあげますが、未知の可能性を秘めた学生諸君の演奏で、キラリと光る輝きを見逃すことなく、良いところは大いに取り上げてほめてください。そういう意味で、明石の吹奏楽を目指す諸君の登竜門としての役割をこの会ははたしてきているつもりです。
さて、おじさん、いやおじいさんも、実は中学1年からトロンボーンを吹いて、今年で55年を数えます。諸君と同じプレーヤーと思っています。その立ち位置から考えて、このアンサンブルコンテストほど、有り難いものは有りません。この会を主催してくださっているひとまる倶楽部のおじさん達、運営に汗を流してくださってる先生方、スタッフの皆さんに、開会に先立ち、感謝のきもちを込めた大拍手を送りたいと思いますがいかがでしょう。
・・・今の大拍手でこのコンテストが10年は続くこと確実となりました。・・・以上一言申しあげました。」
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永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)