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その後書きに曰く、
「このコンテストは明石市東部の、明石、人丸、中崎、朝霧、松ヶ丘の市立5校と、神戸大学附属明石小学校のご参加を頂きました。暮れの忙しい時期にもかかわらず、各校の校長先生、担当先生にはおしみなきご協力を賜りありがとうございました。
いただいた作品は、どれもこれもが大切なものであり、全作品をこの冊子に盛り込みたいところであります。しかし、あえて審査を行い表記のような結果を得るにいたりました。審査をお願いしました作文・明石小学校校長、三谷正信先生、絵画・鳥羽小学校校長、中井禎一先生には、コンテストの主旨の心よりの賛同をいただき、全幅のご協力をいただきました。
作文を読み進み、絵画を鑑賞しながら、遠い昔の自分をふりかえることさえ出来ました。
本当に、こんなに楽しみながら、この冊誌を編集できたこと。心より感謝いたします。
出品された小学生諸君、いいプレゼントをありがとう。」とあります。(2作品掲載)
この明石人丸ライオンズ20周年記念事業として同時に発表されているのは、
第8回アンサンブルコンテスト、第6回小学生駅伝、それとミニ消防車装備一式を明石の消防署に贈呈するとともに、笹川良一氏の財団からの援助を受けて明石幼年消防クラブを長寿院保育園の協力を頂いて結成しました。
今日まで続いているアンサンブルコンテストに小学生駅伝と良いアイデイアがそんなに沢山あるわけもないし、継続性のある事業はとてもじゃないが財政が許さない。それでもいまこの時点で意義のあるものを取り上げなければならない。
そこで考え付いたのがまず明石海峡大橋が完成する10年後の明石はどうなっているのか、小学5・6年生を対象に作文を募集し、厚かましいことながら優秀作品を選び作文集を作ることだった。題して『10年後のふるさと明石を語る』。
当初作文のみ考えていたが、文より絵が得意な子供たちもおろそかにできないということで『郷土明石の身近な文化財』絵画コンテストも同時に行い、色刷りとはいかないが作文集に合わせて掲載することになった。
そうと決まれば後は日頃の人脈を頼って早速お願いに走りまわる。
常々、明石の小学校教諭の中でも作文といえば明石小学校校長の三谷正信先生、絵画といえば恐らく40年のお付き合いになろうかという鳥羽小滑降校長中井禎一先生と頭にありましたから、あとはお願いにあがるのみ。両先生ともお話を申し上げますと即座に了承して下さり、募集範囲を旧明石市内の6小学校と私の母校神戸大学教育学部付属明石小学校の5・6年生とすることまで決定した。
出来あがったのは70ページほどの小冊子であったが、そのもう一つの目的は10年後、明石海峡大橋がかかる頃。この子たちが、大学を卒業して社会人になる頃、もう一度読み返してくれたなら、どんな感想を持つだろうかということだった。
もちろん、この作品群は明石勤労会館で展示会を開いて一般市民にも披露した。
ところが、この明石人丸ライオンズが3年前に解散、10年後を期してこの子たちに呼びかける母体がないまま
私も手を拱いて今日にいたっております。
改めて拝見そてみるに、このまま埋もれさせておくには惜しい宝物であると自認。機会を見て呼びかけ発表をしないともったいない気がしております。
LAではユニバーサルスタジオ・チャイナタウン・ビバリーヒルにロデイオドライブと聖地のごとく巡礼する。
MGMホテルのライオンの口を摸したベガスの派手派手さとは違って、LAの天文台から見渡す夜景の素晴らしさ。ビバリーヒルズの有名スターの豪邸巡り。チャイナタウンのハリウッドスターのゲイリークーパーの手型に歓声を上げ、モンローのスカートを覗き、ロディオドライブのブランドショップを冷やかす。
ブルースブラザーのそっくりバンドやデキシーバンドの生演奏。
ユニバーサルスタジオ前のレストランでのOCEAN GRILLでの豪華ディナーなど、確かに写真に写っているところを見ると、実際に行ったんだ。
それほど記憶は薄れていないながら、その順番となると解らなくなる。
この街で三男は4年余頑張ってくれたわけだ。
たくさんの仲間が出来、生まれて初めて勉強にも打ち込んだ。
日本からは私の高校の同期生の姉弟とも知り合ったらしいが、ほとんどが日本人街に閉じこもり、ろくに英語も話せないままに帰って行くとか。
三男はこののちPA関連、録音技術の専門学校へも通いライセンスを習得して帰国した。
未だに口癖はいずれLAに帰りたいだ。
このひと時のバカンス、命の洗濯をして日本・関空に帰ったのが5月30日。
翌6月3日には淡水サッカー総会となる。
グランドキャニオンから帰った夜はベガスで一泊。
この前のブログでは泊まったホテルをルクソールとしましたが、実は同じライオンイメージのMGMホテルと取り違えておりました。
ベガスのよるはイルミネーションに彩られた不夜城で、不思議の国に迷い込んだ感じがいたしました。
夜の帳がおりると、ベガスは魔法にかけられたように表情を一変する。
博打とショーと享楽の町、ソドムとゴモラを合わせても、その罪深さは足りたもんじゃない。
ピューリタンの国でこのゴミ溜めのような街が何故存在するのか。
だけど、一歩この街に足を踏み入れれば、とたんにそんなことなどすっ飛んで、享楽の罪びとの輪に飛び込んでしまう。・・・あな恐ろしや。
そんな印象の中、強烈に頭に焼きついていたのが、ピエロをモチーフにしたホテル・レストラン・カジノ複合の
CIRCUS CIRCUS のイルミネーションでした。
この印象が忘れられず、明石ジャスコ8階でお座敷マルイチとMUSICレストランBOSSA RIOをオープンした際、8Fフロア全体を GOOD TIME CIRCUS(古き良き時代の広場)と名づけました。
日本でいえば熱海の駅に着いた途端からパチンコ・スロットルが出迎えてくれるような情景だ。
その夜の宿は、今思えばスフインクスとピラミッドで有名な、かのホテル・ルクソールだったんだ。
なにしろ、フロントから部屋に行く道中の長かったこと。いったいどれぐらい広いんだか。その道中にありとあらゆる博打場・ゲーム機が並んでいる。お約束の妖艶美形のお姉さまがバニースタイルでたばこを売り歩いテイる。スロットルを試みてみるに、すぐにコインは無くなった。それではということで、何処だったかそっくりさんショーを見物に行く。プレスリーやらモンローやらシナトラらしきものまで、入れ替わり立ち替わりの登場。しかし感心したのは、おミュージックだけはモノホン(本物)だった。
翌日グランドキャニオンへはセスナで。飛行場にはずらりとキャニオン行きのセスナが並んでおりました。
そのうちの一機に乗り込む。パイロットはサングラスが良く似合うナイスガイ。8人だったと思う人数で満席となった。
離陸してしばらくは、不安定な乗り心地と、プロペラの騒音に驚きながらも、眼下に広がる砂漠が段々とあのグランドキャニオン風の景観に変わってゆくのに見とれていた。おまけに同時に飛び立ったセスナと競争さえ始めた。ところが、行程の半分が済んだ頃、一天にわかにかき曇り、大粒の雨が風防ガラスを激しく叩き始めた。
と同時に、乱気流が起こったのかセスナは大きく翼を上下させる。あっと言うまに、急降下に移り眼下の渓谷を流れる川面がはっきりと見える高度まで降下する。こうなれば親子三人顔を見合せて座席にしがみついているしかありません。
吐きそうになるのをこらえてやっとキャニオンの飛行場に着陸した。
出迎えたガイドが大声で叫ぶのが聞こえる。「皆様素敵な昼食バイキングを用意しております。」
誰一人として食事に向かう人はおりません。
帰りはセスナは嫌だと、ほかの方法を聞いてはみたが、バスに乗ってベガスまで半日はかかるとか。
仕方なく帰路もセスナとなったが、先ほどの嵐は嘘のような快晴となり、十分グランドキャニオンの峡谷を楽しむことができました。
後日、といっても、我々が飛んだ一週間後ぐらいに、JTBのツアー調査団一行6人を乗せたセスナが墜落、
乗務員とも全員死亡との事件が起こった。・・・ベロベロセブン危機一髪
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永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)