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8d018b7a.gif 皆さんは若山セツ子さんという女優さんを御存じですか。
戦後早々の銀幕を飾った純情可憐な女優。決して主演という位置には居なかったけれど、彼女のいつも恥ずかしげな風情が忘れられない。1929.6.7生まれだから随分と年上だけれど、明石駅前・映画館街の顔役だった私が繁々と彼女出演の東宝映画を見ていたのを覚えています。
確か、唇の左上に小さな黒子があって、ますます可愛さを増していた。
彼女の運命を決したのは1947『銀嶺の果て』に出演したことだろう。三船敏郎、志村喬といった名優に伍して春坊役での出演だった。その可憐極まりない彼女を監督の谷口千吉にやられちゃったんだ。二人目の嫁さんになっちゃった。その後千吉は八千草薫を3人目の嫁さんに迎え、先年95歳とかで亡くなった。
一方セツ子さんは19855.5.9 55歳の若さで首つり自殺してしまった。・・・千吉さん何てことしてくれたんだ。
『青い山脈』の丸メガネの女学生和子、清水次郎長のお蝶さん役など良かったな。
そのセツ子さんが居たんです。確かにテレビで見たんです。
一昨日、古賀誠が東京都議選やらそのまんま東との経緯を批判され、席を蹴って辞任宣言をした直後、記者の囲み、ぶら下がりの輪の中でコメントを述べている口元に、必死にレコーダーを差し出している記者たちの一人。画面右の位置で埋もれる様にして頑張っている、若い女性記者の顔。
びっくりしましたよ。雰囲気といい、口もとの黒子といい、まるでセツ子さんに生き写しと一瞬思えましたね。
国会の修羅場の取材には似つかわしくない彼女はいったいどこの誰でしょね。
それ以来、政局のニュースがある度に、政治家ご本人より取材の記者の群れのほうが気になって仕方がありません。・・・あの子は誰、誰でしょね。
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 与謝野財務相が顔をひきつらせて麻生首相との面談に出かけていく姿が大写しとなる。
一説によれば退陣勧告、首相と刺し違えるとも。もしや、与謝野が大政奉還言上かと期待した。
でもたぶんそうではないだろう。ニュースステーションでの星解説委員の話によれば、東京都議戦惨敗の総括無くしては、総選挙を戦えない。故に両院議員総会を開いてその場を作れとの申し入れとか。
多分これが真相でしょう。というのも与謝野氏の東京都の選挙区の自公と民主の獲得票の差からいっても、御自身の選挙が危うい。都議のドンと言われた配下の都連幹事長議員が、公示9日前に立候補を表明した民主の若手に首を取られた。そんな中、同じ状況で総選挙に突っ込むのは、2度目の万歳攻撃をすると同じ。玉砕は必定といえる。だって海江田万里が牙を研いで待ち構えているに違いない。
しかし、この平成幕末のドタバタ劇を見せられている私には、登場人物をこれは阿倍、これは井伊などと似たような人物になぞらえてみたり。その混乱ぶりからして次の展開を予想したりの現在進行中を楽しむという怪しからん行いに耽るくらいしか手はありません
それにしても、痲生将軍の馬鹿さ加減は、徳川慶喜がとてつもなく偉く見えてくるという副作用を及ぼす。
これがかの吉田茂の孫なんだって。土佐ッポの欠片も見せてくれない。
ここまでコケにされている将軍様も珍しい。たぶんご本人は悔しいおもいで居られるだろうが、夜も寝られずとまでは行ってない様子で、毎朝ランニングを欠かすことなく、登城の御挨拶も元気なものだ。
たぶん将軍様になることが目的で、なって国民のためどうしてやろうかなどというお考えは微塵も感じられない。
そんななか、どこを探しても、勝・龍馬になぞらえる人物が見つからない。
それに代わって元将軍の馬鹿顔がやけに目立つ。海部ってまだ居たんだ。
とりあえずは、元・前将軍の6名はこの際、引退をお願いします。
悪人ずらで走り回っている中川秀直はとりあえず後藤象二郎といえば後藤が怒るでしょう。
そして決定的なのは、勝・龍馬の役割を果たすべき人物の完全欠落という不幸。
北朝鮮がミサイル7発ぶっ放しても何とも言わない、感じないこの危機感の無さ。龍馬が聞けば卒倒もの。
いま平成の御代にあるのは船中八策ではなくて、完全無策に違いはありません。


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この同窓コネクションは不動産仲介の駆け出しの頃の私にとって、思いがけない武器となりました。
このダブル・頭突き契約の後も、ほんと うにたびたび同窓の助け舟で成約に至った案件多数。
かくして10年の年月を数え、今は信頼してお任せ下さる先も出来、期待に添える働きを心がけるまで成長したつもりです。この10年の成約案件につきましては、まだまだ生々しくて、HPにUPできません。
ただ、前にも書いたように、遂に我が天職に辿り着いた手ごたえを感じていることは確かです。
判断を求める側から、判断を促す立場へと移るとともに、一層責任ある仲介を行う責任がついてまいります。
私がお世話するお客様の最大のメリットを確保するため全身全霊を持って取り組んでいます。
かくして、地を這いずりまわった30年を無かったかのように思える今日ながら、何時の場合もやってることはほとんど同じで、何とか目前の問題を乗り越えることに全力を尽くしてきたこと。それによって、問題解決能力が多少は身に付いてきたのでしょう。ただ不動産仲介の場合は解決したことに対する報酬が大きいことが幸いしているわけ。
それと商大を卒業して勤めた株式会社 入江商店で経験した、富士製鉄・八幡製鉄後に新日本製鉄という世界的巨大会社の現場を走りまわったことで、巨大組織・会社法人に対して何の引け目も感ぜず相対することが出来ることです。
臆せず企業にコンタクトをとり、その企業のための最大メリットの物件を探し、最速でプレゼンスする。するとその営業過程で同窓コネクションの助け舟が現れる。
そして今は、同窓の相方まで獲得してほんとうに贅沢極まりない仲介をいたしております。
後、N先輩を見習えば15年は働ける。
そして、そろそろ仲介から不動産の新しいビジネスモデルを構築出来るような予感もあります。
要するに、我が人生もまんざら捨てたもんではなかったようです。

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 同じ区画といえる近い場所に、ある工務店が所有して今は閉鎖している事務所・作業所1200坪がありました。
ちょくちょく売りそうだという話は流れていて、実際の買い手が現れれば直接話をしようと思っていました。
窓口はその工務店の子会社の不動産会社だ。
12月9日のfaxから始まって、周辺物件の検討を終えて、隣地のM運送に交渉と決まったのが暮れも押し詰まった12月27日だ。
メモを見てみると、この時点でもまだ決定ではなかった。最終決定したのが1月14日のこと。しかも3月以内の取得という条件がついた。
そうなれば肝心なのはM運送の移転先。K工務店との第一回目の交渉が1月20日だった。
この窓口のD不動産の顧問をされていたのが元S信託BKに居られたAさんだった。
Aさんのお世話でまずは値段決定と買付証明書の提出とはなしが進み、いろんなお話をする中で、『ところでAさん、僕の高校時代・音楽部の同級生でM君というのが、最終本店監査役にまでなっていたが御存じですかと聞いてみると、『親しいも何も彼が若かりし頃三宮支店で一緒だった』という。この奇遇に驚き、その上は私のことをM君に確かめてみて下さいとお願いした。
実際にAさんがそうされたかどうかは別にして、その日からガラリと接し方が違ったのはたしかだった。
交渉の最中に別のオファーがあり、当方の値段よりやや有利な条件を出してきたときに、敢然とそのオファーを断ってくれて、建築条件付きという工務店にはありがたい条件をのんでくれればOKという段取りまで付けて下すった。その建築条件たるや事務所の内装手直しくらいのことで、決して判断を左右するほどのものではありません。
かくして、移転先を先行契約・決済したのが2月3日というスピード。
本体の2000坪決済は3月9日一発決済で決着を見た。
このあとにも5000坪を二つ割りにして両方をほぼ同時に決済するという案件もこなしたが、この時のように、まるで因幡の白ウサギが海を渡るように、次々と手助けして下さる人が現れるなんて、神さまからまだ見放されてはいないのかもという証しを頂いたような心地がしたことでした。







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 早速同社を訪問する。東灘区深江の本社はいままでは100円ライターとかテフロンフライパンとか、かなり隙間を狙ったお仕事模様だったが、ここにきて携帯の爆発的普及で、バッテリー用の材料生産が追いつかず、一日も早い生産設備の増設が至上命令となっていた。
選択肢としては、別の場所にあ10,000坪規模の新工場建設の計画もあったが、私がfaxしたことで、とりあえずは3,000坪を5,000坪に拡張して対応することも併せて検討ということになったらしい。
隣接地には1,000坪もの建機用の大型修理建屋も付いていて、そのままの転用が可能なことも幸いした。
結局この時に新設工場に踏み切っていたら、その後の景気の変動とと携帯の頭打ちに会い、危ないところだった。
普通、そこそこの企業にはしっかり銀行系の不動産会社が付いていて、今回の場合でも、買い手のお世話はわが社がと出張ってくる可能性がありました。そうなれば折角の案件の手数料もかなり目減りすることになる。
それと、なによりもそんなところが入れば話の進めようも不自由になりかねない。
そこで、事前に調べていたS業の社長さんが神戸商大9回卒である事を幸いに我が社一社での直接仲介を申し入れた。もちろん私が16回卒の後輩であることも申し添え、おまけに私が唯一会社勤めした株式会社 入江商店の河合副社長が9回の同期であったことも。
話は進み無事買い手は我が方一社は確定し、S工業さまの購入予算まで聞き出した。
そこでかねてからの知人であった岡田某(故人)が売り土地のオーナーの兄弟の不動産会社にいたことを思い出して連絡をとる。
この時に交渉窓口の選定を誤っていたらと思うとゾッとする。やはり事情を知る者の強さ。この窓口から売却の相談を持ちかけたのが、売り手のプライドを傷つけずに本音を聞き出すベストだった。
それも、売りはするが同時に半分ほどの移転先を見つけろという注文が付いてきた。
なんと頭突き契約だ。しかも同時実効が必要十分。その後の経験からも、世間一般からも、こんな厳しい仲介はお目にかかっていない。それも移転先は今からの話で白紙状態だ。
いまなら、きっと出来ませんわと箸を投げかねない難しさ。・・・どうするどうする。





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