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 明石西二見町南ふたみの人工島には小は300坪からアサヒ飲料のように3万坪はあろうかという大工場までが操業中だが、景気の上下に影響され、拡張したい工場があれば、売却したい工場も出てくる。
その内部事情はなかなか掴みにくいところだが、求人広告を見ていると求人大募集とあり、それも24H操業3交代とあるS工業の広告を見つけた。その時は今時景気の良い業種もあるもんだとの印象。業種を詳しく見るとレアメタル加工とあった。このレアメタル加工が伸び盛りの携帯電話のバッテリー用に欠かせない材料ということまでは知る由もない。ただ地図上でその位置(約3000坪)だけは確認した。
一方、さまざまな物件情報が交差する中で、存じよりのM運送がどうやら工場(2000坪)を売るかもしれないとの
早耳情報をキャッチする。もちろん地図にて位置を確認すると、かのS工業の東隣だ。
この業界、物件の確認も大事だけれど、なによりも先に物件紹介したものが仲介の主導権を任される。
一刻も早くせめてFAXを入れておかないことには、後からのこのこ申し入れたところで、もう聞いていますの一言でアウトとなります。
といっても、いまだにこの時ほどの無謀な紹介はそれ以来していない。なにかに突き動かされる様に、売却予定とのみ記して値段もなにも分からない状態で、S工業・総務・担当者様と宛名してFAXを入れた。
内心は駄目もとで、FAXを入れた段階で一応気はすんでいる。
ところが10分もしないうちに電話がかかってきた。『是非とも隣地でもあるし購入検討したい。地続きでもっと広がっても良い』という実直そうな課長の声がした。1999年12月9日のこと。


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 どうもお勤めには縁がない。何事もせずにはお金は降ってこない。無駄飯というものを頂いたのはこの下水営業のひと月のみ。以降ノートを埋め尽くす物件とその営業経緯を振り返るに、とことん無駄な動きを臆せずやり続けている。いややり通すことが目的となっているといっていい。物件の選択も、取扱分野の確定もないまま出会い頭の偶然をあてにするかのような日々を過ごす。
この時代2軒の不動産会社にお世話になったが、いずれもフルコミッションの営業社員で、自分の餌は自分で銜えてこないことにはおまんまは当たらない。
実際、この身分だとこの仕事を何時でも止められて後腐れもないと考えていた。
しかし、仲介を重ねてゆくに従って、やはり自分の会社を立ち上げて責任ある営業をしないことにはいずれ限界がやってくると予感した。その上60前の年齢がこの世界ではまだまだ先がある見本を身近に見て、まだ20年は頑張れる・楽しめるということが分かって参りました。
事実私がパパとあがめるN社長は10歳上で、まだ10年は頑張ると仰る。N不動産のN社長にいたっては神戸高商の16回生。僕が不動産を始めたのは60を過ぎてからだよと仰る。現在御年83歳で現役バリバリ資産ドッサリ。
このことからして、わが身に春秋は十分ありと分かる。さすれば今までお店を開いて待ち受けるだけの商売から、買い手・売り手の懐に飛び込んで行ける営業力さえ発揮すれば事は自然と進んで行く筈だ。
そこで思い出したのが親父の親友だった誠興業の久保田社長の一言だった。川崎重工の協力会社として瞬く間に事業を広げて居られた久保田社長は見るからに闘志の塊のような小柄だが迫力のある身体つきだ。
それもそのはずで、明治大学ラグビー部の猛者だったとか。その社長は50過ぎの若さで亡くなったけれど、一日お話を伺った際に、明治ラグビーの名物監督・北島忠治師の話を聞いた。
私が監督の指導方法を伺ったところ、久保田社長曰く監督がおっしゃるのは次の一言だったとか。
『前へ、前へ、(それでだめなら) なんとかしろ』
サッカーとラグビーの違いがこの一言にある。サッカーなら敵に詰められればパスを交わして場面の展開を図ることができる。しかしラグビーに求められるのは自分自身で何とか場面を打開しなければならない突破力である。
エンドラインを目指してひたすら敵方に突っ込んで行く。身は潰され倒れて初めてそにポイントが出来次の展開が開ける。
この時期、信頼すべきパートナーを持たない身にはサッカー型の営業は望むべきモなく、それこそ一人で『なんとかする』しか道はないのである。
しかしこの世界何とかするために使える武器を手に入れなければ自分一人が空回りするだけに終わる。
そんなとき、この10年を決定ずけた大型案件の仲介過程で神の助けかと感じたある出来事にぶつかった。


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 この大貧乏時代、もちろん手を拱いていたわけではありません。
一日求人欄を見ていると協和という会社が求人。年齢不問・経験不問・営業とあった。
会社の場所も明石市江井が島とすぐ目と鼻のさきだ。なんの営業かと電話して尋ねると下水管直放に伴う工事の営業とか。ようするに下水管本管が通った地域の家の便所を浄化槽を廃止して直に下水管に流す工事を取ってこいということ。
しかも、最初の一月は研修期間として20万ほど支給するという。
仕事の内容よりも研修費支給に魅かれて早速面接にいきました。
ゴタゴタと片付かない事務所。便器やら何やら転がっている中で、最初はベテラン営業マンについて回って仕事を覚えろという。場所は主に加古川市市街地。
これがなかなかの仕事で、家々の浄化槽を見つけるのが最初にやる仕事。この浄化槽には必ず抜気の煙突があって、すぐにこの煙突を探せばいいことに気づく。
難しいのは見ず知らずのお家にピンポンと鳴らして話をきりだすこと。
ただでさえ人相が良くないのにと思いながら、ローラー作戦で訪ね歩く。
ほんと20万もらおると思えばなまじゃありません。浮世の風の冷たさを感じながら覗いて回った便所・浄化槽が3000軒は越しただろう。
お陰で、明石・加古川・播磨町・稲見町の細かい所までの地図が頭に入っちゃいました。
結果、6月1日から8月31日までの3ヶ月間這いずりまわったけれど、どうもこの仕事にはなじめませんでした。
取った注文が3件。これでは歩合もたいしたものにはなりません。
営業日誌を見ると、貴崎町の電工会社の営業倉庫。両面道路4割という建売向き宅地総額8000万ほどがやっと成約をみている。
昼間便所ばかり覗いていた生活ともお別れして、やはり不動産仲介オンリーで精をだすことになった。

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CIMG5297A.jpg
























今日は今年度第1回目の宅建研修会。西明石の産業交流会館での開催。すこし早目に会場についたので、3階交流ルームを覗く。まあいつ来てもこののんびりさはどう。官が提供できる資料に限りがあるといっても、ここまで少ない資料でなにを見ろというのかな。とくに地理的資料が皆無。産業地図さえ備わっていない。
ないをもって交流というのか。わかんねえな。
それでも何かと探してみると、日経ビジネス・プレシデントなど年間購読誌が各種取り揃えてあった。
これは掘り出し物よとページを捲るのに、ほとんど詠まれた形跡がなかった。これは今後の穴場ですよ。
ところで講習会。いつもなら受付の段階である種の熱気がある会なのにどうも静かな雰囲気。
会場内もいつもなら講習会そっちのけであちらこちらで情報の交換が行われて賑やかなのに、皆さんしらっけた顔付で着席し静かなもの。
出席数もかなり少ないようだ。
N商事N社長に御挨拶。縣案の状況を説明しながら、今日はえらい人数が少ないようでと聞くと確かにそうだとか。
開会の御挨拶からして、今の時期をなんとか乗り切り生き残りましょうだった。
今回は特に若い人の姿が見えない。年寄り組は講習の内容よりも出席の印鑑が大切だ。
その気持ちは講師の皆さんにも伝わったのか、ひとしきり講演して質疑を求めても反応なし。
皆さん早々に演台を下りて行かれた。
こんな不景気どうなるとボヤク気力も失せたよう。急に皆さんの顔が老けてみえてきました。
おまけに我が恩師のパパさんも本日欠席だ。
近所の七夕飾りでも写して景気回復の願いを込めよう。
ほんとはこんな時こそ日頃の営業努力が実るようなチャンスを掴んでこなくてはなりません。



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 いよいよ身仕舞いの時、この年2月24日最後の砦・さんようも退去。
つまんでいた手形貸付の商工ローン・日栄とイッコー対策として手形不渡りを7月2日と8月3日だした。
この間、常々情報収集していたサラ金対策で有名な宇都宮弁護士に連絡を取り、神戸で同じ分野で連携のある神戸合同法律事務所・辰巳弁護士を紹介してもらい、逐一相談した上での手順でありました。
早速、『やってくれましたな』と怖い電話が懸ってくる。といっても迷惑をかけるのはこの2社のみ。
イッコーはこれまでの利息を差し引き計算すると元金完済となるので問題なし。
一方日栄はお付き合いの期間がまだほんの少しだったことから、弘子ちゃんの親父・義父から300万を拝借して弁護士を通じて弁済する。結局この問題が最終解決をみるのは平成14年7月150万の追加支払いまでかかった。ほぼ元金相当だ。7月26日にはこんな状況を心配して次男夫婦が夏休みの間ロンドンから一時帰郷。
8月21日には明石の親戚一同に声をかけてまことにささやかな食事会を開き披露のかわりとした。
このときのことが未だ心苦しい思い出になっている。二男には十分なことをしてやるどころか、余計な心配と経済援助の迷惑をかけた。おまけに7月26日と8月24日の2回、保証人として辰巳弁護士と面談までさせた。
この年、19月から平成12年3月まで、大貧乏時期が到来することになる。
なにしろ日銭が入らない。手を食って足まで食っていたんだが、まがりなりにもお金は回っていたのが、完全に止まった。
もちろん不動産仲介に励むしかないと頑張るが、不思議とこの時期成約がない。片手間でやっていた時の方が実績を挙げている。あまりの必死さが仕事に余裕を無くしていたんだ。
備忘録にも平成11年19月ー平成12年3月大貧乏と記している。
タバコを止めたのがこの時。何しろタバコを買うお金が無い。故に何の苦もなく止められました。
貧乏は健康に効きます。

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