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元元喫茶であるはずが居酒屋座敷・玉子焼き・カラオケパーテイなどと一体この店は何屋さんと突っ込まれそうな有様。私自身の心中の混乱そのままのことになっておりました。
平成9年12月19日、海の中に沈みこんだような不景気の最中、どこで聞きつけたのか高知新聞・石井研記者が現れて来年4月5日開通と決まった明石大橋についての特集を連載しているので橋の袂である明石にいる高知人として取材させろとの申し出でだ。
この連載は「結ぶ」というテーマで43回にわたるなかなかの強力取材で、如何に土佐の人々がこの明石大橋の開通を固唾を飲んで見守っているか、その期待感が感じられるものでした。
しかし改めて紙面を見ますと、楽観的な記事は皆無で、特に神戸・明石近辺での取材記事は、大橋どころではない世情が書き記されております。
私の取材記事は明けて1月10日に掲載されました。
もちろん本業の売り上げではおっつかない分を不動産仲介で補てんしている状況。
この状況に甘えて本業とおもっているブラジルの維持を疑うこともなくダラダラと続けていた。
この2年間で仲介料が2000万に上っていたからこの油断は仕方ないかもしれない。
実際はこの時に不動産へと全面的に舵を切るべきだったかもしれない。
というのも、平成9年3月と平成10年2月それぞれ4億と16億の仲介がドタキャンの憂き目に遭っている。
ビギナーズラックに酔って、細心の注意を払うべき交渉が疎かになったからか。片手間での取り組みが逆目にでたのか。この空振りはすぐさま応えて、9年6月には後に痛恨の一事となる商工ローンの日栄からつまむという、絶対やってはならないことに手を出していた。それも二男を巻き込んで。
もちろん嬉しい出来事もありました。その二男のロンドン留学が6月6日に決まった。
製薬会社のプロパーでは面白くないと会社からの留学制度を利用してMBAを習得に行く。
そんな矢先、いよいよ手元が詰まって家族全員が魚住の自宅に集合して、今後どうするかの話となった。
今まで自分の思うままにやってきて初めて子供たちの意見を聞くこととなった。
結果、子供たちが1000万近いお金を融通してくれて、もう少し店を続けることになった。
こう書きながら、いろいろ資料・メモを見てみるに、この当時なんでここまで金詰まりとなっていたのか分からない。不動産の仲介料もそこそこありながらのこの体たらくは本業の思いもよらない低迷からとしか思えない。
9月6日には突如私自身一時狂乱状態に陥った。それまでいくら金に詰まってニッチもサッチモいかない時でも
こうはなりませんでした。しかし、この状況が続けば次男のロンドン行きに影響が出かねず、彼の人生までフイにするかも知れないと考えると、ほんと頭を抱え込んで喚き散らしておりました。弘子ちゃんの驚いたこと。
この時は弟が駆けつけてくれていろいろ事情を聴いてくれるなどしてやっと平常心を取り戻しましたが、それでも3日間ほどは放心状態が続いたことでした。
長年進和不動産管理と大書してある塀に囲まれた700坪ほどの一等地。
名前を書いてあるということは、売り物ですということ。それまで5-6年もお店に通う往復にその前を通る。
いやでも目に入る。
電話での手ごたえはまるでなかった。ほんとよく電話が掛かってきて、明日にでも買い手を連れてゆきますと約束して今まで一件も買い手の顔を見たことがないらしい。
三菱信託の子会社であることも判明。とすれば買い手を探すことと、三菱信託の親しい窓口を探すことが肝要。その時に思い出したのがこの師匠だつた。彼のパチンコ人脈で買い手を探し、私の商大ルートで信託窓口をさがした。
その経緯は前にも書いた如くだが、隣のパチンコ店に話を持ち込んでその気にさせる。信託は3年先輩のK氏が大阪で次長とかになっておられた。ここでの不思議は、この子会社の担当部長がK氏と同期の商大生であったこと。K氏もお安い御用とばかり、早速連絡を取っていただいて、君のことはよく言っておいたから連絡を取るようにと段取りをつけて下すった。
あとで判明したことだが、この時の買い手がとんでもない大物で、朝銀大阪の理事長さんの経営するパチンコグループだった。
そのあとの交渉は場所を朝銀理事長室で行われ、大金庫を背にした理事長主導で全てが運んだ。
物件前のバス停留所を動かすという難題はあったが、契約が成ったのが6月22日のこと。
この契約の最終決済は9月6日だったが、手にした777万の手応が我が行く道を指し示してくれました。
一方、日々のお店の営業を疎かにしているわけではありません。365日のうち362日は店を開け、BGを開け
何とか起死回生の策はないものかと考え続ける。
そこで考えたのが、2年後の迫った明石大橋の開通にともなう観光客の増加だ。
きっと明石にも客は来るだろうがその時の売りものといえば玉子焼き・明石焼きしかないだろうとなった。
早速安福の卵焼き鍋屋に押し掛けて、顔見しりを幸いに、鍋の手ほどきやら、材料のレシピやらの研究をはじめた。
そのころの卵焼きの売値が10ヶ500円。
一方で5億の契約をまとめ、一方では一鍋500円の明石焼きに没頭する。そしてそのギャップにさえ気が付かないで居る。確かにどこかおかしげなこととなっておりました。
確か平成16年から堺和泉高知県人会へ弘子ちゃんと表敬参加し続けております。
今や100万の人口を有し、政令都市となってはや3年。木原敬介市長も再選を目指して御挨拶に見えられる。
県会・釜中、市会・西村と御贔屓議員も顔を揃え来賓も40人と我が神戸の2倍の規模だ。
会そのものは第35回目の総会ながら、会長の大野楠教85歳翁の性格そのもののザックバランを絵に描いたような雰囲気です。
やく100人が勢ぞろいして大阪・みなみの皿鉢料理に舌鼓。もちろんお酒は土佐苓北・土佐酒造の桂月。
澤田社長ご夫妻も出席されて、乾杯の音頭はこの会のお約束だ。
それと大浜のICを下りたところで、八王大龍神・豊龍大神さまに真っ先にお参りするのも、ここ数年のお約束。
商売繁盛を祈って参りました。
総会では、堺・森岡章充副会長様から、お身体の具合はどうですかとお見舞いの言葉を頂く。
神戸の県人会HPを見ていて、偶然「つのしんの独り言」を見つけ、読んでみると、「津野さんあんたも前立腺がんをやったかね」ときた。
森岡さんも去年前立腺摘出手術をやったところとか。PSAも6ばあで、おんしと変わらんとの発言。
お年も昭和15年というから一歳違いで、よくもまあ似たものよねえと握手を交わした。
そのあとは、これもお約束の一つである泉佐野市大西の角にある居酒屋「たかだ」へ直行する。
泉州の海鮮をふんだんに美味しく安く提供するのがモットーとかいう嬉しいお店だ。
一年に一度しか行かないが店主が憶えてくれていて「お帰りなさい」と声がかかる。
大トロ・がっちょのから揚げ・泉州みずなす・子持ちシャコ・はげの刺身に煮付け・さざえ壺焼・渡りがに子持ち・すっぽんの一人鍋・うな丼ときて二人で諭吉一枚だ。
心配していた大阪国際大学との一戦は神戸が 2-1、(1-1)(1-0)で勝利。
前半先制するも後半追いつかれた40分過ぎ、1点を加えての勝利。
いままでの2敗はいずれも後半40分過ぎに一点を取られて涙をのんでいる。
試合内容は点差以上に開いていたらしい。
一方、3強のうち、京大と兵教大は 4-2で京大が勝っている。
となれば 現在 勝ち点が 兵教大 15 (3試合残) 県大神戸 18(2試合残) 京大 20(2試合残)
芦屋大との延期試合を残す兵教大とは同率となるでしょう。
神戸としては来週の大阪大外国語部を必ず破り、万が一にも兵庫大との試合を取りこぼしてはならない。
かくあって、やっと後期リーグ戦にて2部入れ替え戦の権利を獲得する望みがある。
とにかく、次戦 大阪大外国語部戦必勝を祈る。
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永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)