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龍馬研究家の講演を聞く、討論会でパネラーの発言を聞いて何か違うだろうと感じる。なぜ俺は、私は龍馬さんに魅かれるのか考えてみる。ところで龍馬さんのことをどこまで知っているのか試したくなる。
龍馬検定なるものが有るらしい。試しに受けてみた。案外易々と合格した人、日頃龍馬さんのことについては十分自信があって当然楽勝と思っていてが、あえなく不合格となった人。ところで君は龍馬さんの何を語れるかと言われて、はたと困った。龍馬さんのコスプレで満足していたんではないか。なにか龍馬さんから得るところがあって自分の処世に生かしているのか。細かな知識だけは人にまけないが、果たしてそれだけでいいのだろうか。確かに龍馬さんは無念の死を遂げたが、無念だったのは龍馬さんだけだったのか。現代のわれわれにとって実に無念なことではなかったか。なぜ死なねばならなかったのか。時代の断層に押しつぶされたに違いない。もし龍馬さんが生き続けておればどうなったろう。この日本は変わり得たのか。なにも変わらなかったのか。そして今龍馬さんが生きておれば何をなすだろうか。あの時代龍馬さんが持っていた時代感覚の鋭さを現代人はなぜ失ったのか。ただ眼を覚ましていないだけなのか。・・・そう「龍馬ならどうする」。
事実外敵、西洋帝国主義を一番警戒した一人であった龍馬。
薩摩・長州という不倶戴天の両者の手を握らせるために龍馬はなにを以てしたのか。徒手空拳、天下の素浪人、土佐脱藩・草莽の身一つ。天が龍馬さんにその運命を与えたとしか考えられない。
龍馬の死後、彼を取り巻いていた人々はどう変わったのか、変わらなかったのか。・・・・・
といっても今グーグルアースで距離を検索してみるに68キロと出た。
案外とヨーロッパは狭いんだ。
機上では去りゆくドイツ、遥かなるフランス、そしてあのドーバーを渡る間、窓から眼下を見つめっぱなしでした。歴史上のどれほどの出来事がこの狭い陸地で行われたことか。空から眺めれば、ドーバーを遂に渡れずに終わったヒットラーの歯ぎしりが聞こえてきそう。ほんと指呼の距離でしかない。
あとで知ったがフランスが宿敵ドイツを警戒して築いた防衛ライン、ヨーロッパの万里の長城と言えるマジノ線が空から見えるらしい。
ともかく日本の、それもちっぽけな明石の地で自業自得といいながら、七転八倒していた私を救いあげるかのようなこのアルプス縦走の旅行は、二男の結婚式という喜ばしいイベントとともに、一生忘れられないモニュメントとなりました。
この旅行を企画プレゼントしてくれた二男夫婦からは、この時一生分の親孝行を貰った。
貧すれば鈍すの言葉通り、余裕のないなかでも、もっと二男夫婦のことを気にかけてやれなかった、自分の未熟さに、今更ながら反省、自省するばかり。いまさらごめんなさいも間に合わないが、本当にありがとうと伝えたい。
昨日は長男の次男、明日は二男の長男の保育園入園式。いつもなら断られても押しかけるんだけど、大型案件の結末がずれ込んで、どうしても今明石を離れることができない。ともかく可否、結論を確かめて連休にでもお祝いにゆこうかな。
眼下ネッカー川か
3月26日のブログ記事から久しぶりのアルプス縦走・ロマンチック街道北上記事となります。
ノイシュバンシュタイン城を後にしてむかったのがアウグスブルグの町。
もとはローマ帝国アウグストウスによって設けられた植民市。ローマ支配の拠点だった。
1530年代になってからはルターの宗教改革の舞台となった。カトリックの免罪符批判にはじまる新教は、ドイツの領主に支持されて、その勢いを増し、1555年にはドイツにおけるルター派容認の決議をもたらした。
世に言うアウグスブルグの宗教和議であります。私が大学の卒論の基としたカルバン派もこの延長上にあることからアウグスブルグの町は他のどの町より親しみを持てた。写真の町並みを歩きながら、その夜のB&Bwo捜しまわる。やっとのことで確保したのがJakober Hof偶然にもオーナーの奥さんが日本人とか。何故か安堵の気持ちか広がる。異郷での同胞の出現は、それも現地在住となればまことに心強い。
けれど夕食は出ないので、またふらふら出かけてチャイナレストランに飛び込んだ。
翌朝になって気がついたのは街角におかれたゴミ収集箱が数種の分別類に分けておかれていたことと、町にはゴミひとつ落ちていない清潔さでありました。こういうことはドイツ人は実に徹底している。
ちなみに宿は二人一室で250マルク。部屋のシャワーが不調で文句をいうと220マルクにまけてくれました。
なんとか言えたんだ英語で。それが通じた。
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そんなに軽くはなかった。大げさな言い方だろうが、つくづく国家権力の強大さとバカバカしさを象徴するかのようなこの2年限定の時限処置法の本当の意味を考えざるを得ないからだ。
この措置でにんまり笑っているのは、このプランを考え付いた官僚の手柄顔はともかく、この一手で、無邪気な国民のご機嫌取りと、通行量が増えず困窮している道路公団へは膨大な通行料差額補填と、ETCに象徴される道路特権の総仕上げ。この一石三鳥を一気に叶えた自民党主流の面々か。
戦前戦後を問わず、国家権力はその冷酷と頑迷と不動不変をもって国民をひれ伏せさせてきた。
それ故、よって立つ社会制度も昭和35年頃の若年の私には永久不滅のように感じられた。
これは単純に大学入試に2度失敗したことによる敗北感からでしょうが、このどうしようもない無力感から抜け出すのには合格通知1枚で事足りた。前日まで悶々としていた閉塞感も、合格通知を受け取ったとたん吹き飛んで、そんなことありましたかとばかりに、歩く足取りも軽くなったように思えたものだ。
その時の爽快感と、今度の1000円割引表示を見た時のにんまり感には程度の差はさておいて、どこか共通したものが有るような気がする。一体これは何なんだろう。
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永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)