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ルートビヒスブルグ宮殿はシュッツトガルトの北近郊にあった。もう一度シュツットガルトに戻り、こんどはホーエンツォレルン城を目指す。当時日本人旅行者がドイツを旅する際、ロマンチック街道とファンタスチック街道の名前で、必ず尋ねてみたい名所の代表となっていたうちの、ファンタスチック街道を途中から、終着のボーデン湖畔コンスタンツまでをぶっ飛ばすことになった。
一度は走ってみたいと思っていたアウトバーンは最低速度の表示のみで、おまけに右側通行ときている。
しかし、片側車線のみの流れになれて、ちょっと運転してみようかとなったが、まずい運転でもしも、花嫁花婿に怪我でも負わせたことには、皆に合わせる顔がない。ここはじっと我慢して、自重に徹することにした。
それでも沿道に珍しいものを見かけると、近くまで乗り付けて確認したり、美しい風景に遭遇すると、当分その場所から動かず堪能するまで、景色に眺め入る。結構手間のかかるドライブとなったようです。

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ヒースロー空港からシュツットガルト空港まで1時間15分とメモしている。シュツットガルトと言えば、ドイツの南西部に位置している、かなりドイツ内陸部の州都で、本当にそんな短時間で行けたものか不思議になって、両空港間の公式飛行時間を検索してみるが、なかなかたどり着けないえいます。
空港でレンタカーをピックアップ。せっかくだからベンツを借りようと申し込んでいたが、レンタカー屋の都合で
ベンツも一番小型しか用意できなかったとか。それで充分と思うが、二男はもっとゆったりしたベンツでなくて残念そう。シュツットガルトにはダイムラー・ポルシェ・ボッシュ等、超有名自動車メーカーの本社があり、ベンツ博物館とかポルシェ博物館があるそうな。
そんな街を通り抜け、かの有名なヒットラーの遺産であるアウトバーンを辿って近郊のルートビヒスブルグ宮殿見物を目指す。
17・18世紀の欧州の支配者が手本としていた建物は太陽王・ルイ14世が築いたベルサイユ宮殿でしたが、
この地方の君主・公爵エーベルハルト・ルートビッヒもそれにもれず、1704-1733年にかけてこの宮殿を完成させたそうです。欧州最大級のバロック宮殿として戦災を免がれて保存されています。
この宮殿いこう、立ち寄ったどの城・宮殿も、その当時の庶民生活とは遥かかけ離れた荘厳華麗そのものの造りで、その当時の身分格差の如何に激しく厳しいものであったかを彷彿させられました。
庭園は一部英国式庭園に改装されていて、今日ではシンメトリーと豊かな花壇が混ざった庭園となっておりました。
宮殿見学のウエーテイングホールで待っている際、埼玉出身のフランス航空のスチュワーデスと話している際、私をはなから日本人と思わず、英語で話しかけてきたのには驚いた。・・・日本人とわかるとまたまた驚いていた。・・いったい何人と取り間違えたのだろうか。
宮殿内は肖像を主に絵画で飾られ、天井絵はキリスト礼賛の絵巻で埋め尽くされている。
荘重な玉座があり、この場から封建制絶対君主が人民に対し過酷な政令を発していたに違いない。
写真の女王様の玉座には、なんとお丸が取り付けてありました。
ヨーロッパに香水が発達したのも、このせいだったに違いありません。
そういえば、宮殿内にトイレらしきものは何処にも見当たりませ
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コッツウォルズ見物だけでも望外の喜びであったのに、翌日早朝からはシュツツトガルトに飛んでのヨーロッパ縦走を計画しているという。実際下見に出かけて現地を確認してあるらしい。
思いがけない大プレゼントに戸惑いながら、ここはありがたくお世話になることにした。
6月25日早朝4時起きでヒースロー空港へ向かう。7時15分の便に搭乗してシュツットガルト空港へ。
かのドーバー海峡を見下ろしながらの1時間15分は窓際に陣取って窓外を覗きぱなし。
近くはナチスドイツ・ヒットラーがこのドーバー海峡を渡るべくカレーの港でどれほど地団駄踏んだことでしょう。
ロケットによるロンドン無差別空襲を経て、今度は逆に連合軍(英米空軍)による戦略爆撃の大編隊が、この海峡を渡って、我々が目指すシュッツトガルトも空爆の標的にしたという歴史があります。
ドイツの有数の工業都市であるシュッツトガルトは軍需産業で栄えたのち、今は自動車産業のメッカとして栄えている。
機上から見下ろす光景は、今は戦争の傷跡を探そうにも見つからない。有名なマジノ線も緑のじゅうたんに覆われているのだろう。実際、フランス・ドイツは農業国であることを実感する。
しかし地上に舞い降りてみると、そこは近代工業都市の顔と、美しいお城を有する歴史都市の二つの顔を持つ街でありました。

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何もかもが煮詰まった昭和62年12月。かねてから噂のあったジャスコビル建て替えが決まったらしいという確実な情報がもたらされた。思わず万歳を叫んだ。
もちろん、これからビル建て替えに伴う店舗閉鎖へ向けての条件闘争が待ち受けているわけだが、確かなことは再び店を構えることは、どう考えても不可能であるということ。自分の責任を出来る範囲で果たし、あとはビルの決定にお任せするしか道は残されていない。
この建て替えで鍋ガーデン・よさこいマルイチと8階GOOD TIME CIRCUS のPUBレストランボサリオと居酒屋座敷マルイチそしてビアガーデン及び明石予備校が姿を消すことになります。
そのなかで一番に始めたのが明石予備校の円満な閉鎖でした。この分野は中・高・浪の諸君を預かっての責任ある仕事です。たやすく終わりにしますでは済まされない。円満に次に引き継ぐ相手を探さねばなりません。
そんな時、助けていただいたのが神戸高知県人土陽会の公文康会長様でした。同じ土陽会の会員に、会長がともに事業をしている石丸氏が本職が神戸学館という予備校と塾を経営されていたことから、この際明石校を出す格好で、明石予備校の生徒諸君を引き受けてくださることに話がまとまった。移転先も同じ町内の津田ビルと決まった。
予備校といえば、かの大道学園には2年間も通ったこともあり、とくに学園でまなんだ現代文の授業を通じて日本文学全集を読破するきっかけを頂いたもんです。
その時の経験を生かして、現代文読解の授業のコマを何個か任せられて、参考問題つくりから勉強したもんでした。
そんな苦労をした明石予備校の無事引き継が決まり、本当にひと安心。息子たちが成長してゆく過程とは言いながらまさか予備校を作った親馬鹿もめずらしかろうに。
いよいよ昭和63年のビアガーデンが終わる6月末をもって上記店舗を全面閉鎖することに同意するまでには、
たびたびの内容証明による督促と、度重なる面談交渉を経なければならなかった。
お店の道具類を他所に保管するべく移転先倉庫をさがすこと一つも大層なことになる。
無我夢中の半年が始まった。
 

 

 

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ここではあえてH君と記すが、淡水サッカーの皆様には固有名詞がすぐ思い浮かぶはず。
昨年暮れ淡水サッカー会長逝去を悼んで「やっとう会」が大阪・曽根崎にて開かれた際にも聞いていなかったH君の病気を知ることになったのは、彼の友人で山中温泉でお花見久兵衛経営者の吉本氏に連絡を取ってもらい、山中温泉の売り温泉の裏を取ろうと携帯に伝言を入れたことからである。
いつもなら、すかさず返信が入り、日頃のご無沙汰をお互い無事な証拠と話し合うのが常であります。
ところが、今回に限って2-3日経っても返事が有りません。おかしいなと思いながらも電話を待っておりますと1月15日、彼の携帯からの着信があった。やれ嬉やとばかり、どうしていると声を掛けたところ、聞きなれない男性の声が返ってきました。
これは、確かH君の携帯ですよねと念を押したところ、実はHは去年の暮に脳梗塞で倒れて、今大阪・天神橋の加納総合病院に入院しており、とても電話にでるどころではなく、兄さんが携帯の着信を見て、知人・友人からの電話ではと掛けましたとの事情を述べられた。
元気者のH君がまさかの病と聞いて声もない。
実は私も4日後に入院手術を控えていて、すぐのお見舞いには行けないけれど、体が確り戻ればすぐさまお見舞いにうかがいますと返事するのがせいぜいで電話を置いた。
あとで、彼の近しい友人の真鍋公認会計士に話を聞くと、暮れに久しぶりに会おうとなって、H君の事務所で話をしていると、突然話題が飛躍して、つじつまの合わぬことを言い出した。これは大変ということで救急車を呼んで病院に送り込んだと言う。
まさに突然の脳梗塞に見舞われたわけだ。
日頃現役の試合には必ず顔を出し、選手それぞれにアドバイスを与えていた姿を知っているだけに、また少年サッカーの指導をしていると嬉しそうに話している顔も浮かんで、未だ信じられない気持。
今日3月10日になって、やっと大阪の人込みに出る勇気が出て、今日こそはお見舞いにと、加納総合病院に電話を入れると、2月末に退院したとの返事。
しまったと臍を噛みながら、さきの公認会計士に電話して、お兄さんの自宅電話を聞きだした。
あのときの口ぶりから、きっとお兄さんがあとの面倒をみてくださっているとの確信は的中して、その後の様子を聞くことができました。
体のマヒは幸いリハビリで改善されそうだが、どうやら脳に後遺症が残っており、かなり記憶も錯綜・忘却が激しくて、現在お兄さんの自宅で療養しているが、どなたも面会は謝絶しているとのお話。なにしろ人と会った後が大変らしい。
すぐさまのお見舞いに行けなかったことを謝して、様子うかがいの電話を入れる許しだけは頂いて電話を置いた。
同じグランドで苦労を共にした好漢H君の笑顔を思い浮かべながら回復の大ならんことを祈るのみ。
病一つが人生の明暗を分けることになる。・・・(H君の現状報告)

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