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何もかもが煮詰まった昭和62年12月。かねてから噂のあったジャスコビル建て替えが決まったらしいという確実な情報がもたらされた。思わず万歳を叫んだ。
もちろん、これからビル建て替えに伴う店舗閉鎖へ向けての条件闘争が待ち受けているわけだが、確かなことは再び店を構えることは、どう考えても不可能であるということ。自分の責任を出来る範囲で果たし、あとはビルの決定にお任せするしか道は残されていない。
この建て替えで鍋ガーデン・よさこいマルイチと8階GOOD TIME CIRCUS のPUBレストランボサリオと居酒屋座敷マルイチそしてビアガーデン及び明石予備校が姿を消すことになります。
そのなかで一番に始めたのが明石予備校の円満な閉鎖でした。この分野は中・高・浪の諸君を預かっての責任ある仕事です。たやすく終わりにしますでは済まされない。円満に次に引き継ぐ相手を探さねばなりません。
そんな時、助けていただいたのが神戸高知県人土陽会の公文康会長様でした。同じ土陽会の会員に、会長がともに事業をしている石丸氏が本職が神戸学館という予備校と塾を経営されていたことから、この際明石校を出す格好で、明石予備校の生徒諸君を引き受けてくださることに話がまとまった。移転先も同じ町内の津田ビルと決まった。
予備校といえば、かの大道学園には2年間も通ったこともあり、とくに学園でまなんだ現代文の授業を通じて日本文学全集を読破するきっかけを頂いたもんです。
その時の経験を生かして、現代文読解の授業のコマを何個か任せられて、参考問題つくりから勉強したもんでした。
そんな苦労をした明石予備校の無事引き継が決まり、本当にひと安心。息子たちが成長してゆく過程とは言いながらまさか予備校を作った親馬鹿もめずらしかろうに。
いよいよ昭和63年のビアガーデンが終わる6月末をもって上記店舗を全面閉鎖することに同意するまでには、
たびたびの内容証明による督促と、度重なる面談交渉を経なければならなかった。
お店の道具類を他所に保管するべく移転先倉庫をさがすこと一つも大層なことになる。
無我夢中の半年が始まった。
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永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)