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平成15年の年賀がぬけています。何方かお持ちの方が有ればご一報の程おねがいします。
2004「平成16年)の賀状は前年5月、初孫が満2歳のお誕生日に東京デイズニーランドへ出かけた時の写真。
デイズニーは1986(昭和61年)三男が白陵中合格を祝って、3月4日前夜12時ころ明石を出発、名神・東名をぶっ飛ばして、早朝7時過ぎにはデイズニー前についていました。小生まだ45歳、若かったんだ。
この時は、デイズニー見物も早々に、兄貴達の要望で、銀座・秋葉原へと回ったため、スペースマウンテンに乗ったぐらいしか記憶がなかった。
初孫と一緒となれば、蜜蜂ハッチのレベルの楽しみかたで、これも初めて。
ご挨拶の文にあるように、天職を見つけた心地で仕事にうちこめる環境にたどりつけた頃といえる。
この年からは、年賀状写真も孫中心となり、息子たちには余裕がなくて注げなかった慈愛を、これまた過剰に注ぎ過ぎて、おもわぬ摩擦が生じることもありました。・・・過ぎたるは及ばざるが如しとか。
2005(平成17年)の写真は、初孫のはじめての保育園運動会。次男夫婦と六甲オリエンタルホテルでのバーベキュー風景。三男と城崎にて、但馬牛・松葉蟹ツアーにいった際のもの。

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今日の日経・朝日。おなじみ悪態・ゲンダイに夕刊フジ等各紙一斉に内閣支持率急落を報じ、一部は早々と麻生内閣断末魔とまで言っている。麻生首相就任2ヶ月足らずでのこの内閣支持率は考えられない。
麻生さんにはワンマン吉田茂を通じて多少の土佐の血が入っていて、少し身贔屓する気持ちもありましたが、今のような体たらく、弁慶の立ち往生の姿を見れば、余命いくばくもない有様。どうしてこうまで知恵のない、夢のない有様が続くのか。少しはこの不況風の下、ぐったり下ばかり向いている国民を鼓舞激励することばも出ないのか。一人12,000円を配るのが景気高揚対策とは、その策の貧しさ、無邪気を通り越して、阿呆としか言ようがない。この暮れ、中小企業のオヤジは血のションベンを流してもおっつかない様子。資金繰りの苦しさだけは私めも、2度と会いたくはありません。保証協会の特別枠に行列ができているとか、それも厳しい資格制限があって、わらをも掴みたい御仁には頭から貸せないようになっております。貸すがわの金融機関も、この間までは保証協会マタ―は20%の貸し方負担がつくようになり、そうそう容易くは応じられず、貸したくないから審査が遅いのか、審査を上げても上がOKを出さないのか。例によってどこに責任が有るかなど、まったく分からないようにできあがっております。それでも、これまでは皆さん歯を食いしばって頑張って企業存続を図ってきましたが、ここにきてTVのインタビューに応じるどの顔も、寄る歳波に精も根も尽き果てた面持ちです。
ことは第4次世界戦争の様相を帯びてきたのではないのか。ドンパチやるだけが戦争ではありません。国際的に巨大金融の独占を禁ずる網をかぶせなかったツケが回ってきたわけだ。製造業には独占禁止法の足かせが確りはめられているというのに。
そのうえ、最近よく目にするのが、真珠湾奇襲を米国は知っていたとか、それ以前に中国から渡洋爆撃で東京空襲を目論んでいたとか、太平洋戦争を正当化するようなお話が聞こえてまいります。
確かに、そのような事実もあったでしょうが、ドイツの欧州での強勢に遅れじとばかり、無謀な三国同盟を結んだことからして、300万国民を、アジアの1000万を超す人々を犠牲にせねば収まらない地獄へと一直線という信じられない愚挙に走った。
日本人には秀才信仰が根強くあって、陸軍大恩賜の金時計組の言うこと行うことを無条件で容認することおびただしい。国策・戦争指導もこれら中佐クラスの秀才連中が取り仕切り、元帥大将は神輿に乗っているだけ。担がれてさてどちらへ連れて行かれるやら分かろうともしない。あげく腹を切って国民に詫びることさえしなかった。
現在なおこの秀才信仰は残っていて、エリート官僚さまに任せておけば間違いないとばかりに、あほな政治家がすべてを丸投げしてきたつけが回ってきた。
どうか政治家の皆さん、我々は格別なことを願っているわけでは有りません。公平・公正・機会均等な社会をお願いしたいだけなのです。ひとごと・身勝手・先送りが得意技の皆様がたの総退場をお願いしているだけなのです。・・・ほんとなにやらきな臭くなってきましたぜ。ご用心の程。

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2001年11月22日、この年の5月26日長男に待望の第1子、男児が生まれた。堺の実家へ帰っての出産で、我々も産院に駆け付け、無事出産を見守り、ともに喜んだ。
この年は、ちょうど私めの還暦の歳にあたり、誕生日に3兄弟がわれわれ夫婦を伊豆温泉旅行に招待してくれた。次男は2000年7月に無事帰国し、協和発酵本社勤務で東京。三男もIT関連のメッツに勤務で同じく東京。
新横浜の駅で落ち合って、伊豆へと向かった。松崎温泉で還暦祝いの宴会。この写真は恋人岬の鐘の前でのものか。
ブラジルを1998(平成10年)に閉店し、不動産仲介に専業となって丸3年が過ぎ、堅実に仲介実績があがってきたお正月。資金繰りに追われることなく、安らかに眠りに付けるようになるのも、そう遠くはない。
初孫を抱いてご満悦。こんな日が来るとは。我が人生も捨てたもんじゃない。

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2001年の写真は、前年2000年6月、ロンドン大学留学卒業を間じかに、ロンドン市内のイギリス国教教会で結婚式を挙げた写真。我々家族前任がロンドンに集合した。後ろの川はかのテムズ川。レガッタ練習中の学生たちから祝福の歓声を浴びての記念写真。
この結婚式に先立ち、次男夫婦が我々夫婦を招待してくれてオックスフォードをはじめとする湖水地方への観光と、ブリュッセルに飛んでアウトバーンをベンツでぶっ飛ばしドナウエッセンを通ってオーストリア・アルプスをドライブ。ノイシュバインシュタイン城をはじめとするロマンチック街道を旅した。
この旅はいまだに思い出しても胸弾むような味わい深い旅でした。別項を設けて詳しく振り返って報告します。

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a46cc057.jpg実は長男には秘密に、彼の小学6年2組卒業論文を大事にもっています。
最初その冊子の表紙に卒業論文とあるのを見て、小学生にしては大げさなとの印象を持ちました。
しかし担任の女先生の発案で、あえて論文と題して、ただ単なる感想文ではなく、なにかテーマを持って考え調べたことをまとめさせたいとの狙いが読み取れた。テーマは「身体障害者について」
実際、その内容は小学生にしては上出来で、その後幾度となく長男には、あの卒論は凄いと言う度に、彼はたまたま調べた文章を写しただけだととぼけるばかり。と聞いても、親馬鹿チャンリンい違いないが、全体の構成、文脈の確かさ、内容の豊かさ、着眼点の的確さなど、どう読んでも、かなりの優れものに思えて、以後黙って秘蔵しております。
それは内心、彼ならこれぐらいのことは書くに違いないという確信があってのこと。
というのも、5-6年時代、たとえば算数で見せたヒラメキの鋭さ。物事の本質を見抜く冷静な観察力等を見て取っていたからです。
我が身が、親父の「トンビが鷹を産むわけがない」ことに気づかず、長男の私を無理な灘高の受検にチャレンジさせたり、なにかに過大な期待を寄せられた苦しい経験をしてきたにも関わらず、自身の長男に、かなりの負担を強いることになった。何事も最初は事情が分からず、暗中模索の状態で、経験するが、二度目からは経験を生かして、要領も心得て事にあたることができる。三兄弟の長男は突撃隊長の役割となり、かなり辛い思いをさせました。あらためて謝ったことはないけれど、心中もう少しの思いやりが足りなかったと反省しています。

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