忍者ブログ
書きますよ~皆さんついてきてくださいね!
[164]  [165]  [166]  [167]  [168]  [169]  [170]  [171]  [172]  [173]  [174
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

昔を振り返つてみると、千尋の谷に懸かったか細いつり橋とは知らず、霧の中渡り終えて振り返って見れば、霧の晴れ間から遥かな谷底が垣間見えたような人生もやっとカウントダウンに時期に突入した今日この頃。
しかし日々の生活の糧を稼がねばならない状況に変わりは無い。
考えてみれば、時々刻々変わり行く不動産動向をリアルタイムに書き記しておくのも大事なこと。自分の状況認識が果たして正しかったかどうか、後々判定するためのデータとなるわけだ。
現在、平成20年7月の時点で聞こえてくるのは、業界がまるであのバブル崩壊後と同じ、あるいはそれ以上の惨憺たる様相を呈してきたという認識であります。とくにファンドとやらの、つい最近までの勢いはまったく影を潜め、ゼファーの倒産は、この前の悪夢再来を実感させるに十分な衝撃となった。
こうなれば、BKの融資は厳格審査となり、平時であればなんの問題も無い融資さえ、「上がそう言っておりまして」の台詞で断ち切られてしまう。上つて一体誰のことなんだ。このやり口は商工ローン、街金と同じで、私も散々いたぶられたもんでした。考えてみれば、サブプライムと名がついていれば、与信上正直に申告しているわけで、無理があることをカタカナ文字で誤魔化され、高度な収益計算と称して、危険の種を世界中のファンドにばらまいたからショウガナイ。なにが真ともで、どれがババなのかさえ分からなくなった、というより端から、分からないようにした魂胆が丸見え。日本人の悪い癖は、すぐ猫も杓子も雪崩を打って同じ方向に走り出したら止まらないならまだましで、すこしの躓きを大げさに事上げして、今度は反対の方向へまたまた爆走をはじめる。
それこそ商売は人と同じ方を見ていたのでは商機を捉えることなどできるわけが無いし、損はもれなく付いてくる。神戸市中央区にある建設予定の複合商業施設「神戸ミッドポート」にも異変が起きている。新聞が報道するころは、すでに案件を巡ってすったもんだももう終盤で、大勢はほぼ決しているに違いはないと見ていい。
そのような表舞台のどんでん返しも見ている分にはあもしろいが、面白がっていては一文にもならない。
かくなれば、白熊の食い遺した腐肉といっても十分美味しい案件を寄ってタカって処理する我々の出番がやってくるというもの。景気の良いときは、案件をもちまわり、十分融資もいたしますというBKに勝てるわけが無い。
しかし、BKも一端風向きが変わると、融資なしの仲介など日ごろやり慣れないことから、動きがとれなくなってしまう。
このような情勢のなか、よくよく探せば、これをチャンスと捉え、ひごろ温存していた豊富な資金を投入を模索している企業も固有名詞であるとの情報を聞いた。その名前から、さもあろうと頷づいたことです。
あるいは、企業の体質改善のため、積極的には売りとはいわないが、確実・堅実な買い手と予算をぶつければ
極々秘密裏にそこそこの物件が動いてゆく。ただ勝ちをあせって我々仲介方から話をぶち壊すことだけは避けないと。ある程度時間をかけて気長くとりくまないと、出来る話も出来なくなる。そんな状況を耐えて、同時に緊張をたもっていくのはかなり難しい芸当でもある。私が特に最近このブログに力入るのも実はそういう事情があるからです。・・・本当にじれったいつたりゃありゃしない。

拍手[0回]

PR


*一葉抜かしておりました。第141回  昭和36年10月1日の案内状をSCANー縮小アップ・ロードしました。
昭和36年といえば、戦後はや満15年を経て、社会は落ち着きを取り戻し、夫々の家庭においても、昭和の良き
時代の気風を取り戻し、大学を目指す連中も親の期待を一身に背負い、将来を賭けての熾烈な戦いを当然のこととしておりました。事実大学進学率は10%の世界でした。私のように、絶望感とかなんとか言ってる暇は無いのが本当のところです。そんななか2年もの浪人を耐えてくれた両親に今更ながら感謝しています。

                           《18才の暗黒感》
     目を閉じる
     暗闇 それも何かしら物の幻影が白い光となってぼんやり浮かび上がって見える暗闇。
     決して真の暗闇ではない。(それは)生きている者が見る暗闇。いや持っている暗闇だ。
     絶望の中にあっても何かに望みを見出したいという。
     私はまだ死者の暗闇の何たるかを知らない。永遠に知りたくない。
     そして明日にも知るはめになるかも知れない自分が恐ろしい。
     しかし、死者の持つ暗闇が死者に感じることの(できる)暗闇であるとしたら。
     あるという事が今のうちにわかったら。太陽の光は暗闇を暗闇でなくしてしまうだろう。
    (こんな風に深刻がるのも秋の夜長に聞く虫の声が私の心の琴線に共鳴しているから。)

*相当落ち込んでいます。っこんな文を読んで親父はどう思っていたのかな。2浪目の7月さんよう喫茶の姉妹店として喫茶リオ・ブラジルをオープンしたのだが、これは多分に、私の逃げ場を用意してくれたものではなかったかな。オープンした店に懸かりっきりで働いていた私を見兼ねて、田口建材の田口社長様から、懇々と説教されたのも、今は懐かしい。           

拍手[0回]

   第144回さんようクラッシック・レコード・コンサート
   昭和36年11月19日
   明石デパート4階中集会室 PM6:30-8:30

   自分の能力の限界を痛切に思い知らされた時

   『平々凡々たる無能な自分には
   努力しようとあせればあせるほど
   自分の新境地を開こうと
   自分の心を分析して行けば行くほど・・・
   ・・一時的に心が明るくなることはあっても
     その実は虚無である。自分を愛しむ余り
     徹底して自分を誤魔化し切れないでいる・・
   その結果は重々しい鎖となって、
   「敗北感」「無力感」という杭に心を縛り付けることになる』

   そんな時、我知らず流す涙、この涙は何を言っているのだろう。
   「涙は悲しみのものいわぬ言葉」と片付けて良いのだろうか。
   「諦めの涙」と考えて自分まで諦め突き放して良いものだろうか。

   これも若人が持つ疑問の一つ

*この文はどうやら私が書いたものでしょう。それにしても随分と浪人が堪えております。関学の商学部合格していたんだから、行けばいいのに、変に神戸商大に拘って、一年浪人する道を選んだのはいいが、この時期ほとんど勉強には手が付かず、毎晩徹夜で、日本文学全集を読み続けておりました。完全な現実逃避の典型的症状であります。
浪人を決めて受けた予備校・天下の大道学園の試験に落ちた。関学より予備校のほうは難しいんだ。慌てて、忘れもしません、兵庫日産自動車・中巻社長に親父が頼み込んで、大道英昌園長にお願いしてもらって、再受験してやっとのこと入れて貰ったのに。夏休みに入る前には、今で言う登校拒否状態。家では勉強が出来ないなど、難癖を付けて、上の丸の一軒家を一月ほど借ってもらつたり、散々無理ばかり言ったあげくが、まさにこの文の如き有様と成り果てた。 
たかが、大学入試に失敗したぐらいで、身も世もあらぬ苦しみ様。とりあえず、一年せっせと勉学に励みさえすれば結果は付いてくる。そんなことも分からず、悩み苦しむポーズだけは一人前。今おもってもやたら恥ずかしいかぎりです。・・そんな時も、さんようレコードコンサートの手伝いは欠かさず続けておりましたとさ。
 

拍手[0回]

 明石駅前で「てんぷらマルイチ」を開店したのが、昭和44年(1969年)。飲食業のほうは、平成11年に、ついに『さんよう喫茶』を閉めざるをえなくなるまでの30年間。自己責任といえば聞こえがいいが、無我夢中・ある意味やりたい放題させていただいて、最後の10年は終戦処理に費やした。「後から気がつく癲癇病」の言葉通り、親父の七光のお陰で身の丈以上のことを仕出かして、思ってもいなかった親父の早逝(69歳)という非常事態に見舞われ七転八倒の苦しみも自業自得は承知ながら、走りながらの勉強で、ある時点から自分がどの方向に向かっていって良いのか分からなくなっていたのは確か。商売が最大に盛り上がっていた時も、まるでジェットコースターに乗せられて、行く先ままならず目前のハンドルにしがみついているのが精いっぱいでありました。
 一方、平成2年ひょんなことから手がけた事業用不動産仲介の真似で、いまの2号線南に面した明石市本町の金沢診療所(神戸金沢病院経営)の30坪が売りにでているとの噂を耳にはさんで、出入りの酒屋ナカノの番頭から聞いていた居酒屋用地(今の居酒屋・大学)として総額1億で斡旋することに成功した。たぶんビギナーズラック。出会い頭の好運であったに違いない。ちょうど信太郎爺さんが明石の競輪で初めて買った車券が大穴だったように。
 それまで飲食業といえばいろいろ工夫を凝らして店を開けてまっているのが仕事で、お客はその日の出来心でのご来店。いちど足が遠のけば当分は顔をにせることはない。ところが、事業用不動産を扱って最初に感じたことは、その立地の大切さ。極論すれば土地というものは「絶対に必要」な土地か、「只で遣るといわれても必要のない」土地かのどちらかしかないということ。そして必要としているところへ積極的に情報をもたらせば
放っておいても買いに来るということ。そのうえ誰が企んだか、手数料とやらも、片方売買額の3%法定額として請求出来て、青天井ときている。
もちろん買い手・売り手のどちらかと近い距離にあることが絶対条件ですが、以外と法人向け大規模土地の仲介は先1-2社程度なら自分がイニシアチブを取れば、案外できることがわかって来た。
 時あたかも不動産バブルの終わりの始まりといった時期。釣り上った物件を検討する先さえ無いという状況でした。こうなると銀行系の不動産部はからきし頼りにならなくなる。自行の系列の企業しか知らないからです。例えば西明石駅前2号線に面した結構な広さの土地が、猛烈な地上げの挙句塀を廻らして淋しげに佇んでいました。西隣のパチンコ店はわり盛況らしく見受ける。いや駅南の本店はかなり景気が宜しいとの噂もある。そこで物件に大書してある不動産会社へTELする一方、知り合いの元不動産屋で今はパチンコの景品会社勤めで、当のパチンコ店に出入りしている人物に、隣りの土地が要るのか要らぬのかアタリを付けてもらう。一方かの不動産会社を調べてみると、M信託銀行の系列で、その土地を抱かされていることが判明。M信託銀行に話をつけねば動かないこと必定です。その時、神戸商大のサッカー部で最初に仕えた小林先輩がM信託銀行に居られることことを思い出す。さっそく担当部署を紹介していただくに、その物件は小林先輩と同期のおなじく商大先輩のH部長が担当されていることも分かってきた。なんという幸運か。おまけに同窓のよしみで、こちらの申し出を快く聞き入れて頂けた。内々売値の見当までも。ここまでお膳立てが揃えば、あとは両者を会わせばもう出来たも同然。さて買い手は如何にと、喫茶時代のしりあいで、付き合いだけは古い不動産屋さんと初めてのタッグをくんでの営業を開始した。すると意外や意外、町場の3-4軒営業のP店の会長がかのパチンコマネーの源のC銀の理事長であることが判明した。両者の会談はC銀の巨大金庫の前でのことでありました。いまでも忘れませんが、M信託銀行の部長が、それまで買い付け証明をだしてもらってくれとシツコクいっていたのが、買い手がC銀の理事長と分かったとたんに口に出さなくなってしまった。今考えれば、そこはどうであれ買付証明書はとっておくべきでしょう。かくして5憶5千の売買成立の運びまで後は一気呵成。

拍手[0回]

     第126回クラシックステレオコンサート
     昭和35年2月20日(土)
     明石デパート4階中集会室 PM6:30

     寒空を透かす強い光
     受けてふくいくたる香を漂わす梅の花
     水はぬるみ、芽生えの基礎もできた
     純粋の若さで荒波の世の中に飛び出す巣立つ若者
     やがて咲く桜花と共にその人生の花も開く
     やってやってやり抜いた結果が試される
     一日で決まる頭の天辺(てっぺん)から足の先まで
     一直線に陽光の陽差しが抜ける
                       (ママ)
*添削を加えることも考えましたが、いやそのママを伝える方が大事と
思い直し原文のママを復刻しております。

私が子育ての道程で、子どもたちがいろいろな人生の関門に遭遇する度に
ハラハラドキドキ見守るしかなかったように、親父もこんなメッセージを発していたんだ。昭和35年2月といえば、私が明石高校3年で、大学受験の真っ最中。確か、関西学院大学の入試は終わり、神戸商科大学の試験を3月3日に控えた時期にあたります。関学の受検結果は、経済は落ちて商学は合格でした。親父がしきりに、関学の入学金を入れておこうかと尋ねていたことを思い出す。志望校一発合格を祈る気持ちを込めた願いも叶わず、このあと商大受験に見事失敗して、関学に行っておけばいいものを、なぜか商大にこだわって浪人に突入。結局、迷走、悲惨を絵に描いたようなアルトハイデルベルヒを過ごすハメにおちいることになろうとは。  

拍手[0回]

[164]  [165]  [166]  [167]  [168]  [169]  [170]  [171]  [172]  [173]  [174
カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
[01/30 つのしん]
[01/30 さくら]
[01/30 さくら]
[10/06 かめいち]
[10/03 庫山堂]
最新TB
プロフィール
HN:
つのしん
性別:
男性
職業:
企業向不動産仲介・企業立地
趣味:
ボランティア活動
自己紹介:
ふるさと高知と龍馬をこよなく愛し、元気に活動中。
永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)
バーコード
ブログ内検索
カウンター

Copyright © 『つのしんの独り言』 All Rights Reserved

Template by ゆうじ

忍者ブログ [PR]