忍者ブログ
書きますよ~皆さんついてきてくださいね!
[32]  [33]  [34]  [35]  [36]  [37]  [38]  [39]  [40]  [41]  [42
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 一年前、小生が前立腺摘出手術の際、がんセンターに見舞ってくれて、津野さんにはずっと元気でいてもらわないとと励ましてくれていたH氏が4月14日姫路医療センターへ検査入院したかと思うと、昨日の訃報。
一体、何が有ったんだろうと未だに信じられない気持で、今日午後6時からの通夜式に臨んだ。
日本生命勤務の後、姫路の企業に在籍、傍ら不動産仲介に敏腕を発揮して誠に頼りになる相棒となっていた。
特にこの2-3年は絶好調で、これから取り組むべき案件もあると言うのに。
本当に突然の逝去。焼香の後、奥様に如何したことか思わず尋ねておりました。
どうやら進行性の胃がんが肺癌を併発、最後は呼吸不全となったとの話だった。
そんなこともあるのかと驚く。ここまで激甚なのも珍しいとしか言えない。
遺族のご挨拶も未だ信じられないの一言に尽きる。
改めて人生何が起こるか分かったもんじゃと肝に銘じる。
それにしても、H氏の無念を思うと涙が溢れる。
姫路バスケットボール協会の会長も務められていた故か、会場は人人で溢れていた。
人柄の良さがこんなときに現れる。
果たして、私が目をつぶった時、これ程のお参りが有るかどうか怪しいもんだ。
客商売の性か、どこまでも客の入りが気に掛かる。

拍手[0回]

PR
 どうやら今週の日曜日辺りから、NHK龍馬伝は神戸海軍操練所・海軍塾に差し掛かるようだ。
それが証拠に、今日朝日・毎日の神戸総局記者さんから問い合わせが続いた。
龍馬さんと神戸の関係は如何に。
勿論勝海舟との知遇を得て、一躍世界への眼を開かれた龍馬躍進の修行道場と言える神戸。
その事を余り御存じない神戸市民にじれったさが先に立つと申し上げた。
この有名なエヘンの手紙を一度読んでいただきたいものだ。
時代の流れにどう乗り出すか、龍馬渾身の心躍る時代。
前に神戸にある5大新聞と神戸新聞の各局を訪ね、資料も提供しましたよと告げると、申し訳ない、私はこの4月に転勤できたばかりと仰る。
どうやら、JRの神戸休暇へを見て、龍馬検定・神戸編なんてやっているんだとの当たりからの電話らしい。
一応のことは申し上げて、後は先日NHKでの放送が有った古地図を基にして歴史を訪ねる番組で、偶然友人の知らせの電話からビデオに撮った海軍操練所の所在と現航空写真を重ね合わせた写真と萌咲氏労作「龍馬が歩いた維新神戸」をメールしてお茶をにごしております。
如何な記事に相成ります事やら。

拍手[0回]

 親父がふりちんで日本かわうそと泳ぎ比べをしたという清流の写真を発見。
カメラマンはやはり須崎出身なのかな、故郷の川と記しておられる。高野弘さんだ。
四万十川以上の清流ではないかな。
Scan10046A.jpg

























Scan10048A.jpg


































拍手[0回]

 京大に引き分け、兵教大に6-0で勝ち、追門大とも0-0の引き分け。
今年かなり良い補給が出来たのか気になっていた芦屋大との一戦。
開始早々PKを頂いちゃって御馳走さん。
今日の審判はかなり細かく笛を吹く。これも作戦に取り入れる。
試合前、ハーフタイム、土肥先生が懇切丁寧にアドバイスを与える。日頃からの積み重ねもあり、横で聞いていてもポイントを外さない的確な指摘と士気を鼓舞する言葉が続く。
前半2点目は相手キーパーへのバックパスを狙い澄ましてのカット。
見事に的中しての1点だ。この抜け目なさも必要。
詳しい戦況はb現役報告に譲るとして、芦屋で目立ったのは22番くらいのことで、兵教大が入れられた6点の意味が分からない。 的場会長に聞いてみると、兵京大が弱くなったんではとの話だ。
そういえば去年は⑩頼りのワンマンチームだった。
次戦9日の和歌山大で一月ほど間が開く。気持ちよく勝利して、選手たちのケヤーもしなくては。
CIMG4321_editedA.jpg






















PK  兼折主将
CIMG4365A.jpg
 








CIMG4366A.jpg









CIMG4367A.jpg









CIMG4368A.jpg











CIMG4369A.jpg










CIMG4370A.jpg










拍手[0回]

 2日長男ファミリーが帰明。今日4日正午に神奈川へ大渋滞覚悟で出発するまで、二人の孫ちゃんと遊ぶことに専念。ブログ更新の暇も有らばこそ。
3日はこれ程の花火大会が殆ど地元の人々だけの行事として行われ、近隣の人々でも、知る人ぞ知る存在である、滝野・闘龍灘で行われる、多分日本で一番早い花火大会に出かける。
前にも長男孫ちゃんを連れて花火見物に来たが、孫ちゃんがその音に驚いて音のしない花火が良いと泣き出して、早々に引き揚げた思い出が有る。今回その時のお兄ちゃんは小学3年生となっていて、もう驚きもしないだろうが弟の年中さんが同じ反応を示さないかと気遣う。
花火の打ち上げが始まると同時に、頭をすっぽりパーカーで覆い、両耳を手で押さえ、花火の爆発音を聞かせないようにする。すると、上目使いに花火を見上げていた孫ちゃんが、その美しさと迫力に見入って、音を気にしなくなって、手を叩いて喜びだした。ついでに玉屋、鍵屋の掛け声を教えると大きな声で合いの手を入れる。
かくして、最初の心配は吹っ飛んで、闘龍灘の何時もの所に席をとり、花火の燃えカスが頭上に降りかかるなか、眼前の仕掛け花火を堪能する。
特に今年は4部構成で、集中して打ち上げが有り、時間も1時間くらいに凝縮しての演出と、新作の花火の美しさに、例年以上の満足が有った。この穴場の花火大会を広めてこれ以上の人出になるのも何だし。
しかし、これ程の近い距離での花火打ち上げが売りの大会を皆さんにも楽しんで貰いたいし。いやほんと。
940db699.jpg

























加古川の中流域に位置する「飛び鮎の名勝闘龍灘」の川底一面に敷き詰められたような岩盤帯は、荒々しく起伏する奇岩 ・怪石に阻まれて落差約3mの岩間を激流が白い帯となって流れています。此の地を訪れた幕末期の詩人:梁川星巌は岩を裂き・躍動する水流と岩場の様相から闘竜灘と名付けたが、 元は双龍灘とも呼ばれ「白波雲の如く立ち水声夥し」と評されたといいます。

闘龍灘と加古川舟運全国で最も早い鮎の解禁場で知られる闘龍灘は、 筧(かけひ)どり漁法【汲鮎漁】でも知られ鮎の習性を利用する鮎を筧の人口滝に誘う漁法の装置が見られます。 闘龍灘を望む河畔の立像阿江与助は加古川舟運の創始者とされる人物で加東郡河高村に生まれ、後に上滝村の阿江家を継ぎます。 加古川の舟運開発では東播磨の豊臣氏領を管理していた地頭:生駒玄蕃が貢米輸送にあたって加古川に注目し財力のある大庄屋の与助達に通船を妨げる川底の岩石を除去し浅瀬に水路を通させました。
CIMG4265A.jpg


































拍手[0回]

[32]  [33]  [34]  [35]  [36]  [37]  [38]  [39]  [40]  [41]  [42
カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
[01/30 つのしん]
[01/30 さくら]
[01/30 さくら]
[10/06 かめいち]
[10/03 庫山堂]
最新TB
プロフィール
HN:
つのしん
性別:
男性
職業:
企業向不動産仲介・企業立地
趣味:
ボランティア活動
自己紹介:
ふるさと高知と龍馬をこよなく愛し、元気に活動中。
永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)
バーコード
ブログ内検索
カウンター

Copyright © 『つのしんの独り言』 All Rights Reserved

Template by ゆうじ

忍者ブログ [PR]