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いよいよ平成の大修理が5年の年月を掛けて始まる。
そこで、今の内に拝観しようと喘男善女内外の人々が押し掛け、平日でも2-3時間待ちになっているとか。
その姫路城でこの11日まで夜桜ライトアップが開催されている。
青空の下での桜もいいが、夜桜もまた一とばかり、 弘子ちゃんが国宝姫路城夜桜に出かけた報告がとどいています。
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 下馬評ではセルビアのメンバーが2軍程度で、日本の相手としては不満との予想が主流だった。
おまけに監督もベンチ入りせず、監督補佐が指揮を取る。なんと舐められたことよと内心腹を立てていた。
多分、客席を埋め尽くす満員のサポーターもそのつもりでの観戦だったことでしょう。
ところが岡ちゃん、なんとなんと0-3で完敗。
たまったもんじゃない。客席からはブーイングの嵐となったらしい。
なったらしいとは、小生あまりにだらしない戦いぶりに堪らずチャンネルを換えてしまいました。
今日のスポーツ紙でセルジオ越後が吠えていたけど、ここに至れば岡ちゃんが打てる最後の一手は、自ら辞任して定位置安住安心しているジャパンのメンバーに危機感を与えることしかありません。
あの加茂さんの二の舞は御免だ。あのときの後継があんただったでしょ。
なにせ、見ていて一向に面白くない。プレーに意外性が全くない。やってて面白くないだろうに。
一点突破の勢い、創造性を掻き立てるプレー、思わず声をあげるほどの強烈シュート、えっと目を疑う見事なターン等全ていまのジャパンには望むべくもないもの。
ここは犬飼会長も強権を発動して、ピクシー・ストイコビッチ監督にチェンジすべきだ。
そこまでの手を打ってならコテンパンに負けても許す気になります。
このままなら4位を目指すどころか、予選3連敗の無残な負け戦を見せ付けられること必定ですぞ。


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 龍馬講演会の参考レズメ作成を土居晴夫先生に尋ねる。
先生曰く、昨夜一時ころまでワープロを打っていて、高知の龍馬記念館・三浦学芸員からの電話で起こされたのが午後1時だったとか。ご老体に鞭打って、より正確ないろは丸始末を語ろうとのこと。ごくろうさまの一言。
北の龍馬・浦臼小学校の15名からの手紙も頂いたと報告。驚いておられた。
話しの続きに5月2日には五島列島に行くんだと仰る。
五島列島と龍馬さんと云えば、ワイル・ウエフ号遭難のことと思い、池内蔵太ですかと尋ねる。
そうなんだ、5月2日は新上五島町(旧有川町)潮合崎沖で亀山社中の練習船となるべきワイル・ウエフ号が遭難した日なんだ。こんどその地に日本で3番目に大きい龍馬像が建つ。その除幕式に招かれているだ。
そうか、ワイル・ウエフ号は薩摩の小松帯刀の了解を得て、薩摩援助のもと、長崎のグラバーより購入した洋型帆船で、亀山社中の練習船として使用をまかされた船だ。
船籍が薩藩であるため、命名式のために慶応二年(一八六六年)四月二十八日、長崎を出航、長州藩の蒸気船ユニオン号に曳かれて五島灘を鹿児島に向けて南下していた。
ユニオン号は、ようやく成立した薩長連合による第一回の親善大使という含みもあって長州米500石を積んでおり、船脚を揃えるために両船はロープでつなぎ合わせていた。
五月一日午前六時頃から東風が激しくなり、夜十時頃には大暴風雨に発達、両船を繋いでいたロープは衝突を避けるために切断した。
ワイル・ウエフ号の船長黒木小太郎は天草に避難しようとしたが叶わず、北に流されて五月二日午前六時頃、島影を認めたと思つたとき船は浅瀬に乗り上げ、船将黒木は腰の刀を海に投じて神に加護を祈ったが、空しく大波にのまれ、士官浦田運次郎、薩藩士村上八郎、水夫市太郎、三平の四人のむが助かり、黒木以下十二人が死亡する悲惨事となった。その中の一人が龍馬さんが弟のように可愛がっていた池内蔵太だった。
龍馬さんは寺田屋事件でようやく難を逃れて左手の傷を鹿児島で療養中であったが、六月十四日鹿児島より下関に赴く途中、社中の一行を連れて五島に渡り、自分で碑文を書き、土地の庄屋に碑を建立させ、同志の霊を慰めた。江の浜の墓地には今も碑文、遭難者名を刻んだ墓碑がたっている。
土居先生に私も連れて行って下さいよとおねだり。ついでに長崎にも。
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拝啓  龍馬さん
一筆啓上仕候と書きかけて、さて龍馬さんはこの一筆啓上仕候で始まる手紙を何通書いたのかが気になり、宮地佐一郎先生編の「龍馬の手紙」を開きました。
結果11通を確認。これは、現在知られている手紙総数139通の1割弱にあたります。そのうちの
5通が、父八平と兄権平宛の手紙の書き出しとなっています。二男と云う厄介の身としては乙女姉さんへの手紙のように自由闊達には書けなかったんですね。そのうえ、この書き出しで始まる文は、どこかシャッチョコばって堅苦しい。重要な節目に差し出した手紙だからでしょう。

  一方、この神戸の地からの手紙は有名な「エヘン・・・」にしろ「洗濯・・・」にしろ故郷の皆に精一杯自分の活躍を誇る言葉が躍っています。実は私の親父も故郷土佐に向けては逆とんぶりするほど見栄を張ったものでした。帰郷の際のお土産の多かったこと、私達の身なりも坊ちゃん風に整えてのことでした。そう故郷に錦を飾りたいがは、何時の時代も変わらんぜよ。

 さて、この平成維新とも言うべき政権交代が実現したものの、半年を待たずして、はやくも鳩山政権の迷走止まるところを知らず。政権メルトダウンの様相を呈してきました。そして、巷には龍馬さん、あなたの再来を希う声が満ち溢れています。それは、薩長同盟、亀山社中、船中八策等の事跡がもたらす英雄としての貴方の再来を望み、この時代、龍馬さんがおればなんとしただろう、何をしてくれるだろう、どんな方向を指し示してくれるだろうとの切なる願いからに違いありません。もちろん自身龍馬の如く生きることを願う若者も数多。

  そんな時、私は貴方が旧友溝渕広之丞に宛てた一通の手紙が気になってしかたありませんでした。それは世に「龍馬の存念書」と云われる文書で、後藤象二郎との清風亭会談直前に、心中を溝渕広之丞に披歴した、龍馬さん、貴方の本心を語った唯一の手紙ではありませんでしたか。何故、龍馬さんが仇敵ともいえる後藤象二郎と手を結び海援隊結成に動いたのか、その際の、それまでの、龍馬さんの胸中を推し量れる一通と思っています。

原文では読みにくい年代の方もおられることから、津本陽先生の現代語訳を引用します。

  『先日お耳にいれた私の志を、ほぼこの書状にしたためましたので、ご覧下さい。私は二男で、成長するまで兄のもとにいました。江戸に遊学したころ、君恩に酬いるために、海軍に志があったので、藩庁に乞い、一生縣命に操艦術を身につけようとしてきました。しかし才能に乏しく知識は浅いうえに、常に困窮し、資材に不自由したために、単身孤剣を抱き、奔走するもすみやかに成功しませんでした。

 しかし、ほぼ海軍のかたちをととのえたのは、貴兄の知るところです。

 数年来東西に奔走するあいだに、しばしば土佐藩の上士たちに会い、知らぬ顔をして通り過ぎました。

 人として父母の国を思わないものがあるでしょうか。望郷の情を耐え忍んで故郷の人にも気付かぬふりをしたのは、情のために道を踏み誤り、宿志を遂げられなくなることを、おそれたためです。

 志を達することが出来なければ、どうして君公の御顔を拝することができましょうか。

これは私が浪人として天下を往来し、仕官することなく、半生の労苦を辞さないところです。

 貴兄は私をかわいがってくれるので、ここに日頃の志を述べるところです。お察し下さい。』

  この龍馬さんの言葉どうり、脱藩者は僅かな同志と連絡をとりあい、いつ命を落とすかも知れない浮浪の生活を送り、大半は戦場で死ぬか、路傍で倒れました。

本当に多くの友人知己を喪う悲しみに耐え、なおそれを乗り越え、『それハそれハおそろしい義理というものあれバこそ、ひとりのをやをうちにをき、玉のようなる妻ふりすて、ひきのようなるあかごのできたに、夫さへ見ずとおけいとハ、いさましかりける次第なり。』(慶応2120日池内蔵太家族あて・原文ママ)と池の家族に諭す手紙を書いている龍馬さんの覚悟を皆さんは知っていましたか。

そして、今どれ程の人々がこれ程の覚悟を背負うことが出来ることでしょうか。

本当にその覚悟が有るのか無いのかと龍馬さんから厳しく問われている手紙に思えます。

  この度の龍馬甲子園2010の「龍馬さんへの手紙」一筆啓上仕候と書きだしながら、以上のことを考え始め、精一杯筆を進めましたが、ここに感極まって、これ以上書き続け難く、これにて失礼いたします。

           ペンネーム  神戸龍馬子  2010.3.15

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 三春滝桜は今年必ず見ておくべき桜として年初より考えている。
三春町のHPにも開花情報が出ていて、写真を見る限り、まだつぼみは堅い。
町の予想では、11日ころ開花で、その5-10日後が見頃となるそうだ。
となると、今計画している4月12日では少々早すぎる。
桜こそは満開のタイミングと天気に恵まれないと完全とは言えません。
抜けるような青空に映えてこその桜でしょう。
ここは、18日の龍馬甲子園を済ませて20,21日くらいが良いのかな。

昨日の神山桜、しつこくUPしておきます。
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