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拝啓 龍馬さん
一筆啓上仕候と書きかけて、さて龍馬さんはこの一筆啓上仕候で始まる手紙を何通書いたのかが気になり、宮地佐一郎先生編の「龍馬の手紙」を開きました。
結果11通を確認。これは、現在知られている手紙総数139通の1割弱にあたります。そのうちの5通が、父八平と兄権平宛の手紙の書き出しとなっています。二男と云う厄介の身としては乙女姉さんへの手紙のように自由闊達には書けなかったんですね。そのうえ、この書き出しで始まる文は、どこかシャッチョコばって堅苦しい。重要な節目に差し出した手紙だからでしょう。
さて、この平成維新とも言うべき政権交代が実現したものの、半年を待たずして、はやくも鳩山政権の迷走止まるところを知らず。政権メルトダウンの様相を呈してきました。そして、巷には龍馬さん、あなたの再来を希う声が満ち溢れています。それは、薩長同盟、亀山社中、船中八策等の事跡がもたらす英雄としての貴方の再来を望み、この時代、龍馬さんがおればなんとしただろう、何をしてくれるだろう、どんな方向を指し示してくれるだろうとの切なる願いからに違いありません。もちろん自身龍馬の如く生きることを願う若者も数多。
原文では読みにくい年代の方もおられることから、津本陽先生の現代語訳を引用します。
しかし、ほぼ海軍のかたちをととのえたのは、貴兄の知るところです。
数年来東西に奔走するあいだに、しばしば土佐藩の上士たちに会い、知らぬ顔をして通り過ぎました。
人として父母の国を思わないものがあるでしょうか。望郷の情を耐え忍んで故郷の人にも気付かぬふりをしたのは、情のために道を踏み誤り、宿志を遂げられなくなることを、おそれたためです。
志を達することが出来なければ、どうして君公の御顔を拝することができましょうか。
これは私が浪人として天下を往来し、仕官することなく、半生の労苦を辞さないところです。
貴兄は私をかわいがってくれるので、ここに日頃の志を述べるところです。お察し下さい。』
本当に多くの友人知己を喪う悲しみに耐え、なおそれを乗り越え、『それハそれハおそろしい義理というものあれバこそ、ひとりのをやをうちにをき、玉のようなる妻ふりすて、ひきのようなるあかごのできたに、夫さへ見ずとおけいとハ、いさましかりける次第なり。』(慶応2年1月20日池内蔵太家族あて・原文ママ)と池の家族に諭す手紙を書いている龍馬さんの覚悟を皆さんは知っていましたか。
そして、今どれ程の人々がこれ程の覚悟を背負うことが出来ることでしょうか。
本当にその覚悟が有るのか無いのかと龍馬さんから厳しく問われている手紙に思えます。
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永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)