書きますよ~皆さんついてきてくださいね!
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はや1年が過ぎました。去年甲状腺摘出手術の後遺症・オシッコ漏れを気にしながら明石市民会館大ホールで一日過ごしたことを思い出す。
去年から開会の御挨拶を申し付かり、今年からは形だけながら実行委員長なる肩書きまで頂いた。
今年に限り、市民会館改修に伴い、会場を大久保の明石産業会館全館を借り切ってのコンテストとなります。
会場変更にご注意ください。
さて、挨拶のことですが、中学1年から高校3年までの6年に渡る生徒諸君へのご挨拶となれば、6年間は同じ内容は避けなければ。
というわけで、今年は昔話2題を取り上げてお話しようと考えています。
①吹奏楽いわゆるブラスバンドの日本人による本邦事始めについて。
②この明石が昔、といっても終戦直後のこと。JAZZトランペットの名産地であったこと。
まず、①について調べてみると、日本の吹奏楽の歴史は1869年に薩摩藩が、藩士を選抜して、ウイリアム・フエントンの指導を受けさせ、薩摩バンド(薩摩藩軍楽隊)を編成した時に始まる、 とあった。
そのメンバーが廃藩置県にともない陸軍海軍に創設された軍楽隊(陸軍は戸山学校軍楽隊)の中心となった。
また、日本人によらない日本の地での吹奏楽(軍楽隊)の響きが初めて鳴り響いたのはペリーが浦賀に来航した際(1853年嘉永6年)のことと云われている。
②については別項で改めます。
去年から開会の御挨拶を申し付かり、今年からは形だけながら実行委員長なる肩書きまで頂いた。
今年に限り、市民会館改修に伴い、会場を大久保の明石産業会館全館を借り切ってのコンテストとなります。
会場変更にご注意ください。
さて、挨拶のことですが、中学1年から高校3年までの6年に渡る生徒諸君へのご挨拶となれば、6年間は同じ内容は避けなければ。
というわけで、今年は昔話2題を取り上げてお話しようと考えています。
①吹奏楽いわゆるブラスバンドの日本人による本邦事始めについて。
②この明石が昔、といっても終戦直後のこと。JAZZトランペットの名産地であったこと。
まず、①について調べてみると、日本の吹奏楽の歴史は1869年に薩摩藩が、藩士を選抜して、ウイリアム・フエントンの指導を受けさせ、薩摩バンド(薩摩藩軍楽隊)を編成した時に始まる、 とあった。
そのメンバーが廃藩置県にともない陸軍海軍に創設された軍楽隊(陸軍は戸山学校軍楽隊)の中心となった。
また、日本人によらない日本の地での吹奏楽(軍楽隊)の響きが初めて鳴り響いたのはペリーが浦賀に来航した際(1853年嘉永6年)のことと云われている。
②については別項で改めます。
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GENOMUか「はなのゆめ」なのか、それは聴く者にまかされること。
全13曲。彼のこれまでの人生の情感、ロマンが全て詰め込まれたかのような宝筥。
そのどの曲にも、精一杯のメッセージが詰め込まれていて微笑ましい。
彼には、音楽が最強の自己表現手段なんだと腑に落ちる。
01.さよならROCK STAR 02.真夏のオレンジ 03.SEA SIDE ONE DAY 04.色違いのブランコ 05.お願いマリー 06.WHEN I WALK IN THE RAIN 07.カメレオン 08.クローバー 09.A Christmas Song Just For You 10.恋に落ちて 11.宇宙からのプレゼント~遺伝子に乗って~ 12.華乃夢~GENOME~ 13.空を見上げて 以上曲目を全部書いてみた。
なかなかのバリエーションで、もちろんメッセージも多彩だ。
勿論、All Lyrics&Music&Arrangement &Performance: Izumi Keita とあって、全てオリジナル。
曲を聴いての感想は、個人の好みと年代に左右される。私が感じたことが当たってるかどうかも怪しいものだけど、御年68歳の老人がどう聴いたかも少しは参考になるんじゃないかな。
我が年代は戦後押し寄せたJAZZの影響をもろに受けた年代で、何しろメロディー渇望症だ。
その為、現今はやりのラップその他、はっきりしたメロデイーが浮かんでこない唱は誠に苦手。
最初は圭太の歌もやはり今時の唱に思えた。
しかし何度も聞くうちに、01.02.のノリ、04.のイントロ等メロデイーライン以外のバッキングの中に、キラりと光るメロデイーの落ち穂に気付く。またバッキングの構成の確かさはまさにクラッシック。
そして12.が特にお気に入りになりそう。
笑われるかもしれないが、全体に桑田テイストを感じると言えば怒られるかな。
そして、有りがちだが歌い過ぎ、弾き過ぎ、うるさ過ぎになっているように思った。
あと望むらくは、サウンドの味付け。もう少しソフィステイケイトされたサウンドを加えれば、ぐっと曲想が変わってくるはず。一度大里聖彦に聴かせて意見を聞いてみたくなった。彼のアレンジでブラシュアップだ。
勿論、このままの素材でも熱烈なフアンが付くだろうし、飯は食っていけりこと間違いありません。
あとは、彼を理解して彼をプロデュースしてくれる存在に巡り合えさえすれば化けること間違いなし。
弘子ちゃんの次弟からCDが送られてきた。彼の長男の最新のCD『華乃夢』だ。GENOMEとある。
むしろGENOMUじゃないかと思いながら、この項を書いている今もCDを聞きながらで、もう10回は繰り返し聴いている。
彼圭太は3兄弟の長男で、印象としては何時もはにかんでいるおとなしい男の子というところだった。
その彼が、プロのミュージシャンを目指して務めているホームセンターの店長(館山だったっけ)をやめちゃったと知らされた時には、内心えらことをするやっちゃと舌を巻いたのを思い出す。
我が一族には割と音楽には親しんでいるメンバーが多い。
たとえば彼の親父、即ち弘子ちゃんの姉弟だって、弘子・フルート、妹・サックス、長弟・クラ、次弟(圭太の親父)・トロンボーンと、同じ明石高校音楽部OBだ。
私の兄弟も私と弟がトロンボーン、そして妹がクラリネット。清志親父は器用にハーモニカを吹いたもんだ。
かっては、津野・出海でバンドが出来るとまで思ったもんです。
特に、圭太の親父はあこがれの北大に入学し、北大のオケでトロンボーンを吹き続け、一時はプロの道を望んで芸大を目指すと宣言した際には、親族総がかりで思い止めたことが有った。
その頃から付き合っていた圭太の母親もピアノで、永年ピアノ教室を開いている。
その環境で、圭太は幼少の頃から、ピアノ、バイオリン、トロンボーンと音楽漬けだったんじゃないのかな。
そうなれば、自分の可能性を求めて音楽で身を立てようとするのは自然な流れだ。
しかし、この世界は華やかな外見とは違って実力・天分がなければ生きては行けない。あったとしてもチャンス・幸運に恵まれないと浮かばれない厳しい世界だ。
圭太が自分の道と決めて、さっさとサラリーマン生活に区切りをつけて、稼いだお金で音楽学校に入り、勉強しなおした結果、多分2008.10ころから、デビユーしたんじゃないかな。(ブログ『文明開化の音達へ』が始まったのが2008.10.11)
圭太の親父も、今回のCDの出来を聞き、これならとの思いで送ってきたことと推察します。
自分が果たせなかった夢を長男に託しながらも、その道の厳しさにハラハラドキドキと云ったところだ。
かくなれば、圭太に心からの応援を送ることはもとより、なんとかメジャーに化けて欲しいと願うのは当然。
おっちゃんも、繰り返し聞いてみて、感想を纏め親父に返事を書かねばと思っています。
まあ、参考にはなりそうにもないけれど。
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永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)
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