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ファンタスチック街道すなわちルート27を南下する眼前に、一段と高い山の頂上におとぎの国のお城が見えてくる。ひたすらこのお城を目指して走るが、なかなかその麓の町にさえ近づけない。
やっとの思いで辿り着いたお城へのシャトルバス乗り場で車を止めてバスに乗車。お城に向かった。
このお城は珍しいことに、カトリックと新教と二つの教会が向かい合ってたてられていました。
新教の教会は博物館風に利用・公開されていましたが、カトリック教会は閉鎖されたまま。なぜなんだろう。
麓に近付くのさえ、あれほど時間がかかったはずで、お城からは360度見渡す限りの平野が広がる。唯一このお城の山が高々と聳え立っているわけだ。
その広がりなど写真をUPしたいのですが、私の不注意から、この帰りのバスで、それまでお城を映していた一本のフイルムとともに、車中にカメラを置き忘れてしまった。
このことに気づいたのは次に向かったロットウエルの街に着いたあたりのことで、ここで一泊して翌日取って返し、バス、城内など尋ねて回ったが、とうとう発見できませんでした。
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のちに少々勉強して知ったことだが、このお城の主たるホーエンツォレルン家こそが、かのプロイセンを中心としたドイツ統一をなし遂げ、ドイツ帝国が誕生する母体となったもので、ビスマルク鉄血宰相のもと第一次世界大戦を戦うが敗北して、ドイツ皇帝ウイルヘルム2世が亡命してドイツ支配に幕を閉じるまで、ホーエンツォレルン家は続いた。























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ルートビヒスブルグ宮殿はシュッツトガルトの北近郊にあった。もう一度シュツットガルトに戻り、こんどはホーエンツォレルン城を目指す。当時日本人旅行者がドイツを旅する際、ロマンチック街道とファンタスチック街道の名前で、必ず尋ねてみたい名所の代表となっていたうちの、ファンタスチック街道を途中から、終着のボーデン湖畔コンスタンツまでをぶっ飛ばすことになった。
一度は走ってみたいと思っていたアウトバーンは最低速度の表示のみで、おまけに右側通行ときている。
しかし、片側車線のみの流れになれて、ちょっと運転してみようかとなったが、まずい運転でもしも、花嫁花婿に怪我でも負わせたことには、皆に合わせる顔がない。ここはじっと我慢して、自重に徹することにした。
それでも沿道に珍しいものを見かけると、近くまで乗り付けて確認したり、美しい風景に遭遇すると、当分その場所から動かず堪能するまで、景色に眺め入る。結構手間のかかるドライブとなったようです。

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ヒースロー空港からシュツットガルト空港まで1時間15分とメモしている。シュツットガルトと言えば、ドイツの南西部に位置している、かなりドイツ内陸部の州都で、本当にそんな短時間で行けたものか不思議になって、両空港間の公式飛行時間を検索してみるが、なかなかたどり着けないえいます。
空港でレンタカーをピックアップ。せっかくだからベンツを借りようと申し込んでいたが、レンタカー屋の都合で
ベンツも一番小型しか用意できなかったとか。それで充分と思うが、二男はもっとゆったりしたベンツでなくて残念そう。シュツットガルトにはダイムラー・ポルシェ・ボッシュ等、超有名自動車メーカーの本社があり、ベンツ博物館とかポルシェ博物館があるそうな。
そんな街を通り抜け、かの有名なヒットラーの遺産であるアウトバーンを辿って近郊のルートビヒスブルグ宮殿見物を目指す。
17・18世紀の欧州の支配者が手本としていた建物は太陽王・ルイ14世が築いたベルサイユ宮殿でしたが、
この地方の君主・公爵エーベルハルト・ルートビッヒもそれにもれず、1704-1733年にかけてこの宮殿を完成させたそうです。欧州最大級のバロック宮殿として戦災を免がれて保存されています。
この宮殿いこう、立ち寄ったどの城・宮殿も、その当時の庶民生活とは遥かかけ離れた荘厳華麗そのものの造りで、その当時の身分格差の如何に激しく厳しいものであったかを彷彿させられました。
庭園は一部英国式庭園に改装されていて、今日ではシンメトリーと豊かな花壇が混ざった庭園となっておりました。
宮殿見学のウエーテイングホールで待っている際、埼玉出身のフランス航空のスチュワーデスと話している際、私をはなから日本人と思わず、英語で話しかけてきたのには驚いた。・・・日本人とわかるとまたまた驚いていた。・・いったい何人と取り間違えたのだろうか。
宮殿内は肖像を主に絵画で飾られ、天井絵はキリスト礼賛の絵巻で埋め尽くされている。
荘重な玉座があり、この場から封建制絶対君主が人民に対し過酷な政令を発していたに違いない。
写真の女王様の玉座には、なんとお丸が取り付けてありました。
ヨーロッパに香水が発達したのも、このせいだったに違いありません。
そういえば、宮殿内にトイレらしきものは何処にも見当たりませ
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コッツウォルズ見物だけでも望外の喜びであったのに、翌日早朝からはシュツツトガルトに飛んでのヨーロッパ縦走を計画しているという。実際下見に出かけて現地を確認してあるらしい。
思いがけない大プレゼントに戸惑いながら、ここはありがたくお世話になることにした。
6月25日早朝4時起きでヒースロー空港へ向かう。7時15分の便に搭乗してシュツットガルト空港へ。
かのドーバー海峡を見下ろしながらの1時間15分は窓際に陣取って窓外を覗きぱなし。
近くはナチスドイツ・ヒットラーがこのドーバー海峡を渡るべくカレーの港でどれほど地団駄踏んだことでしょう。
ロケットによるロンドン無差別空襲を経て、今度は逆に連合軍(英米空軍)による戦略爆撃の大編隊が、この海峡を渡って、我々が目指すシュッツトガルトも空爆の標的にしたという歴史があります。
ドイツの有数の工業都市であるシュッツトガルトは軍需産業で栄えたのち、今は自動車産業のメッカとして栄えている。
機上から見下ろす光景は、今は戦争の傷跡を探そうにも見つからない。有名なマジノ線も緑のじゅうたんに覆われているのだろう。実際、フランス・ドイツは農業国であることを実感する。
しかし地上に舞い降りてみると、そこは近代工業都市の顔と、美しいお城を有する歴史都市の二つの顔を持つ街でありました。

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