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 領主から許可を得た経高は、家臣を率いて、津野村の床鍋に移り、永住の地と定めたが当時この地は山又山の狭間にある深い谷間で、生活に必要な衣食の道にさえ困難する位であって、このままでは到底永く止まることが出来ない。しこで経高は自ら先頭に立って家臣群と雇い入れた土民等を指揮して、それこそ日夜、深山荒地の開拓に従事した。その結果、延喜18年になって漸くのこと約480余町歩の開墾地を得ることが出来た。
そこで、村を作り、住民を呼び迎え居城を築いた。
もともとこの地には今まで名前が付いていなかった。そこで何とか名を付けようと思案したが、なかなか之と言うべき名も思い浮かばない。
兎に角、思案に暮れているうち、ふとこの山に梼の木が非常に繁茂していることに気が付いて、遂に梼原と命名した。
朝廷にこれらの事が聞こえたのでしょう、翌延喜19年には経高をして上洛を促す勅が下った。
そこで、取るものも取り敢えず上京してみると、天皇は、経高が全く前非を悔い、改心して、十分に謹慎していることを嘉みされて、結果津野庄、1000町歩を賜るという恩命に浴した。
この時の経高の喜びは大変なもので、天恩の有難さに感泣し、御前を退くとともに、その山内姓を改めて、津野氏と称することにした。
このようにして、天下に五尺の身の置き所も無く嘆き悲しんでいた経高は、ようやく天日を拝する事が出来るようになったことを喜び、欣喜して帰国の途についた。

【今、龍馬脱藩の道を訪ねる人々でごった返す梼原の地を開いたのが我が先祖とは、少し誇らしくて、小声でエッヘン。】

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