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 昭和51-2年頃から時々は顔を合せるが、お互いあの時の出来ごとには極力触れないようにして来た。
しかし、定年まで半年となった今、月見の夕べ等面白い企画連発の天文科学館館長として活躍されている沢井館長に、あの時の真相を聞いてみたくなった。
明石市民会館の自主企画としてJAZZクラの名手・北村英治を招いて「JAZZ街あかし」を公演したのが昭和51年(1976)のこと。我がボサリオ一座も参加して中ホールでの公演でまあまあの入りだった。
やっとこの明石にもJAZZが根ずくキッカケとなったかなと気を良くしていた。
この状況を見てのことだと思うが、当時市民会館の企画員であった沢井君が立て続けに渡辺貞夫(アルトサックス)・日野皓正(トランペット)のコンボを招いての2公演をやっちゃった。
当時之が大阪・神戸なら超満員間違いなしと言う人気最高のバンドで、ご本人も凄いがメンバーも最高の陣立てでした。
しかし、まず前売りが売れない。2度とも沢井君が顔色を変えて連日神戸のライブハウス(ソネ等)に通い、チケット売りに努力したが捗捗しくなかった。
そんな状況下、無情にも本番はやって来る。両公演ともターヤン(伊藤隆文)の音楽仲間で、特にナベサダさんはバンドのメンバーとして雇っていたこともあるので、楽屋見舞いに駆けつけた。
私達もお伴をしてサインもちゃっかり頂き、入りはどうかと舞台そでから会場を覗いた。
その当時1600人定員だったが、一階の真中辺りに肩を寄せ合うように150-160人ほどが入った状態。
やっぱり明石はJAZZ後進地帯だったと思い知ると同時に、プレーヤーの皆さんに申し訳ない気持が胸につかえる。
しかしそこは流石のプロ魂。ステージ上のメンバーは何事もなかったように熱の入った演奏を繰り広げる。
数少ないながらお客は大喜びでスタンデイングオベーション。其れなりに雰囲気は出来上がった。
なあ何とか2公演は無事に済んだことと思っていたが、ある日沢井君が下水だったか水道だったかに転属になったと言う情報が聞こえてきた。
明らかに2公演の不入りの責任を取らされた懲罰人事としか思えない。昨日まで文化事業に携わっていたものを下水・水道の営業に回すとは。まるで畑が違うだろうと叫んだものだ。
当時、沢井君の姿を見かけることもあったが、そんな先入観で見たからか青菜に塩状態で声もかけられなかった。
そして40年。いまや時効となっていることだし、その辺の経緯を、いや真相をご本人に聞いてみる良い機会と思ってプラネタリュームコンサートのチケットを買ったのに。どなたかペアで行きませんか。乞う連絡。


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