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25日関空を立って25日ロス空港に到着。洋画でよく目にする大空港の実物が眼前に広がる。
周りは全部外人ですぜ。いやお前が珍妙な日本人ですよ。
海外は長男のハワイアンウエデイング以来のこと。空港には三男が出迎えてくれて、日本ではそうお目にかかれないポンコツ寸前の車でホリデーインに向かった。なにせ荷を解いて一息入れたい。
たしか晩飯もホリデーインで済ませたように覚えている。レストランで日本での調子でオーダーをしようとすると三男がしきりにブレーキをかけてくる。その意味はすぐにわかった。なにしろ一人前のボリュームが半端ではありません。これを人数分オーダーしていたらとんでもないことになっておりました。
その上、飲み物のバリエーションの多いことと、これもたっぷりとでてまいります。
デザートもそう。たぷたぷの肥満体形がおおいはずですわ。カロリー過多もいいところ。
卒業式は何と、夕方6:30からの開式。これも日本とは大違い。そのうえ会場は広い芝生敷きの中庭でのこと。ほとんど雨の心配をしなくていいんだ。
LACCはヒスパニック・黒人・東洋人それも中国華僑の子弟が多いようで、三男も全く違和感なく溶け込んでいる。着席している最中も、賑やかに挨拶を交わす。この明るさがとても心地よかった。
卒業式用のガウンもペラペラの薄物だけど、そんなことは気にもしていない。
MUSIC科の在校生バンドが国歌を演奏することから式は始まる。
聞くと三男もかなりいい成績での卒業とのことだ。・・・ほんまかいなとマジマジ見直す。
一人一人卒業証書が手渡されて、それぞれに称賛の拍手が沸き起こる。皆が誇らしげに微笑んでいる。
こんな卒業式、本当に良いなと弘子ちゃんと言葉を交わした。  CONGRATULATION
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晋災フィーバーほぼ終焉のメモが5月15日大書。
街も落ち着きを取り戻し、売上も徐々に元にもどっていく。震災という人の不幸に便乗してのひと時のシノギはそんなに続くわけもない。それでも、無理をして板前さんを一人雇った。
というのも、ロスで留学中の三男から、大学の卒業式には是非来てくれとの連絡が入っていた。
思えば、この一時のにぎわいが無かったら、卒業式参列などとても行けたもんではなかったろう。
高校卒業と同時にアメリカ・ロスアンジェルスに放り出して、たよるコネは高知県人会ロスアンジェルス支部への尼崎県人会・玉川氏の紹介状のみだった。
それでも、入学のための英語学校通いから初めて、ロスアンジェルス・シティー・カレッジ(LACC)のなんと
MUSIC・COMPOSER科に入学。日本人街のしゃぶしゃぶやでアルバイトをしながら、本人曰く「生まれて初めて勉強しましたわ。」状態で、かなりハードな毎日を送ったはず。三男が大きく成長する切っ掛けとして本当に有益な留学となったわけ。今図書館にいると電話をしてくる。かなり辛くてめそめそ、こちらもたまらず、帰っておいでと声をかけるが、そうなるとこれが帰ってこないんだなあ。
そんな苦労に報いるためにも、どんなところで勉強し、生活していたのか確かめるためにも、是が非でもロスには行かねばなりません。
現地5月25日6:30から卒業式ということで、25日関空をロス向けて飛び立った。

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我が親、清志・みつ枝に2男1女あり。突撃隊、鉄砲玉の役割の長男私と、兄貴がハマった水たまりをひょいと飛び越える弟。じゃじゃ馬妹の3人兄妹。それに8人の孫が生まれ、弟と妹のところに其々女の子が一人づつ。
そのうちの一人の姪っ子の結婚式だ。
当方の3兄弟は三男が一昨年の4月の結婚式を挙げて全てが完了している。
おもけに嫁に出すのは初めてのこと。
この姪っ子は母・みつ枝のDNAうを色濃く受け継いでいてなかなかに美しく聡明であります。、昨日一堂に会した弟嫁の家族を見渡しても、似通った面ざしはなかった。
そうとなれば表面おとなしそうに見えて、人に苦いことなど一言も言わなかったが、自分の思いは最終貫いていた母と同じ気風を受け継いでいるに違いない。
婿さんとは今回初めてお目にかかる。これはどうやら姪っ子の母親の影響が強かったようだ。
そしてどうやら姪っ子がぞっこんの様子。付き合って8年越しとなれば、6年鼓しの我が夫婦も脱帽です。
それだけに、初々しさを通り越して、花も嵐も踏み越えてきた落ち着きさえ感じとりました。
我が方は嫁を迎えたはずが、むしろ息子は遠くに行つた感じ、ところが今回は嫁に出したはずが、嫁の実家で同居生活をすでに始めているとか。おまけに婿さんは長男であるとか。
なんという贅沢なことになっているんだと話を聞いて思わずのけぞった。
姪っ子のお友達がビデオで一言メッセージをもとめてきてくれたので、これだけは言わねばと申し上げた。
『もう孫の誕生も近いとか、旦那の御両親にさびしい思いだけはさせないように』これは、とリも直さず自分の願いであるわけだ。  ・・・SO IN LOVE おめでとう。
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長男家族からのメッセージ風船と三男夫婦からの祝電が届いておりました。

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開始早々10分くらいの岡崎がゴール前自分の放ったシュートのこぼれ球を地面すれすれ砂を噛むようなヘッドで押し込んだ。滝川二校のサッカー黒田前監督がテレビの前で飛び上がって喜んでおられるであろう姿が目に浮かんでくる。
この調子なら3-0は固いなとの気持ちが、いや待てよと変わったのは、大久保嘉人と完璧ゴールがオフサイド判定で幻となったあたりから。
アウエーといい、それも中東のイランの北、アッラーの教えの割にはアラブ的陰険さを感じる。グランド状態も良くなく、スピードパス回しを得意とする日本には不利、おまけに芝はかなり深そう。
そのうち、主審がチョイトおかしいことに気づく。アウエー条件でこの審判がどう見てもフェアーでないというのが一番手に負えない。前半20分ぐらいから試合終了まで、日本は必死の防戦を余儀なくされた。
中沢が足がつってたおれこんだことで、如何に防戦一方だったかが分かる。なにせジャンプしての競り合いが
多くてのダメージだ。
終了間際、長谷部のひじ打ち一発退場などは正にお笑い。大げさにピッチに倒れこんだウズベク選手には最優秀演技賞を差し上げておく。
それとウズベク⑮カリモフにもお礼を言っておきましょう。
なかなかのボールコントロールでゴールあたりでボールにたびたび絡んでくる。
しかし、結果吹上シュートばかりで、まったく恐ろしくない。これはありがたいと思っていたら、やっと後半34分過ぎに交替となった。この交替をもっと早くやられていたらどうなっていたかわからない。
後半46分にはボールがバーをたたく。おまけに岡ちゃんが退場を命じられる。
ウズベク⑧がとくに良かったばかりに、恐ろしい試合でありました。
確かに日本には名パッサーが中村峻・遠藤・中村憲とそろってはいるが、⑧が球を持って中盤左から中目に切り込んでいく際の、なにが起こるか分からない不気味さを感じさせるような玉はいない。
お隣のB組では死闘が繰り広げられている。
日本は最速ワールドカップの切符を手にしたと喜んでいるわけにはいかない。
前回ドイツでの惨敗の悪夢を二度と見せて欲しくはありません。
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水・ガスなしでどうして商売が出来たのか、未だに不思議でならない。1月17日の大震災の翌日には、さんよう喫茶地階での何でも温かいものであれば飛ぶように売れた。着のみ着のままで辿り着くような人も多かった。
ビルと道路の間が陥没していたところにやっと架設の橋が掛かり、23日からはブラジルでの営業を開始した。
ガスはカセットボンベで、水はビルの高架水槽に残っている分を独り占めで使えた。というのも地下の他店は何と27日まで休業だった。
水道が復旧したのが28日、2月1日になってガスが回復した。
その間、難民救済の如き炊き出し風営業は多忙を極めた。ある意味、震災景気に預かったというわけだ。
メモを見ると。それでも1月29日には淡水サッカーの会長を仰せつかっていた立場から、会員の安否消息のため電話をかけ続けている。
②月14日にはやっと渡部浩太郎先生の身より先が判明、お見舞いの電話を差し上げることが出来ました。
ただ、一年後輩のN君の父君が圧死されたとか。なんと2月18日になってようやく西神の葬儀会館で葬式の順番がきたとかで、会を代表してと、友人として会葬いたしました。
東京から長男が、放出からは二男が心配して帰ってきたのが2月17日。長男は無事を確かめると、嫁の具合が悪いと、とんぼ返りで帰って行った。
19日、忘れもしない、二男が大阪に帰るのを、三宮まで見送ることにして、JRで神戸まで行った。
テレビではさんざん町の悲惨な様子は見ていたつもりが、須磨を過ぎてすぐ、焼けただれた家々、崩れ落ちたビルの光景が眼前に飛び込んできたときには、思わず悲鳴が周りから湧き出て、私自身も驚いて腰を浮かす始末だった。
確か、電車は神戸までで、大阪行きのバスは三宮のルートイン前からの発着だ。
基町通りを神戸駅から元町駅までたどる。この商店街は比較的被害が軽い印象だった。
凄まじかったのは三宮センター街。西電社もダイエーも倒壊状態。東門筋に回ったところが、ここも足の踏み場もない。そして三宮駅周辺の有様はもっとひどかった。
この時、神戸の復興は10年かかるだろうと言われたもんだ。
しかし、実際は他県からのにわか仕立ての業者も含めて、工事屋さんがひしめき、3年であらかた工事が終わってしまった。震災景気は3年と持たなかったわけだ。

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