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水・ガスなしでどうして商売が出来たのか、未だに不思議でならない。1月17日の大震災の翌日には、さんよう喫茶地階での何でも温かいものであれば飛ぶように売れた。着のみ着のままで辿り着くような人も多かった。
ビルと道路の間が陥没していたところにやっと架設の橋が掛かり、23日からはブラジルでの営業を開始した。
ガスはカセットボンベで、水はビルの高架水槽に残っている分を独り占めで使えた。というのも地下の他店は何と27日まで休業だった。
水道が復旧したのが28日、2月1日になってガスが回復した。
その間、難民救済の如き炊き出し風営業は多忙を極めた。ある意味、震災景気に預かったというわけだ。
メモを見ると。それでも1月29日には淡水サッカーの会長を仰せつかっていた立場から、会員の安否消息のため電話をかけ続けている。
②月14日にはやっと渡部浩太郎先生の身より先が判明、お見舞いの電話を差し上げることが出来ました。
ただ、一年後輩のN君の父君が圧死されたとか。なんと2月18日になってようやく西神の葬儀会館で葬式の順番がきたとかで、会を代表してと、友人として会葬いたしました。
東京から長男が、放出からは二男が心配して帰ってきたのが2月17日。長男は無事を確かめると、嫁の具合が悪いと、とんぼ返りで帰って行った。
19日、忘れもしない、二男が大阪に帰るのを、三宮まで見送ることにして、JRで神戸まで行った。
テレビではさんざん町の悲惨な様子は見ていたつもりが、須磨を過ぎてすぐ、焼けただれた家々、崩れ落ちたビルの光景が眼前に飛び込んできたときには、思わず悲鳴が周りから湧き出て、私自身も驚いて腰を浮かす始末だった。
確か、電車は神戸までで、大阪行きのバスは三宮のルートイン前からの発着だ。
基町通りを神戸駅から元町駅までたどる。この商店街は比較的被害が軽い印象だった。
凄まじかったのは三宮センター街。西電社もダイエーも倒壊状態。東門筋に回ったところが、ここも足の踏み場もない。そして三宮駅周辺の有様はもっとひどかった。
この時、神戸の復興は10年かかるだろうと言われたもんだ。
しかし、実際は他県からのにわか仕立ての業者も含めて、工事屋さんがひしめき、3年であらかた工事が終わってしまった。震災景気は3年と持たなかったわけだ。

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