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腹膜に広がっている癌細胞が動き出せばがん性腹膜炎を起こし、腹水がどんどん溜まることになる。
当時、癌患者を抱える家族の最後の頼みはいわゆる丸山ワクチンではなかったか。
肺病患者に癌が発生しないことに気がついた丸山ドクターが編み出したワクチン療法であります。
これの難点は、有効な患者とまるで効かない患者とはっきり効果がわかれること。症例報告では、著しく改善されたものもあると喧伝されれば、もしかして我が親にもとすがるのは人情です。
昭和58年8月15日のワクチン問い合わせのメモが残っています。18日に東京都文京区千駄ヶ谷の日本医科大学附属病院皮膚科を尋ねることになる。
8月26日の院長回診で明日退院して宜しいとの許可が出た。その時の親父の嬉しそうな顔と言ったら。
この一年見たこともない良い笑顔を見せた。
もちろん、丸山ワクチンを打つことは、本人には知らせられない。術後、コバルト照射が無かったことから、どうやら胃がんではなかったらしいと母に漏らしていた。
そこで、退院後、もとの松浦内科に戻り、そこで栄養剤とか何とか言って丸山ワクチンをうってもらうことになった。
それでもえらいもので、術後体は本来の自然治癒力を発揮して、めきめき元気になってゆく。食欲も出てきて
医院の帰りに少し歩いてみたりする。
このままの状態が続いてくれればいいんだが。気休めの丸山ワクチンが効いているようには思えない。
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写真の日付は日本時間で、日付変更線の関係で、現地では6月23日となる。
6月のイギリスは素晴らしいと聞いていた。長い長い冬が終わり百花繚乱の季節となる。ゆえにジューンブライドといって、結婚式もこの頃が一番とされているらしい。
きわどく仲介料を稼いだ結果、なんとかロンドンに来る余裕が出来ました。ちょうど不動産仲介専業となって、まさに大きな案件をものにして、この仕事に手応えを感じ、気持の上でもこの旅行を楽しむ気になっていました。
こんな気持ちはこの20年来初めてで、仕事の気がかりもメールとかで、産宅洋行のITのお師匠さん・小森先輩に連絡をとり、なんの心配もない。将に私のIT元年でもありました。
ヒースロー空港には次男夫婦が出迎えてくれて、レンタカーでロンドンの寄宿先へと急いだ。イギリスは日本と同じ左側通行なんだ。
時差ボケに悩みながら荷物を片付けてやっと人心地が着いた。さあ夕食となって街に出かけた。
二男曰く、イギリスはホントに料理のまずい国で、インド料理か中華料理がまだましと言う。
それでは中華となってお目当ての店にいってみると1時間半待ちときた。しかたなく近所のPUBに飛び込んで時間を潰す。このPUBがなかなかのもので、歴史を感じさせる。
そういえば下宿先も結構時代がかっていて、確か築200年は経っているとのことだった。
入口の軒先にはブルーの看板が張り付けてあって、このプレートはこの家に歴史上有名な人が暮らしていたことの表示だとか。
住居表示は ハムステッド・スイスコテージ Bコート
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PUB
前景

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          下宿先前景             








                          中華料理


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楽しかった思い出も綴っておかないと、我が仕事館で書き進むあと15年の悪戦苦闘ばかりでは筆が進まない。
平成12年の2月ころ、月一回はかかってくるロンドンからの国際電話で、二男がいよいよ6月でロンドン大学のMBA取得となるので、遅れている結婚式をロンドンで挙げたいが、家族そろって来てくれとの話。
この頃と言えば、我が備忘録にも平成11年11月ー平成12年3月大貧乏と大書してあるくらい、すこぶるつきのどん底時代。というのもお店を開けておれば、自分の手を食ってんだろうが、手元の現金で多少の融通がきくが、平成11年2月から最後のさんよう喫茶も閉店撤退して、産宅洋行・西海先輩の看板をかりてのヤドカリ
不動産仲介となっていた身にはほんと現金収入が見込めません。この貧乏のおかげといえばタバコをやめたこと。なにしろ吸いたくとも買うお金がありません。
そんな最中のロンドンにお出でとの電話に即答ができるはずもなく、3月ころには目途がたつかもと言葉を濁すしかありません。
けれど人生捨てたもんではありません。求人のビラを見ていると、明石の南二見にある人工島の三徳金属という会社が3交代24時間操業の人員を募集している。いまどきそれほど忙しい会社もなかろうと記憶にのこっていた。確か携帯電話のバッテリーに必要なレアメタルを製造しているとか。そんなときその工場の隣地2000坪が売却との情報をつかんだ。とりあえずFAXだけでも入れようと入れたところが10分もかからず問い合わせの電話がかかり、是非欲しいと正直な係長の声がした。
それまでの実績は一件あたり5億を超えることはなかったが、この契約は最終、隣地の移転先購入までいれると10億弱の金額となるもんだった。その決済が3月15日と30日。
やっとのことで、6月30日ジューンブライドの最終日に間に合うこととなり、切れていたパスポートも更新して関空から日航に飛び乗ってロンドンへと向かったのが6月23日のこと。

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診断の結果、早急に手術すべしとなったが、がんセンターのベッドの空きがなくて即入院とはいかない。
そこで啓三の付属中の同級生で、今は県の参事となっている神田君に頼みこんで入院の便宜を図ってもらうよう依頼した。そのかい有ってか、7月16日になって、18日入院と決まった。
18日の入院の朝、家族皆に見送られ家を出発。親父はかなり神経の高ぶりが見られた。
がんセンターの病室は思ったより広く、清潔で、すこし気持も落ち着いた。
このあと、22日最終診断。26日1時からの手術と決定。
26日の手術日には、土佐からも兄弟が駆けつけ、手術室まえには16人が心配で声も無い。
今、手元に2冊のノートが残っている。1冊は6月27日から始まる私の備忘録。そしてもう一冊は入院の7月18日から始まる親父の闘病記。
両方を読めば、思わず当時のせっぱつまった気持が蘇り、果たして私の取った処置が正しかったのかどうか思い悩むこともあります。あれほど苦しい手術を受けさしたのは、間違いでなかったのか。むしろ死を早めたのではなかったか。・・しかしなんといっても、嚥下障害があれば栄養不良で命は持たない。今のように遺漏で栄養補給が十分出来るレベルにはまだ至ってはいなかった。
経過、親父の感想など詳しくはとても書けない。
ただ言えることは、たいがい胃がんの患者のことには詳しいはずの親父が、我々が糜爛性の胃潰瘍だという言葉に疑いを示さなかったこと。闘病記には、自分の苦しさよりも、私ばかりに重荷を背負わすことになったすまなさを気遣う言葉ばかり。はやく人生2度目の大病を克服して現場復帰を願う思いが書いてあります。
入院以来、俺の病気のことは伸一に聞いてくれとすべてを任せてくれたのは、うすうす重大な病状を察知して
のことだったかも知れない。
手術の結果、望月主治医から腹膜への移転があり、よく持って4-6ヶ月の余命との説明があった。
このことは、私と啓三・弘子・妹の旦那の芳男の4人のみに知らせ、ほかの家族には手術成功と報告した。
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確か、昭和58年6月初旬、事務の楠田さんが、マスター(親父のこと)どこか具合が悪いのではと聞いてきた。
寝耳に水の感じで、どうしてそう思うのかと問うてみると、親父の姉(高知で産婆をしている)に電話をしているのを聞くとはなしに聞いてみると、水や食物が飲み込みにくくて困っているとの相談をしていたと言う。
弘子にも食事の様子を検めて聞いてみるに、時々、食道にものがつまるのか、じっと下を向いて辛抱していることがあると言う。これは大変と伯母に電話をしてみると、どうやら嚥下障害をおこしているのに間違いない。
なにを辛抱しているのと、叱り飛ばして松浦内科に連れて行ったのが6月27日。ただちに28日田路放射線科でレントゲン撮影した結果が立派な胃がんとの見立て。同日松浦内科よりがんセンターへ紹介状を書いてもらい、30日啓三が付き添ってがんセンターへ行き入江病院長の診察をうけた。
7月1日、胃カメラ。外科へ直ちに回され後藤副院長診察。大至急手術との診断が出た。
かなり深刻な嚥下障害を起こしていることから、食道癌か胃の上部にできたがんが胃の入り口を狭めての嚥下障害が考えられる。それにしても、すでに手遅れなのは間違いない。
以前、10年も前に、ライオンズの健康診断で、佐久川医師によるレントゲン診断があって、その際、胃のあたりが怪しいとなって、精密検査の必要を迫られた時、知り合いの永田医師に頼んだ再検査で、心配なかろうと安請け合いされて、それ以上の検査をせずに放置していた経緯がある。
この佐久川医師はレントゲン写真を見る達人で、この時、もっと突き詰めた、専門医による診察をうけるべきだった。その佐久川医師も親父より早くに、同じく胃がんで亡くなった。
ことは重大であります。なにしろ親子二人三脚で進めてきた商売の相方が倒れるとなると。それも信用の基の親父の身に何かあれば、すべてが崩壊するのは時間の問題である。
そのことは親父も鋭く感じていたらしく、入院する日から何をするかと思うと、それまで一手に引き受けていた経理処理のための手引きを懸命に書き出した。題して経理処理解説「BIBLE」とあった。
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