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診断の結果、早急に手術すべしとなったが、がんセンターのベッドの空きがなくて即入院とはいかない。
そこで啓三の付属中の同級生で、今は県の参事となっている神田君に頼みこんで入院の便宜を図ってもらうよう依頼した。そのかい有ってか、7月16日になって、18日入院と決まった。
18日の入院の朝、家族皆に見送られ家を出発。親父はかなり神経の高ぶりが見られた。
がんセンターの病室は思ったより広く、清潔で、すこし気持も落ち着いた。
このあと、22日最終診断。26日1時からの手術と決定。
26日の手術日には、土佐からも兄弟が駆けつけ、手術室まえには16人が心配で声も無い。
今、手元に2冊のノートが残っている。1冊は6月27日から始まる私の備忘録。そしてもう一冊は入院の7月18日から始まる親父の闘病記。
両方を読めば、思わず当時のせっぱつまった気持が蘇り、果たして私の取った処置が正しかったのかどうか思い悩むこともあります。あれほど苦しい手術を受けさしたのは、間違いでなかったのか。むしろ死を早めたのではなかったか。・・しかしなんといっても、嚥下障害があれば栄養不良で命は持たない。今のように遺漏で栄養補給が十分出来るレベルにはまだ至ってはいなかった。
経過、親父の感想など詳しくはとても書けない。
ただ言えることは、たいがい胃がんの患者のことには詳しいはずの親父が、我々が糜爛性の胃潰瘍だという言葉に疑いを示さなかったこと。闘病記には、自分の苦しさよりも、私ばかりに重荷を背負わすことになったすまなさを気遣う言葉ばかり。はやく人生2度目の大病を克服して現場復帰を願う思いが書いてあります。
入院以来、俺の病気のことは伸一に聞いてくれとすべてを任せてくれたのは、うすうす重大な病状を察知して
のことだったかも知れない。
手術の結果、望月主治医から腹膜への移転があり、よく持って4-6ヶ月の余命との説明があった。
このことは、私と啓三・弘子・妹の旦那の芳男の4人のみに知らせ、ほかの家族には手術成功と報告した。
img208A.jpg









































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