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JR山陰線と同じ軌道を走るトロッコはもともとは嵯峨野線としてJRの支線であった訳だ。このように廃線を観光資源として活用して成功した代表格がこの嵯峨野観光鉄道株式会社。
何せ当今、旅に出れば大手旅行社のツアーが顔を利かし、どこもかしこも団体バス客最優先。このトロッコからして、個人客の予約は受け付けず、当日現地窓口に並んで席を取らねばならぬ不便さだ。
この日も指定席は全部売り切れていて、立ち席ならどうぞという調子。仕方なく4号車立ち席に乗り込んだが、意外やこれの方が進行方向右指定座席にすわるよりよほど左右の見晴らしが良く、20分ほどの乗車時間があっという間に過ぎて行った。
この線は6つのトンネルを潜り、保津川を5回渡る7.3キロ。眼下・眼前・眼上のは保津峡を往く川下り船が何艘も連なり、船上の乗客からは、トロッコを見つけるたびに、盛大な歓声が挙がる。
沿線には開業当時植えられた桜と紅葉が、10余年を経て、立派に成長し、渓谷美と相まって、船から見上げる景色とはまた違く味わいを醸し出している。
12月29日から2月末までは冬季運休となるが、保津川下りが年中無休なのから比べれば、JR西日本の完全子会社で余裕をかましてるんじゃありませんか。
列車車掌がのっけから懇節丁寧にガイドしてくれて、いまやトロッコの名物となっております。途中駅からは大江山の鬼さんの乱入もあり、写真ポイントでは列車を止めてサービスに勤める。これでなくてはいけません。
幸い我々が本日の一番客であったらしい。本来なら定期船の10時を待たねばならないところ、一番バスの団体の穴埋めに2番船最前列の座席を確保できた。
宿を出るときから、辺りは朝霧が立ち込め、ほとんど視界が遮られる程。そんな中、船は静かに保津川へとこぎ出した。定員23名に船頭さんが3人という組み合わせ。この船頭さんと乗客との掛け合いがなかなかのもので、船頭さんも多い日で3回下ることもあるそうで、退屈を紛らわすためにも客をいじってくる。
こちらも負けずに、下った後船頭さんはどうして船着場に戻ってくるのかと質問。嵐山渡月橋あたりで川船3隻を乗せたトラックは見かけるが、さて船頭さんはどうするのか知りたかった。JRで亀岡駅まで帰りますとの返事。120名の船頭さんが毎日でているとか。船会社と船頭さんで船賃を応分にわけることまで聞きだした。
いつの間にか、あれほどの霧が晴れて、上空は一辺の雲もない青空が広がる下、終着嵐山まで1時間40分
12月4日ー15日まで今年で14回目のルミナリエが開催される。震災の復興を願って開催されるようになった3年目くらいに、チラと覗いた覚えがあるが、実際毎年来るようになったのは、平成13年の還暦の歳からのように思う。それ以来なんとなしに、一度は会場に足を向けている。ここ数年は、混雑を避けて、メインの東公園から逆に道を辿って観ることにしている。
そんな訳で、今日三宮3時の打ち合わせ・商談があるのを幸いに、弘子ちゃんとポートライナー改札横の、上島珈琲で5時30分の待ち合わせで、ルミナリエに行くことにした。
商談が終わり、神戸市役所に用途地域図・上下水道配管図・道路情報図等を取りにゆくついでに、そごう8階の紀伊国屋で時間をつぶしているところに、三男乃吾(だいご)から今何してる、どこにいるとの電話が入った。
まさかと思いながら、今そごうにいると伝えると、俺三宮駅にいるとの返事。28日ロックコンサートが国際展示場であるその下見にきているとのこと。
東京にいるとばかり思い込んでいる三男坊と突如三宮で会えることになった。ほんと突然のプレゼント。
弘子ちゃんに今何処よとTELを入れると、須磨についたとこだとの返事。中央改札で落ち合うことになった。
いま人気のMINT8階のなだ万で食事。結構リーズナブルなお値段でいろいろ取り揃えている。感心感心。
7時が来るころ、乃吾がルミナリエ初めてということで、3人そろって会場へ向かう。
朝からかなりの雨が降っていて、たぶん人出も少なかろうとの予想で出掛けてきたが、会場から出てくる人並みに勢いがあまり感じられない。
初めての乃吾はさすがに感歎の声を上げていたが、一番の盛りを知っている身には、かなり物足りない。
最初のころ。大丸の前からさんざん並ばされて、押し合いへしあいしてやっと辿りついた目に映ったルミナリエは美しかったよな。なにごとも慣れというのは恐ろしい。反省しきり。
それでも思いがけない乃吾とのひと時、三宮での想いで話に花が咲いたころ、新幹線の時刻が迫り、固い握手ののちバイバイとあいなりました。 ・・手術の時は、帰ってくるとの言葉を残して。・・ありがとう。
実は、3・4日と携帯圏外の隠れ里に一泊しており、ご迷惑・ご心配をかけることになりました。御免なさい。
香嵐渓を狂乱渓と書いたごとく、モミジより、人々の狂乱ぶりの方が印象に残って、消化不良となっていた今年の紅葉狩りを完結させるべく、急遽、保津川下り・トロッコ列車を計画した次第です。
嵐山・渡月橋の辺りまでは、時々迷い込んだことはありましたが、この保津川下りの終点・船着場としての嵐山を意識したことはありませんでした。例によって弘子ちゃんの暗示・マジックに操られ、まだ紅葉まにあうかしらと、もういく気にされちゃった。明日の泊とて、京都市内にはろくな宿が残っている筈がない。先般から、天下の名所を訪ねる際の秘訣は、朝一番にその名所に行っていること。その学習を生かすために、保津川下り乗船場に朝一に行ける宿を探す。温泉場としては、瑠璃渓温泉・篭坊温泉などがヒットしたが、たまたま湯の花温泉を三十三所巡りで穴太寺詣りの際、亀岡ICで看板を見て覚えていた。
ただ部屋の空いていることだけを条件に探した結果、すみや亀峰庵という鄙びた感じの旅館に予約を取ることができました。
3日、お得意先のN商事のN社長に、私がお世話したテナントさんが、賃料交渉に来るので傍聴せよといいついかっていた仕事を2時過ぎまでに終え、篠山にでも寄っていこうとなりました。
北神戸戦から三田を経て舞鶴道に入り、西紀のPAに至るまでに、篠山南口のIC.時間的に人もまばらな、篠山城祉間じかの物産館「ささやま」を冷やかして、一路372号を亀山方面に向かった。
結論を急ぎましょう。たまたま、やみくもに泊まれることだけを願って予約した すみや亀峰庵がまさに大正解。
隠れ里の湯をテーマに、これほど鄙びた風情ながら、よく手入れされた室内・調度・料理と供し方。さりげなく用意された徒然ルームの贅沢さ。ただ華美な内装を廃して、オーナーのセンスの良さをうかがわせる彫刻・砥象の数々。縦型ながらPIANOもあって、自由に御弾き下さいときた。肝心の湯処「山里」も自然石をふんだんに使った、あったかみある、設えだ。
部屋には掘りごたつがよういされ、朝夕の冷え込みは半端じゃないとのことだ。
中国道・中国池田ICを降りて、432号を走れば、明石から一時間半とはかからず行ける隠れ宿。
もう少し早く見つけておけばよかった。前立腺全摘の暁は、隠れ宿も用事がないというものです。
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永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)