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今日がんセンターへ行き手術の申し込みを完了した。年明け1月19日入院21日手術に決定した。
約1月、粒子線治療を聞いてみたり、弟の手術の具合を確かめたり、弘子ちゃんもその往生際の悪さに愛想が尽きそうになった様子。やっと結論を出して、自分の右往左往を反省しながら、親父を看取った時の、親父の様子を思い出している。
胃がんがわかって一年足らずの看病については、未だ筆が進まない。気持が高ぶり文章にならない。
そんなことになる前、レントゲンで胃がおかしいと言われながら、他の医者が撮ったレントゲンでは異状なしと言われて処置しなかったことを教訓として、今回は根治療に早めに取りかかることにした。
根本で違っていたのは、病状について質問されても、詳しくは伸一に聞いてくれ、全て任せていると言いきっていたこと。今自分に重ねて思えば、とても言えることじゃあない。その時私がその言葉を本当に重く受けていたのかどうか。いまさら心が痛む。もちろん治療については全身全霊で取り組んだ。いっそもう駄目なんだと言ってしまいたい衝動に何度かられたことか。嚥下障害さえなければあんな痛くて辛い全摘手術など受けさせなかった。その私の手術するとの決定に全く疑問を挟む様子もなく果敢に手術台にのぼった。
術後は一時小康を得て、もしかして助かったんではと喜んでいるようでもあったが、丸山ワクチンからなにから、手を尽くして、腹膜移転への時間を延ばすしか方法がないことが分かっている身の辛かったこと。
そんなギリギリの看病の最中、一瞬気を抜いてライオンズクラブの新年会に出かけた。もう病状も最終段階で市民病院に入院していた親父から、ポンカンのシャーベットが食べたいから伸一に持ってきて貰ってとの連絡が入った。
間がさしたのか、どうだったのか、本来なら飛んでシャーベットを届けたはずが、会がお開きになってからでもと考えたのが裏目に出た。次に来た連絡は親父危篤であった。
それこそしまったという言葉を飲んで病院に急いだが、あとの祭りだ。医者が馬乗りになって人工呼吸を試みているが、明らかに臨終を迎えていた。
シャーベットを食べたいと言った意味をその時初めて考えた。この状態でもはや何も口にすることなど出来っこなかったはず。最後に私に伝えたい言葉があって、呼ぼうとしたに違いない。・・・ああなんとしたことだ。
いまだこのことが悔やまれてならない。この経緯はまだ誰にも話したことがない。ずっと云わないでおこうと決めていた。しかし、今回のてんやわんやで、思う事は言っておくべきとつくづく思い知った。
今こそ私には親父が言いたかった言葉が分かる。「ありがとう。お前たちに会えてホントに楽しかった。」

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                                                                     育児教室 
  泣きじゃくって、様子のおかしい坊主を、あわてふためいて吉田先生に診て
  もらったところ、感冒性の消化不良とか。夫婦そろって通院の毎日。
  こちらが泣きじゃくりたいくらい。浣腸ひとつするにも、ジイさんの講釈を受けてから、
  やおら、取りかかるといった按配なのに、一寸したコツをのみこみかねて、又、坊主
  を泣かせてしまう。
  やっと寝入った顔に見入る姿は、早、親ばか権現。サッカリン・ジイサンバアサン
  が2組揃い、その上に、アンコロオヤジとくれば、甘く育ちはせぬかと、二十年先
  の心配をはじめる。

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今日の神戸新聞明石版の話題は新幹線0系のラストランだ。0系新幹線定期運転終了の最後の雄姿を一目見ようと、新幹線西明石駅のプラっトフォームは人が溢れた。
このごろは何でもかんでも引っかかっては話題にする癖があります。しかし、西明石・新幹線となれば、ただの話題ではすみません。
念願の大阪ー岡山間が開通したのが昭和47年(1972年)3月15日。
実はこの日の直前、昭和46年結成したばかりの明石吹奏楽団山手団長から緊急の電話が入った。「西明石駅での新幹線開通セレモニーでファンファーレを吹いてくれ。」
全く突然の要請、確か平日であったため、社会人は勿論高校生も頼めず、中学生有志を3人やっと確保したとのこと。ペット2人とトロンボーン1人。大西慶一郎、橘某、大江健司の3人だけ。おまけにファンファーレも作ってくれと来た。
前夜、簡単で吹きやすく、なおかつ聴き映えがするファンファーレをこねあげて、早朝西明石に駆け付ける。
簡単に音合わせをする間もなく、下り一番列車が到着するとのこと。
人人であふれるホームをセレモニーの場所へと移動。ただでさえ小柄な中学生をひきつれて、なんとか一団でいることが難しい。新幹線、今から思えばあれが0系の到着と同時に、か細いファンファーレが鳴り響く。
花束の贈呈やら、メッセージやらてんやわんやのうち、早発車ベルが鳴る。いそいで同じファンファーレを吹くのだがもう電車の発車音にかき消されて、自分でも聞き取れなかった。そしてもうまもなく、上りの一番列車到着だ。ああ36年前、いったいあのファンファーレはどうだったんでしょうね。この時のトロンボーン大江健司は今や大阪音楽団の一番トロンボーン。大西慶一郎は同志社大・有機化学研究室の主軸となって活躍中。一方わたしは明日、がんセンター・井上ドクターに手術のお願いに出向く予定。年明け施術ということか。

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11月第4金曜日は恒例の神戸高知県人土陽会忘年会です。今年は懇親会に加えて、須藤淳会長の瑞宝中綬章受勲のお祝いを共に開催されました。会場はこの5・6年いやもっとハーバーランドくらくらにて。
古いレンガ倉庫を使ったレトロモダンな佇まいはロマンチックな雰囲気で、土佐のおんちゃんが酒盛でバブレル場所じゃありません。しかしノーブルな我が土陽会には良く似合う。なにしろ勲三等会長を戴いている会何ぞそうそうあるもんでは有りません。
10年前にそれまで存じよらなかった須藤神戸外大前学長を会員が総力をあげて会長に招聘して以来10年。
この頃になってやっと親しく会話ができるようになりました。何しろ私にとって2度受けて2度滑った外大の学長さんとあれば、そうやすやすと口も利けないお方でありました。
この日はこもごも祝辞を差し上げるにあたり、昔の怨念を乗り越えて、心からお祝いする意味で、これから会長を ジュン・万次郎 と呼ばせてもらいますと言った途端、その場の空気がヒンヤリとなりました。

神戸・明石でのライブハウスTV番組第一号
日曜日サンTVで神戸JAZZ物語と題して北野坂・ソネの40周年記念ライブを見る。
丁度ソネさんが開業2・3年目にターヤンこと伊藤隆文師匠に連れて行ってもらったお店。あの時若くて眩しいぐらいの美貌だったソネのママさんも、いい歳を重ねられたようだ。神戸阪神大震災の際には存亡を掛けてのご苦労が有ったとか聴いております。
そのソネ開店の2・3年目にターヤンこと伊藤隆文師匠に連れて行ってもらい、お手本にして開店した我がMUSIC INN・BOSSA RIO はすでにありません。
しかしあの頃の意気込みはちがっておりました。何しろ昭和48年10月10日に開店してから、わずか一年余で同じサンTVで、「伊藤隆文とジャズ仲間たち」と題してライブ番組を放映するという快挙に及んだ。(昭和49年12月5日録画で放映日は何時だったっけ。)
末廣光夫氏の企画で、地元大阪のアンババサダ―、東京から南里文雄・デキシーキング・森サカエの皆さんをゲストにお招きしての、贅沢なメンバーに交じってボサリオ一座も演奏を披露。その後15年の歴史を刻んだ。思えば一ライブハウスがTV番組をジャックした嚆矢と自負してもよろしいんじゃないでしょうか。
世はまだままだ白黒TV全盛のころ。あれビッグディッパーの顔も写っていますね。なお2008.10.16も観てください。
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