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「グレンミラー物語」はもう何度見たことか。しかも一編の映画が観る人のその後の人生を左右したと言っていいほどの影響を与え得る事を証明するケースでもありました。時期は日本封切の昭和28年(1953年)のことと思う。というのも神戸大学教育学部附属明石小学校からエスカレーター式に附属中学に進学したのが、昭和29年のこと。その際、クラブ活動が義務付けられていて、体育・文化に限らずどこかに所属せねばならないとなった時、アッサン(浅田敬三郎)が何を思ったか「ブラバンに入ろうぜ」と声をかけてくれた。二人で古い木造校舎の2階にあった音楽室の隣部屋にあるブラスバンド部部室に出かけた。そのころ明石市内の中学は殆どが器楽合奏ばかりで、なぜか附中だけがブラスバンドでありました。 顧問はクラス担任でもある神谷好先生。その後三年間お世話になるわけだけど、先生が怒った顔を見たことがない、穏やかな語り口の先生でした。その先生が応対して下さり、楽器のことについて説明して下さった。といっても、手持ちの楽器で、余っているのはこれこれ程度の説明だったように覚えています。かなり錆びがでて、ところどころヘッ込んで、見るからに鳴らなさそうな楽器ばかり。どうしようかなと考えているうちに、ひとつの楽器が目に留まった。たしか、最近観た映画で、こんな楽器をジェームススチュワートが吹いていた。それまでの映画三昧で、俳優の知識は玄人はだしであります。いま思えば、小バス・クラリネット・トランペット・トロンボーンぐらいしか並んでいなかったはず。その中でも、よりによって誠に地味なトロンボーンを選ぶなんて、グレンミラー物語を観ていなければ、きっとトランペットを選んでいたに違いない。そのうえスチュワートがミラーの真似をしたものか、首をかなり左に傾げて吹いていたことまで覚えていて、中学三年間は首を傾げたままで通すこととなりました。あれは明石高校音楽部に入部して早々、有永先生に「そこのボーン、えらく首が曲がっているぞ、まっすぐにして吹きなさい」とイエローカードを頂いちゃった。

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云わばさんよう喫茶を基地にして、日ごと夜ごと映画館街5軒を順繰りに顔パスで木戸・モギリをくぐり抜けて、映画を見続けた。その当時、私ほど映画を見ていた餓鬼は居なかったことだろ。それも歳を食ってくるに従って、洋画を好んで見るようになった。実にハリウッド映画はまぶしくて魅力的であったことは間違いない。
街で米兵にGIVE ME CHOCOLATEとやる勇気はなかったが、スクリーンを通してアメリカ文化の洗礼を受けつづけたわけだ。素晴らしい映画には決まって素晴らしいスクリーンMUSICが鏤められている。また町に流行る音楽もスクリーンMUSICが主流を占めていた。
初めて歌詞を覚えた曲が、EDDIE FISHERがカバーしていた「CINDY,OH CINDY」。なにがああまで惹きつけられたのか。ドーナツ盤を買ってきて、店のプレーヤーで開店前に掛けては悦にいっていたものです。
ポップスなら1957年のポールアンカのDIANAも衝撃的だった。YOU ARE MY DESTINEYとこの2曲も歌詞を覚えるほど聞きました。女優ならなぜか、ピアアンジェリ(PIER ANGELI)という名が印象にのこっていて、イタリア女優に珍しい清純派だったと思っている。たしか、ポール・ニューマンとの共演で、「傷だらけの栄光・SOMEBODY UP THERE LIKES ME」に出ていましたね。あのジェームス・ディーンが惚れたが、イタリア人以外はお断りの母親が、それを許さなかったとか。他にはフランソワーズ・アルヌールの気だるい色気も良い。ビングクロスビーとSTメリーの鐘(1945年)に出ていたイングリッド・バーグマンも冒しがたい美しさでした。
なにしろ見た映画数は半端じゃない。女優・ひいては女を見る目が肥えて当然であります。
そんななか、巡り合ったのが、1953年から1958年にかけて公開された、MUSICIANを主人公にとりあげた三本の洋画であります。
                 1953年 「グレンミラー物語」
                 1955年 「ベニーグッドマン物語」
                 1958年 「五つの銅貨」  

 

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さんようクラッシックレコードコンサートは昭和42年11月17日・第228回をもって終了し、第229回(昭和43年2月21日)目をLIVE演奏として、その幕を閉じている。奇しくも11月17日は親父の誕生日だったんだ。その時お招きしたバンドの一つがデキシーランドジャズバンド「伊藤隆文とファニーメン」だったんだ。この話をすると永くなるんだけど、経緯だけ述べると、前年の10月15日私たち伸一・弘子の結婚式に花を添えていただいたバンド「ファニーメン」は、明石高校音楽部の大先輩にして、かっては「日本のアームストロング」と謳われたトランペットの名手・伊藤隆文ことターヤンを中心に、関西学院軽音のOBも交えて集まっていたコンボバンドでありました。そのターヤンは今日現在、肝臓を患って明石市民病院に入院中で、近々手術の予定とか。
まさに40年前、その後のナガ―――イお付き合いの最初がこの時だ。

ターヤンといえば、明石高校を卒業後、関学の軽音、それもデキシーバンドのトランペットとして、伝説の右近雅夫とともに神戸ジャズの草分け的存在と言われ、1956年関学卒業後プロを目指して宝塚歌劇オーケストラ部に合格していたが、友達に誘われて「伊藤隆文とニューオリンズ・シックス」を結成して京阪神のジャズ喫茶まわりを3年間したあと、上京、「チャーリー石黒と東京パンチョス」等のバンドを渡り歩き、キャリアを積んだ。私が弘子ちゃんと一緒に、神戸国際会館の労音公演で拝聴した時は、「薗田憲一とデキシーキングス」の名物PETとして、その独特のというよりも、サッチモにそっくりな歌とともに、おもろいラッパとの印象が今に残っています。
それ以前には、明石高校音楽部で東京でプロのラッパ吹きが3人(森・本木・伊藤)おられると聞かされていました。私が2年の時、全日本吹奏楽コンクールの名古屋大会で優勝した際、たぶん朝日テレビに招かれて演奏を放映した番組のゲストとして招かれていたのが、伊藤さん。「ダニーボーイ」をソロで吹かれた時の、なんとぶっとい音なんだろうと驚かされたご本人。
「ニューオリンズ・セブン」という自分のバンドをひきつれて、主に進駐軍のキャンプ回りの営業。これが受けに受けたそうな。まあピアノのナッカン(故人・中川宗和)の昔話をきいているだけでも、もう無茶苦茶。とてもこのブログでは書けない行状ばかりです。そして沖縄へ行った際、トロンボーンが舞台上でラリッちゃってステージぶち壊しとなり、進駐軍からきついペナルテイーの請求がきた。遊び暮らし・その日暮らしの身ではとても払えたもんではない、とうとう明石の親父さんに泣きついたはいいが、その条件が、明石に帰って酒屋を継ぐなら、金は出してやる。かくして帰明はしたものの、JAZZと縁をきれるわけがない。しかたなしに弟・啓三(TB)、今井正芳(BASE)他を呼び集めて楽しんでいたのがこのファニーメンでした。
         続く、

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今日はとりあえず北京オリンピックを語らねば。7日、北京オリンピック開会の前日、日本サッカーは米国とリーグ戦初戦を戦い0-1で敗退した。たしか前宣伝では、40年ぶりのメダルも夢でないとか。早速の敗戦ショックにどのメディアもうろたえをかくせない。しかし、いったいいつのころから、日本のスポーツジャーナルはその牙を抜かれたのか。冷静な評論を置き忘れ、まるで闇雲な応援団と化してしまった。これはサッカーだけではなく、あらゆる分野に共通していること。私はサッカーしか知らないから、とりあえずサッカーを論じることしか出来ないが。
オリンピックに限って言うと、日本サッカーが最初にオリンピックに参加したのは、第11回ベルリン大会のことである。くしくもこのベルリン大会は、独裁者ヒットラーの国家総動員の魁となる見事な国家宣伝の下、開催されたことで知られている。当時としては三国同盟の仲間意識も働いての参加だったか。我がイレブンはそんな政治的思惑とは全く無縁で、アジアから日本と中華民国の2国のみの初参加ということのプレッシャーのほうが大きかったことでしょう。その初戦、欧米諸国から見れば、アジアの片隅からやってきた、見るからにみすぼらしいチイ―ムは、間違いなく強豪国の一角とみなされていたスエ―デンに粉砕されるとの当然の予想があり、そう信じられてもいた。ところが、日本は敢闘精神を発揮したのか、スエ―デンを3-2で下してしまった。詳しく調べると、試合に際して、日本は技術・体力・経験とあらゆる面での不利な条件を覆すべく、したたかなゲームプランを立てていたのだが。まるで桶狭間の合戦の如く。・・これを歴史的金字塔「ベルリンの奇跡」の一言で片付けていいものか。
そのふてぶてしさ、逞しさが、今の日本サッカーには見られない。その欠如を言い募る評論も見当たらない。たぶん10日のナイジェリア戦は0-3で負け、予選リーグ敗退が決まることだろう。もちろん私の予想が外れることを願うところだが。
ちなみに、ベルリン大会のあと、第12回大会は東京での開催が決まっていた。その大会の日本選抜候補に神戸高等商業から4人も選ばれていた話は2008年総会で酒井先輩のスピーチで初めて聞かされたことは、このブログの「サッカー命の日々」の項で書いています。不幸にも、日本は大会準備がどうしても間に合わず、途中大会返上というはめに陥っている。急きょ決まったヘルシンキ大会も、第二次世界大戦勃発にともない中止となってしまいました。

今、開会式を見ています。会場・鳥の巣に繰り広げられる張芸謀監督の演出は、噂にたがわず仰天奇抜で伝統美で飾られ、あらゆる技術を駆使して、なおかつふんだんに人間力を投入したものであります。ときたま、大写しになる演者は、中国のどの街角でも見かける、素朴な表情をしている。自分が全体のどの位置にあるのかなど、考えもしないで、ひたすら命じられた通りに役割をはたすべく顔を引きつらせて頑張っている。・・この開会式は現場でみるよりも、TVを通して見るほうが正解であるように作られている。会場の10万の人間よりも、貧困にあえぐ自国16億の民に一時の夢を見させるために。
開会式が華やかに盛り上がれば、盛り上がるほど、宴のあとの危うさに、ローマ皇帝が感じたと同じ憂鬱を胡錦涛皇帝は感じておられるのではないのかな。

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60f379a8.JPG                                                                                                   第214回クラッシックステレオコンサート
              昭和37年12月16日(金) PM6:30
              場所 明石デパート 4階 中集会室 

    人は皆、ナルシスの権化なのだ その頂上がキリストさまだ
    子供が暗闇を恐れて 「神ちゃま」と心の中で祈るのにくらべれば
    俺たちが信じているイエスは、各々自身の顔をしたイエスさまなのだ
    クリスマスは 楽しむばかりのものではない
    自分を 少しは 心貧しいものに思って 静かに省みる時なのだ

    第九「合唱」を聴き 憂いを想う人よ 集え 
                                (1962.12.9)

*この頃になると、かなり落ち着いてきております。サッカーのシーズンも終わり、明石高校OB吹奏楽団も北海道・室蘭の富士鉄体育館で行われた、第10回全日本吹奏楽コンクール一般の部で優勝を飾っている。小林主将の温情で、シーズン中に関わらず、一試合を抜けての全国コンクール出場を許された。このとき一般の部とはいいながら、現役混成が許されていて、弟啓三が明石高校2年でいたことから兄弟出演となりました。もちろん弘子ちゃんは3年で一緒に、大阪発・夜行列車日本海でガタゴト揺られてまいりました。青函連絡船の大きさに歓声をあげたりして。
忘れられない思いでの一つに、無事優勝を飾り、その夜は登別温泉に一泊となりました。ささやかな祝勝会を終えて、各人入浴タイムというわけで、それもおそがけに、私と、山下健三郎、松尾泰三の3人で入浴にでかけた。するとどうも、お風呂は入口は違えど混浴らしいと泰三が言い出した。もちろん我々は歓迎なんだけど、女性軍にそのことを気づかせては面白くないとか、勢いだけで言い募り、泰三が脱衣所にある私と健三郎の下着類を隠して出ていってしまった。半分は好奇心、半分は成り行きでお風呂の一番奥まった湯船に身を浸していると、ワイワイとOG・現役の女性達の声が聞こえてきた。
と思う間もなく、ドヤドヤと浴場に入ってくる足音が聞こえた。ご存じのように登別といえば大きなお風呂が有名で、その当時もかなり大きなおふろでしたが、そうなってさすがにこれはマズイと気が附いたが、いまさら出るに出られず、浴槽にドップリ体を沈めているしかありゃしない。そのうち、2年上の福島弘子嬢が、桶を探しにわれわれのいる湯船の付近まで来たから堪らない。それも彼女は近視で、お風呂に入るべくメガネは架けていない状態で、思いっきり近くに来るまで、気が付かなかったらしい。
浴場に響き渡る悲鳴とともに、女性群は飛び出しっていった。われわれも急いで浴衣をさがすのに、泰三が隠した場所が分からない。そのうえ全身ゆでだこだ。・・津野たちならやりかねないという顔、おれもやりたかったという顔など、とくに女性軍からはなんてことをするのとの声もあったが、一番怒られるだろうと思っていたチューさん(有永先生)からは、なんの御咎めもなっかった。きっと臥薪嘗胆ボーイを大目にみてくれたというわけにちがいない。

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