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良き先輩・同輩に恵まれてのサッカー暮らし。授業はサボっても、午後からの練習には必ず参加。帰宅部の学生が高丸の坂を下る頃、ボツボツ商大下でバスに乗り込む。着替えももどかしくグランドに飛び出す。この気持ちはラッパの練習時にも感じることから自らを体育会系ミュージシャンと名乗ることに決めました。しかしその平穏無事もOB来襲となれば一変、グランドはシゴキの修羅場となりかねない。練習試合でも勝ち方がまずいと、見物に来ているOBから、その場で徹底的に走らされる。ラスト一本が何十回。それが嫌さに試合では形相を変えての奮闘となる。それでも朝日招待サッカーで早稲田に勝利したという伝説の学部1回から4回のOB.その代表として、今もお世話になっている終身ヘッドコーチ・殿村和祥氏、終身名誉会長・木下健氏両先輩の特訓は、十分に我々の能力の限界を察知して、もう一段上のレベルのプレーを要求されると言う名人芸を発揮される。始末に負えないのは、実名を出すのもはばかられるN氏がおいでになった時。細い体でニヒルな笑顔。一応の練習後、グランドに横一列となった我々に、DASH・TURNの笛を吹き続ける。これが延々と繰り返えし。なにが判断基準なのか、しきりにまだまだと大声で両の手を広げる。どうやら横一列のラインを乱さず走りきれと言うことらしい。
そのうちヘバッてラインどころでなくなると、各人DASHとなって、早いものから「あがれ」の声がかかる。幸い要領よくアピールする者はいいが、着いて行くだけで精一杯の者になお容赦のない笛が吹かれる。ほんと無茶苦茶ですわ。・・・これを称して「気違いに刃物、Nに笛」とは言い得て妙なり。

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2e64f07f.JPG中・高とは音楽部。100M競争では、校内で2番。ただし、1番はブッチギリの10秒5-6で東京オリンピック男子400Mリレーの一番走者を務めた浅井浄君。実質素人1番と考えても良いんじゃないか。でも日ごろ運動をして鍛えているわけではないから、連日の練習でとうとうバテチャッタ。練習の帰路のあげくだし。家に帰るなりバッタリたおれこみ、40度近い熱を出してほんと死ぬ思い。罹りつけの小児科の富沢先生にすがりつく。しかしこれで身体はなんとか練習について行ける状態までになった。一方ラッパの方は、一切吹くのをやめたわけではなくて、明石高校OB吹奏楽団のコンサート・定期練習は欠かすことなく続けておりました。というより弘子ちゃんとのデートを兼ねてと言ったほうが正しい。また、学内では、マンドリンクラブに押しかけ、商大祭・定期演奏会にエキストラとしてギャラを貰って出演する厚かましさ。この時マンドリンクラブで指揮をしていたのが今セキスイの副社長を務めている巖根志智郎君。マンドラを抱えていたのが、後に商大応援団吹奏部を立ち上げた北林弘美君でありました。北林君とは3回になって早々、吹奏部立ち上げで苦労を共にするんだけど、その話は後日。
サッカー部では三代の主将にお世話になったけれど、既述の3代目松本靖弘主将に負けず劣らず、1代目・2代目の主将に音楽活動との兼ね合い(全日本吹奏楽コンクール出場・ちょうどリーグ戦の真っ最中)で無理を聞いてもらうこと度々でありました。
特に1回生の際お世話になった小林弘典主将は私の中では、クラマー小林ということになっています。
と言うのも、当時日本サッカー協会野津謙会長が東京オリンピックに備え、日本代表(早稲田の釜本邦茂・明治の杉山隆一)の指導のためにドイツから代表コーチとして招聘していたデトマール・クラマーが日本中の大学サッカーリーグを回ってもっとも軽視されていた基本練習を教えて回ったSCHOOLING
にただ一人、チームの代表として参加。早速我々にクラマー直伝の基本練習の大切さを伝える役割を果たしていただいた。正に私にとってはクラマー小林であるわけです。近年にも、我が窮地を救っていただくなど、一生頭の上がらぬ存在であります。もう一人の堀川英佑主将は熊本県済々黌高出身で純情を絵に描いたような熊本もっこすであります。クヨクヨしているところを一度も見たことが無い明るい得な性格で、2部復帰を果たす主将となつた。前々回の淡水サッカー総会で40年ぶりに再会したが、セキスイ化学取締役退任直後であったが、まるで昔のままの人柄であったのに驚いた。写真を撮るときに「さあ写ろうか」と大声で集合の声をかけられた時大笑いしたこと。合宿の際、しきりに皆に、靴下を配ってくれるので、不思議におもい聴いてみると、「パチンコで勝つと靴下しかくれないんだよ」とニコニコしている。それは履くもんじゃなくて、お金と交換するものでしょうと、皆が靴下を貰って有り難いやら可笑しいやら。故に私の中ではソックス堀川。

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               昭和37年5月13日三大学(岡山・広島・本学)広大正門前 前列右端

いまさらながら、よりによって凄まじい実績と輝かしい伝統を背負った神戸商大サッカー部に入部さえしていなければ、このような命を削るまでの試練は待っていなかったことだけは確かです。最初入学時は、中・高校時代を通じて励んでいたTRONBONEを生かすべく、音楽関連のクラブを訪ねてみた。
その頃の商大の音楽関連といえば、マンドリンクラブとグリークラブ。最初グリーの門を叩き、二三度は練習に参加してみたが、そもそもラッパ吹きはコーラス・合唱を馬鹿にしている処があり、いまさらグリーに溶け込むのは不可能とすぐ判断した。次に、マンドリンクラブですが、この商大マンドリンクラブは当時チョットしたもので、古賀政男率いる明治大学倶楽部に引けをとらないと言えば褒めすぎだけど、名曲「真珠とりのタンゴ」原名PERALFISHERはマンドリン(プレクトラム楽器)の特性をよく引き出した
名編曲で、商大マンドリンのテーマ曲でした。そんな音楽レベルはかなり高い水準のクラブでしたが、何しろ楽器から出てくる音が小さいこと。オーケストラ編成の50人が懸命に奏でても、ラッパの一本もあれば、その音を掻き消すことができるのでは。ちうわけで、これもどうもいけません。そこで思い出したのが、小学校でのサッカー経験それもストライカーの名を欲しいままにした栄光の日々。体育の北田先生には、卒業記念のサインにもう少し身体が大きくなるようなら、オリンピックを狙えるなどと、おだてて書いていただいたことを思い出した。・・・体育館の左端2階に部室があり、新入生の入部申し込みにしては、少々遅まきのクラブ訪問。おずおずと入部希望を申し入れると、「ところで経験は」との質問がきた。思わず小学校でやっていましたと申告すると、何故か、「小学校からだって」との笑い声が上がった。その後すぐ分かったことだけれど、商大サッカー部員の殆どが、大学に入ってから始めたらしく、中・高での経験者は貴重な存在でしたが、さすがに小学校からやっていた部員はいなかった。経験上は胸を張っていいのでけれど、なにしろ中・高とは本ちゃん中抜けであることから、さて今通用するか自信はなかった。かくして4年間のサッカー学部暮らしが始まった。

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534ccde0.JPG昭和40年(1965年)秋季リーグ第4戦の模様は、「サッカー命の日々②大阪・靭グランドの奇縁」に詳しくように、後半40分まで、鍛えに鍛えた執拗な守りの成果であったか、0-0で推移した。2部で全勝して、1部昇格を自明のごとく目標とし、事実目前にしている大商大の心胆を一時、凍りつかせるに十分な状況。一瞬このまま引き分けに持ち込めたらとの考えが頭を過ぎったそのとき、堪えに堪えた緊張の糸がきれたとはこのことか。痛恨のオウンゴールを与え、直後に止めの1点を献上して試合は終了した。そのうえ、重戦車・羆軍団に蹂躙された部員たちはもうヨレヨレ、ボロボロの状態。これで3敗1分けとなって、最終戦を大阪府立大と迎えなくてはならない。相手の大阪府立大も2部と3部を行ったり来たりしていて、戦績は4敗で我々2弱の間柄ながら、実力は侮れない。そんな時、見かねてか前述の好漢・松本靖弘先輩がグランドに現れた。たぶん、彼と同級生ながら、もう一年商大暮らしをしていた石川家同宿の楠瀬さんが、連絡してくれてのことだったに違いない。いまさら、練習といつても、十分しんどいことはやってきた。なにくその闘志も十分。となれば、攻撃のフォーメーションの確認が今必要であるとの松本先輩の慧眼から、意外やバレーボールを使っての攻撃反復練習となった。これが実に効果があって、サッカーボールではやろうとおもっても出来ない球捌きとパスが、軽くて小さいバレーボールなら、意外と易々出来る。これならということで、得意な攻撃パターンの組み立ての練習・確認にのみ時間を取って、大商大戦で痛んでいる体のケアーに努める事に。
リーグ最終戦は京阪香里園にある同志社大香里グランドに場所を移しての対戦となった。部員一同泣いても笑ってもこの一戦が部の運命を左右することになる。入れ替え戦・2部落ちとならないためには、この試合に勝つか引き分けるしかない。そんな悲愴な思いの私の気持ちを知ってか知らずか、3回生以下は意外とリラックス。さすがに4回長本だけは、同じ気持ちらしく、顔面に緊張が漲っている。・・・
KICKOFFの笛がなり、試合が動き出すと同時に、意外と我がチームに手ごたえと勢いを感じるではないか。両ウイングの本坊も厚朴(ほうのき)もよくサイドを駆け上がっている。この二人は我が秘密兵器・大砲とも頼む存在ながら、これまでまだその実力を出しえていない。INNER細見・吉田が中盤を制している。CF濱口も出足鋭く突っ込んでゆく。と思い出しながら、後のことはよく覚えていない。ただ、順序は定かでないが、糞が出るほどしごいた濱口が、GOAL左隅におしっこをちびるような一点。直近に親父さんを亡くしていた吉田が思いを込めた一点。そして、私が、生涯記憶に残る2GOALの一つとなる一点を挙げて3-0での快勝となった。終了の笛を聴いてやっと皆に笑顔が出た。それぞれが「終わった、終わった」と口走って早々にグランドを後にする。格別の嬉しさが湧いてくるのでもなく、我が口をついたのは「もうサッカーなんかやらねーぞ」との雄たけび一声。と同時に履いていたシューズをグランドの片隅めがけて投げ捨てていたのを覚えています。

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淡水サッカー会員名簿の戦前・高商時代を見ましても、高商1回安井会計事務所・安井喜三郎氏、2回東洋紡績社長・会長・相談役歴任の大谷一二氏(朝日新聞大スポーツ記者・大谷四郎氏令兄)、11回毎日新聞外信部長・ベトナム戦争報道で名を挙げた国際ジャーナリスト・大森実氏、16回神戸製鋼所中興の社長・亀高素吉氏等錚々たる先輩諸氏を輩出した神戸商科大学サッカー学部(あえて学部といたしました)を35年にわたりご指導された、ラッチェル・田中博部長の最後の年の主将たる私に淡々としたいつもの口調で申し渡されたのが、『津野君、ご苦労だが、あの神戸大学にだけは勝たずともよいが、負けてくれるな。』という注文でありました。このリーグ、一部から落ちてきた神戸大と、やっと2部に復帰した神戸商大の対戦は確か3戦目に組まれていたように思い出す。神戸大と神戸商大とは今でこそ、同じ4年制大学として並立の立場にありますが、戦前は、官立神戸高等商業高校が神戸商業大学(現神戸大学)になり、兵庫県内に官公立の高等商業学校がなくなることになり、県下の中等学校(中学校・商業学校)卒業生の進学先として1929年(昭和4年)設置されたのが、兵庫県立神戸高等商業学校であり、戦後新制の神戸商科大学となりました。このことから戦前は、我が神戸高商サッカーの卒業生が、続々と神戸大サッカーへと進み大活躍された。まさに神戸大サッカーを強くしていたのは神戸高商・俺たちだとの自負がある。戦前・戦後のリーグにおいて、両校は血の繋がった兄弟クラブであり、同時に永遠のライバルとして戦い続けてきました。おまけに昭和29年に商大が痛恨の2部転落を迎えた際の入れ替え戦の相手が神戸大。昭和7年ー昭和29年の間で同じ1部での戦績は商大の4勝8敗4分となっております。いまや両校とも、悔しい2部暮らしながら、両校対戦となりますと、巨人阪神戦並のヒートアップをきたしてまいりました。おまけにこの春の神戸大との練習試合では0-5での完敗。それを知っておられる先生は、ほんと遠慮勝ちに、勝つことはまず無いだろうが、守りきれば引き分けもあるんじゃないと、祈るようなお言葉でした。先生最後の年の花道を飾らねばならない我々にとって、この言葉がズシリト堪えたのは確か。・・・2敗で迎えた神戸大戦。大阪の靭グランドに我が商大応援団も駆けつけ、田中先生の見守る中、堅守を誇るイタリア顔負けの守りを発揮して、神戸大にすれば春に5-0で大勝した相手に一向に、点が入らず焦りだす。だんだんゆがんでくる神戸大の主将の顔が、我がチームの成長を物語つてくれる。ほんとアレヨアレヨのうちに引き分けに持ち込んだ。その時の田中先生の喜びようは大変なもので、まるで我がほうが勝ったかのような盛り上がり。ああこれでささやかなラッチェルの夢だけは果たせたと、チョットは息をついたが、なお迫り来る、2部最下位・入れ替え戦・3部転落の悪夢の足音がヒタヒタと聞こえてくるようで夜も眠れない。

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