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淡水サッカー会員名簿の戦前・高商時代を見ましても、高商1回安井会計事務所・安井喜三郎氏、2回東洋紡績社長・会長・相談役歴任の大谷一二氏(朝日新聞大スポーツ記者・大谷四郎氏令兄)、11回毎日新聞外信部長・ベトナム戦争報道で名を挙げた国際ジャーナリスト・大森実氏、16回神戸製鋼所中興の社長・亀高素吉氏等錚々たる先輩諸氏を輩出した神戸商科大学サッカー学部(あえて学部といたしました)を35年にわたりご指導された、ラッチェル・田中博部長の最後の年の主将たる私に淡々としたいつもの口調で申し渡されたのが、『津野君、ご苦労だが、あの神戸大学にだけは勝たずともよいが、負けてくれるな。』という注文でありました。このリーグ、一部から落ちてきた神戸大と、やっと2部に復帰した神戸商大の対戦は確か3戦目に組まれていたように思い出す。神戸大と神戸商大とは今でこそ、同じ4年制大学として並立の立場にありますが、戦前は、官立神戸高等商業高校が神戸商業大学(現神戸大学)になり、兵庫県内に官公立の高等商業学校がなくなることになり、県下の中等学校(中学校・商業学校)卒業生の進学先として1929年(昭和4年)設置されたのが、兵庫県立神戸高等商業学校であり、戦後新制の神戸商科大学となりました。このことから戦前は、我が神戸高商サッカーの卒業生が、続々と神戸大サッカーへと進み大活躍された。まさに神戸大サッカーを強くしていたのは神戸高商・俺たちだとの自負がある。戦前・戦後のリーグにおいて、両校は血の繋がった兄弟クラブであり、同時に永遠のライバルとして戦い続けてきました。おまけに昭和29年に商大が痛恨の2部転落を迎えた際の入れ替え戦の相手が神戸大。昭和7年ー昭和29年の間で同じ1部での戦績は商大の4勝8敗4分となっております。いまや両校とも、悔しい2部暮らしながら、両校対戦となりますと、巨人阪神戦並のヒートアップをきたしてまいりました。おまけにこの春の神戸大との練習試合では0-5での完敗。それを知っておられる先生は、ほんと遠慮勝ちに、勝つことはまず無いだろうが、守りきれば引き分けもあるんじゃないと、祈るようなお言葉でした。先生最後の年の花道を飾らねばならない我々にとって、この言葉がズシリト堪えたのは確か。・・・2敗で迎えた神戸大戦。大阪の靭グランドに我が商大応援団も駆けつけ、田中先生の見守る中、堅守を誇るイタリア顔負けの守りを発揮して、神戸大にすれば春に5-0で大勝した相手に一向に、点が入らず焦りだす。だんだんゆがんでくる神戸大の主将の顔が、我がチームの成長を物語つてくれる。ほんとアレヨアレヨのうちに引き分けに持ち込んだ。その時の田中先生の喜びようは大変なもので、まるで我がほうが勝ったかのような盛り上がり。ああこれでささやかなラッチェルの夢だけは果たせたと、チョットは息をついたが、なお迫り来る、2部最下位・入れ替え戦・3部転落の悪夢の足音がヒタヒタと聞こえてくるようで夜も眠れない。
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永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)