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実は、このグランドでの椿事は我々だけの胸に秘めておくべきこと、部員以外の誰も知らぬことと思っていました。勿論我々とて練習ばかりしていたわけでなく、5月になると恒例の三大学定期戦(神商大・岡山大・広島大)があり、その年は岡山大開催で、日本で北大に次ぐ、2番目に広いキャンパスへ遠征となる。初日岡山大とは2-0でなんとか勝利を納める。2日目広島大とは好試合の末、後半1点を取られて惜敗2位だったように覚えている。なにしろ広島が群を抜いて強くて、大商大に感じたと同じくらいの熊・牛と見まがう迫力のガタイの面面。それを相手にかなりの善戦をして少し練習の成果・手ごたえを感じたものでした。その三大学定期戦の言われを思い出そうとして、今手元の淡水サッカークラブ創設35周年田中博先生退官記念号という小誌を今開いて、記念座談会のページを捲る。たしかこの対談に我が淡水サッカークラブの歴史が詳しく語られていたと思い返しながら、三大学定期戦の始まりの文章を探す。ありましたありました。P31『斜陽時代は世相と共に・つわもの共の夢跡に哭く・・・の項に、戦前あった六高(岡山大)との定期戦を、昭和33年とうとう2部に落ちて、なんとか1部復帰を果たすために、5月ころに新人戦をかねて復活しようと昭和34年再開、その際同じレベルの相手だけではもったいないというわけで、強い広島(旧師範は伝統的に強かった)を招いて神戸新聞からカップも頂いて三校リーグ戦にした』とある。そしてその段落の一行下。部長田中博先生の言葉が目に入る。曰く司会の前回3部に落ちたのはとの問いに『それはね、もう、話したくないですね。(大笑)ただ、堀川君、これはやったね(註・私の2年先輩キャップテン)、素人だったが、2部へ帰った。今年も(註・我が昭和40年のリーグ戦のこと)よくやったね。喧嘩までしながら。』とあるではないか。田中先生は見ていたのか、なんらかの報告があたのか、件のことを知っておられたんだ。ここで田中博先生通称ラッチェルの事跡を詳しく説明は割愛しますが、ちょうど私が先生サッカー部部長としての最後のキャップテンであり、
ほんとにご心配をお掛けしていたことから、度々グランドの片隅で、我々の練習を見守って居られる姿をお見かけしておりました。そうかちょうどあの時も、先生は練習を見て折られたに違いないんだ。そうでなければ、先生の口から、『喧嘩までして』などとの言葉が出るはずが無い。

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