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同じ35周年記念号P74に私の一年上のキャップテンだった松本靖弘先輩が『こころのイレブン』と題して一文を寄せておられる。田中教授の退官を惜しむとともに、当時の現役の有様に触れ一回生の時の京都合宿でのハードトレーニングを振り返り、現役への励ましの言葉を綴っておられる。そして、3回生のリーグ戦で念願の2部復帰を果たした歓びを最大最高のこととむすんでおられる。あの京都・西京極のグランドで阪大に2-0で快勝したあの日のことを。・・そう、多くの良き先輩に恵まれる中で、特に思い出に残る一人である松本靖弘センターフォワード。そのころ、何故か山陽電鉄・西舞子駅の近くに、石川家と呼び慣らしていた下宿家がありました。そこは謂わば、サッカー部御用達と言うか、代々引き継がれた梁山泊でありました。私が知っているだけでも谷本・堀川・松本・楠瀬・則・須藤・浜口・三枝などの名前がすぐさま思い浮かぶほど、サッカー部員がまるで、トグロを巻いているような、といっても家主の石川の伯母さんの統率の下、こざっぱりとした雰囲気の下宿であったことをおもいだします。私が1回生で入部早々、早速この下宿の、松本・楠瀬コンビからRIO・BRAZIL(親父経営の明石駅前の喫茶店)にいる私にご指名の電話が繋ってきた.。『明石駅前の未亡人サロンに飲みに来てるんだけど、お勘定が払えない助けてくれ。』その店の名前を聞くと、知り合いのヤクザ屋さん経営の誠にイカガワシイお店。そんな店で二人して、怖いもの知らずのドンチャン騒ぎをやらかしたらしい。少々の手持ちでは足りなくなること当たり前。「よーあんな店へ行くわ」と呆れ返りながらも、親父に寸借して駆けつけた。一つ間違えれば、ボコボコになるところであります。そんなことがキッカケで、好漢松本とのお付き合いが始まったわけだ。ところで、このムチャ者が、一度グランドに現れると、まるで人がちがったようなFWに変身する。中学・高校と岸和田で慣らしたもんやガ口癖だった。小柄な身体ながら、ダッシュの最初の5歩の出足の早いこと。身体を張ってのドリブル。そして火の出るような鋭いシュートと謂わば根っからのストライカーに生まれてきたような男であります。入る大学を間違えたんじゃないのかと疑りたくなるような代物です。といいながら彼からは、代々部に伝わる授業のノート、それもここ数年の試験問題まで付記してある優れものを譲り受けたり、当時珍しかったYASUDAの注文シューズの注文書を貰ったり、こまめにお世話いただきました。そんな松本ちゃんを擁した私が2回生のリーグ戦。3勝2分とリーグ戦を勝ち抜いて優勝し、いよいよ念願の2部復帰(決して昇格とは言わない。あくまでも2部に帰るのであります。)のための最終関門である大阪大との入れ替え戦。確か一戦で引き分けての再戦が京都・京極のグランドでありました。その試合で、勝利を決定付ける2点目。それもセンターサークルの辺りから私が思わず一蹴した玉が運良くGOALのBARの下を掠めて入っちゃた。一瞬何が起こったのか誰もがあっけにとられて佇む中、応援に駆けつけておられた桑畑芳郎先輩が両手を広げてグランドを突ききって駆け寄り、ようやったようやったと私を押し倒して、感涙の抱擁とKISSのプレゼント。おもえばあれが男性を知り初めし最初となるのか。
ほんとにご心配をお掛けしていたことから、度々グランドの片隅で、我々の練習を見守って居られる姿をお見かけしておりました。そうかちょうどあの時も、先生は練習を見て折られたに違いないんだ。そうでなければ、先生の口から、『喧嘩までして』などとの言葉が出るはずが無い。
4回生レギュラーは私とセンターバックの長本省三君の2名。あとは3回生7名に2回生2名。4回生の入れ替え戦断固回避、後がない緊張感そのものと、3回生のまだのんびり気分が残っているものとが、同じグランドで練習すれば、当然意識の食い違いから、なにかにつけて摩擦が起こるのは避けられない。とくに一対一、FW対BACKの練習でも、BACKの私は、まるで試合なみの厳しさと、勢いでハードに攻め立てる。一方3回生FWにすれば、なにをいきっているのとの受けとめとなる。この軋轢は何時か爆発するのは必定.4-5月ころ、最初に練習疲れがピークに達した時。一対一で私とFW細見の組み合わせとなった。猛然とチャージする私。最初は程ほどに受けていた細見も、あまりのしつこさに、思わず「なにすんねん」と大声を上げる。あとのことは良くは覚えていなくて、私と細見の睨み合い、小競り合いがあって、いつの間にか3回井上忠之と長本省三が其々に代わって対峙する。ややあって、二人は目と目を合わして場所を変えようとグランド端の木陰に消えていった。前年11月から、休む間も惜しんでの、練習練習で、引っ張られる方は鬱憤が溜まりに溜まっている。一方ここで変に妥協すれば、あとが続かない。私にとって、最大の切所である。沈黙が支配する中、両名の様子が気になるばかり。ややあって、二人が揃って姿を見せた。もう表情からは先ほどのとげとげしさは消え、何故か自然と練習再開となった。しかしよく見ると、井上忠之のこめかみにデッカイたんこぶ。あとで聞くところによると、長本が手近にあった棒の切れ端で一発かましたらしい。日ごろ口数少なく、温和で通つていた彼にそんな激しさがあったのかと、ほんと驚かされた。・・・練習後、その長本が、先ほどの責任を取って辞めると言い出した。後にも先にも、このときばかりは本心から、辞めないでくれと土下座もいとわず泣いて引き止めた。その甲斐あってか、あまりに私が可哀想に思ってか、なんとか留まってくれることに話は落ち着いた。これ以降、長本は黙々と役割を果たし、試合ではヨレヨレになりながらも、驚くほどの堅守を見せた。よくあそこまでやってくれたもんだと未だに感謝感謝。一生の輩であります。
今や、我が先祖は土佐戦国七雄に数えられる「津野氏」であると思い込んでおります。それが心の拠所の一つとなっているかも知れません。実際はどうなのか、考えないわけでは無いのですが、親父の昔話に、曽祖父・久万蔵が、津野親忠公を祀る考山祭には、裃に威儀を正して出かけていたという記憶を唯一私が知る裏づけとして信じています。その津野を代表して語られるのが津野親忠公であります。親忠公は実は津野直系の当主ではなく、長宗我部元親の三男であり、津野勝興が長宗我部の軍門に降る際に親忠公を養子として迎えて、自身は隠居したのが経緯です。当初、親忠が幼少であったため、勝興が代わって政務をみていたようです。そして天正6年11月、勝興は死去しました。この勝興の死によって津野氏嫡流の血統は絶えたわけです。
歴史上、津野の代表として語り継がれている親忠公の、あまりとりあげて語られることがない、身びいきではなく、何故だろうと不思議に思うほど、親忠公の消極的ではありますが、日本史上果たした役回り、それが、正当に評価されていないことが歯がゆくてなりません。かの土佐好きで知られる司馬遼太郎先生も、「夏草の賦」で元親を、「戦雲の夢」で盛親を書きながら、親忠に関しては、ほんと筆が走っていない。それほど資料が少なくて書きにくいかもしれません。
ところで、天下分け目の戦いと言われる関が原の合戦に勝利した徳川家康にとって最大の関心事は
島津をどう抑えるかと言うことでありました。260年後薩摩に維新されることを予見していたに違いありません。その島津を抑える拠点として土佐が重要な立地にありました。ところで家康と元親はかって、対秀吉包囲網の一員として、手を組んだ仲であり、盛親も関が原に際しては、家康に「お味方する」との密書を発するも、悉く石田三成の西軍に阻まれて、しぶしぶ南宮山に陣を張ったという事実があります。その盛親が殆ど戦わずして、戦場を駆け抜けて、土佐に帰り、井伊直政を通じて謝罪をし、そこそこの領地安堵の感触を得ていたのは確かとおもわれる。そもそも、秀吉の九州征伐の魁として行われた、戸次川の合戦において最愛の長男・信親(信長の信を与えられた)を失った元親は、このころより人換わりしたように精彩を失ってしまったのだけれど、後継者決定を遅れに遅らせ、挙句四男盛親を指名し、信親の娘を盛親に嫁がすという愚挙におよんだ。このことがシコリとなり、親忠は幽閉されてしまうのだが、盛親が家康のもとに、謝罪に行く際、藤堂高虎と親しかった親忠に土佐の半国を与えられるとの噂を信じ込み家老久武内蔵助親直の手により、親忠に詰め腹を切らしてしまう。このことを高虎より知らされた家康はこれ幸いとばかりに、兄を殺した盛親を「元親の子に似合わしからぬ不義者」と断罪し、一命と引き換えに土佐一国を取り上げてしまった。
もし、親忠が元親より、まっとうに後継者とされていれば、あるいは盛親が親忠を手にかけることが無かったならば、家康も土佐一国を取り上げるまでのことは、まさかおこなえず、山内一豊に土佐を与えることも出来なかったことになる。さすれば、山内進駐による上士・下士の不毛な摩擦もおこらなかったし、幕末維新の原動力の一端を担った草莽が出現する土壌もありえなかったのです。
この歴史上のもしもが、あまり知られていないことが不満であった私にとって、今神戸新聞夕刊に連載中の「下天を謀る」は藤堂高虎を主人公とした歴史小説で、(125)第4章九州征伐(20)にいたって、ようやく元親と高虎との係わりが語られ始めており、期待以上に親忠についても書いてくれるに違いないとの期待に小さな胸を躍らせているところです。
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永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)