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 海望館の島原料理を頂いて元気百倍。
ふぐの幟がここかしこに立てられて「がんば」と記してある。夕食にもこれガンバですと仲居さんが指を差す。
どう見てもふぐなんだけど、大阪では鉄砲という如く、島原ではがんば=棺桶と称するようで、鉄砲に当たるどころか、棺桶に入るつもりで食せというわけだ。昔はそれほど中毒がよく出たんだ。

とりあえずは勝・龍馬一行の島原上陸地点の確認に走った。
といっても、宿からまじかの港の岸壁。雁木の有るあたりからの眺めはその当時の情緒を感じさせてくれる。
この島原湊に明け方に着き、長崎への第一歩を刻んだ。そしてこの雁木を龍馬が上陸した階段と称している。
龍馬フアンとしてはもっと大々的にこの上陸地点を取り上げればと思いながら、昔の米蔵を改造した漁人市場「とっとっと」で一休み。美味しいコーヒーを頂きながらホテルオークラのシェフだった叔父さんに地元の様子を聞いてみる。
見ると館内に竹久夢二の絵が沢山かけてある。あとで知ったのだが、夢二が長崎に長期滞在して名画を遺しているんだって。知っていましたか。
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 いよいよワールドカップ開幕。今開幕試合の南アVSメキシコ戦が終わったところ。1-1の引き分け。
開始早々はメキシコの球回しに戸惑っていた南アも先制の1点を入れてからは堅さも取れて生き生き。
何せ1800Mの高地故かボールが浮き浮き。メキシコのサイドを換えるロングパスが繋がらない。
シュートも大きく吹き上げる。
後半終了間際、南アのカウンターでシュートがゴールの左ポールを叩いた。なんとも不運。
予想に反して南アの健闘が光った。
メキシコはお馴染みブランコを投入してやっと動きが出だした。
メキシコは前半開始から20分の間のチャンスを逃したのが痛かった。
しかし何と言っても日本代表の試合を見るのと違って気持ちが軽いこと軽いこと。
どちらが勝っても良い訳で、純粋にサッカーを楽しめる。
ああ至福の、寝不足の1ヶ月が始まった。

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 10日の神戸新聞朝刊のこうべ版。その一面に何処かで見たような写真が目に飛び込んできた。
おや、と思い見直してみると神戸高知県人土陽会80周年記念総会の予告記事でありました。
先般の理事会で神戸新聞に総会予告記事掲載を神戸新聞OBの小島専務理事から働きかけてもらうことになっていたが、例年の2-3行の告知と思いきや、総会予告よりも我が土陽会の成り立ちと、主に龍馬さんに関連した企画・事業を克明に取り上げてくれている記事内容となっていた。
担当記者は大月美佳嬢で、彼女が明石総局在勤から色々お世話を掛けていたことから、我が土陽会への理解が十分されている記事でありました。
思いがけず褒美のプレゼントを貰ったような気持ち。本当にありがとう。
早速入会問い合わせの電話も入り、13日の総会に向けて会員有志はこの3日間準備に忙殺されます。
意義ある総会が迎えられることでしょう。
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 熊本外港にはフェリーが2航路あって、予約をしているのはオーシャンアロー号という高速フェリーで島原まで一時間と、九四フェリーの倍早い。
フェリーセンターは干満の影響を受けないように深い岸壁にあって主に地場の特産と島原地方のPRに力が入っていた。
さて島原に渡り、長崎まで直行するか、島原か雲仙での一泊か迷った末に、ちょうど目に止まった島原観光案内所に飛び込んだ。
担当の相良さんを捕まえて相談を掛ける。相良さん曰く、立場上どこの旅館が良いとは言えないが、島原で一泊して、勝・龍馬一行の上陸地点を見学されてはというアドバイス。
思えば50年前高校の修学旅行で訪れて以来の島原だ。海の眺めが最高の海望館が料理もいいとのことで電話を入れて予約した。
相良さんには龍馬ゆかりの資料をドッサリ貰って、おまけに島原紹介のDVDまで頂いちゃった。

やはり高速船のほうが人気が有るようで、かなりの乗員でキャビンは満杯。そのうえサービス期間中とかで車だけなら3,000円と格安だ。三崎ー佐賀関が同じ一時間で9,000円と比べてもリーゾナブル。
やはり競争相手があるのと、無いのとの差なのか。

キャビンに居るとそうは感じないが、デッキに出て航跡を見てみると、かなりのスピードが出ていることを実感。
アッと言う間に島原港着岸となった。(666K)

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 昨日の菅新首相の記者会見で、御自身この内閣に名前を付けるとしたらと問われての返事が『奇兵隊内閣』。
偶然にもいま読んでいる本が富成博著「池田屋事件始末記・吉田稔麿の最後」で、ちょうど馬関戦争真っ最中。
吉田稔麿は吉田松陰門下、久坂玄瑞・高杉晋作と並び三秀と謂われる人物で、惜しくも池田屋の変で落命してしまったが、もし生きておれば総理大臣にも成ったほどの人物だったと品川弥次郎が回顧している程。
松陰の草莽崛起の教えを受けて、稔麿は非人でさえも志有れば同志に加えるべきとの建白を長州藩庁に提出し、これがキッカケとなって高杉晋作率いるところの奇兵隊が結成された。
自身も屠勇隊を率いて朝陽丸事件では神官姿で先頭を切って舟に乗り込み幕府方乗員説徳に成功した。

菅新首相がこの奇兵隊をイメージして奇兵隊内閣と称したのか、高杉晋作を自身になぞられたかは定かではないが、どちらにしても待ち受ける運命は過酷なものに成りはしないだろうか。
奇兵隊はそれまでの上士による戦闘集団を凌ぐ闘志を示し、四周戦争で目覚ましい活躍を見せたが、世の中が落ち着くと結局使い捨てにされてしまった。
一方高杉晋作も志半ばで病に倒れている。
結局は三流志士だった伊藤博文に代表される人々がタナボタの政権経営に携わった訳で、結局は維新とは名ばかりの政権交代劇に終わってしまった。

勿論政権交代も重要だが、本当の意味での維新ーすべてこれを改めるーをやらない限りは菅内閣も奇兵に終わってしまう懸念があります。

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