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 どうも落ち着かない。TVはワールドカップ開幕とかで提灯番組に、軟弱な評論がしたり顔で披露される。
もう日本代表関連は気にもならないが、世界の見たい選手に対戦カードは山ほどある。
そして、この大会で現れるであろう新スター選手は誰なのか。

一方、3週間の間が有った我が母校神戸商大・兵庫県大神戸サッカーの関西リーグが6月13日再開する。
残念ながら、その日は県人会の80周年総会で、出来る事なら欠席して試合に駆け付けたいが、県人会も大事でしょうと弘子ちゃんに怒られた。
残る3戦のうち、13日の追手門大が今期の台風の目になっているようで、京大、兵教大以上に油断ならない。
勿論土肥監督、兼折主将も十分分かっていて、この3週間の間に出来る限りの対策を講じてきたはず。
私がどれ程グランドのサイドにいてやきもきしても、むしろ迷惑なぐらいだが、出来れば試合当日のメンバーの面魂だけは見ておきたい。祈る快勝。先制点が勝敗の分け目となる。


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 海舟は熊本城を熊城と記している。
去年の九州弾丸ツアーの際に熊本はかなり観てまわったので、今回はスル―のつもりで外港へと急いでいると、左・四時軒(横井小楠宅)4Kとの表示。
4時にはオーシャンアローの乗船受付が始まる。これからだと、駆け足で拝観して何とか間に合う。
 ところで横井小楠とは何者かと言えば、

1809~1869(文化6~明治2)本名横井平四郎。

熊本城下、内坪井に生まれる。開国論を唱える思想家として知られる。安政5年から文久3年にかけて、越前藩に招かれた。藩主、松平春嶽の参謀として藩政改革をすすめる。

その後、松平春嶽の政治総裁職の顧問として、「国是七条」を建議し、参勤交代制の廃止など、幕政の改革を進めるが、横井小楠襲撃の、いわゆる「士道忘却事件」で、肥後藩より士籍剥奪の処分を受け、志半ばで、肥後沼山津の「四時軒」へ引きこもる。

維新後は、士籍を回復され、新政府の参与(国務大臣)として登用され たが、明治2年、京都で、尊攘派浪士に暗殺された。

ぺリーの来航、ロシアやイギリスなどによる条約締結の要求、尊王攘夷運動の広がりの中で、幕府の閉塞状況を、世界的な情況の中で、捉え直そうとした。その開明さは、勝海舟、坂本竜馬らに影響を与えたが、肥後藩では却って危険視されたのか、重用されなかった。

だそうで、勝がわざわざ龍馬子を面談に行かせたのを含めて、龍馬はここ沼山津・四時軒を3度訪れている。
おまけに、長崎よりの帰りに再び立ち寄り小楠の養子・横井佐平太、義弟・横井大平、肥後藩士・岩男内蔵之允3名を神戸海軍操練所生徒として預かっている。

額・四時軒は松平春獄公書。
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龍馬と小楠が面談した四時軒の客間。当時そのままとか。
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 大分道大分光吉ICを降りる。勝・龍馬一行が九州上陸2日目に泊った鶴崎は残念ながら回れなかったが、同じく熊本藩の飛び地だった野津原(のつはる)を目指して豊後街道、大分の人からは肥後街道に入る。
清正公が参勤交代のために整備した街道だ。
R57・R442と道路名は変わるが、やはりR442はかなり手狭な県道で、豊後大野市までには改修中の道路もあり、迂回道は村の中、家の軒先を掠めるような難所もあった。
それも朝地に至ればR57となり、朝地でコンビニを見つけた時は思わず駆けこんだ。
阿蘇の裾野へと目指す手前、竹田市へ入ると岡城祉の案内番が目に付いた。
確か幼少期を竹田市で過ごした瀧廉太郎作曲の荒城の月が詠われたかのお城。思わずハンドルを切って城跡を拝見に。
城跡は見上げる先にあって、とても上っている時間は無い。そこでいつものアリバイ写真をパチリ。
ここまででAM11:55(558K)。
本道に戻ってからは神楽苑(全国神楽祭り開催)で神楽そばを頂いて熊本外港へと急ぐ。

一行は佐賀関から熊本城下まで文久4年2月15日から20日をかけて旅している。20日龍馬子を横井小楠宅に遣わし金子を届け談話をさせている。そして21日新町をたって高橋宿から舟で島原を目指した。
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 その昔、東の熱海、西の別府と並び称せられた別府はすぐ近く。
佐賀関からは大分市を通って目と鼻の先。
少し後もどりになるが、息子たちがまだ小学生のころ別府温泉で遊んだことを思い出しながら宿を求めた。
別府温泉は別府駅近くにあって、その昔の賑わいはなくて、専ら静養目的の客目当ての温泉地となっていた。
あの猥雑な温泉地の面影は何処を探しても見当たらない。
幸いホテル白菊はなかなか行き届いた宿で、夕食・朝食とも充実していて好感を持った。
広々とした湯につかり疲れを癒す。
部屋係の女性に新日鉄大分製鉄所の接待などで賑やかなんでしょうときいてみると、とんでもないもう29年も前から、役所・警察関係の会合でも個人名で予約してくる状態で、接待なぞ有ったもんじゃないとの返事だった。
翌日は別府ICから大分道に乗ることにして、海地獄だけ見物する事になった。
鉄輪温泉に入ると流石に硫黄の匂いが漂い、地獄の一丁目あたりに来たような感じだ。
大分道を西に戻りR57・豊後街道に入ればあとは熊本まで一路。
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 前回のワールドカップ。確か開幕寸前のドイツ戦が最高潮であとは本番3連敗と奈落の底へと転がり落ちた。
チームの調子は一定ならず。本番の一番肝心な試合にシンクロ・同調させるのが監督の手腕。
どうも前回のイングランド戦の出来がピークのような気がしてならない。
GK川島のファインセーブが無ければ1-5の惨敗だったはず。
むしろこの程度での負けのほうが本番のためには良かったかもしれない。
2点ものオウンゴール献上の検証も無く、GK川島をまたまた褒め殺し。
となれば、多分今日の試合は一転無残な結果となるに違いない。
いや、コテンコテンに負けて、もう後が無い状況でワールドカップに突っ込んだ方が良い結果を招くに違いない。
かくして予想は 0-3 での負けと見る。

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