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今日は島原の旅館に居ます。かねてよりの海舟・龍馬が辿った豊後街道を訪ね、やっと島原までたどり着いたところ。
9時からのNHK中継を控えてやはり気になる試合の趨勢。
直前予想をイメージしていると0-3いや0-5という数字が浮かんでくる。
問題は入れられた点では無くて、せめて1点がとれるかどうかにかかっている。
まだスタメンは知らないが、俊輔を選んでるとしたら、岡ちゃんに反省なし。
スタッフも全員失格と思っていい。
故障を抱えるエースを他の調子を挙げているメンバーに優先するなど、本来有ってはならない。
イングランド戦完敗を受けて監督更迭も決して遅くは有りません。
一方女子サッカーは今日ワールドカップの出場権を獲得した。 

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今日の日経に三浦和良がサッカー人というテーマで小文を書いている。
8年前、ワールドカップ最終メンバーから外されて北沢とともに帰国した際のカズの表情は忘れられないものがある。そのカズが今回のメンバーのうちGK川口が日本代表の主将を任されたことを気遣っている。
今までの経験をメンバーに伝えてほしいと期待されている。
日本代表が何たるかを実体験で知る人間が少ないから、彼にその役割が回ってくるんだろうとしながらも、あくまで現役である川口にとって難しい立場だと同情の言を吐く。
もちろん文面は控えめながら、第3GKでは試合の出場はほぼ望めないとしながらも、川口ならそんな順番など問題ではなく、何時でも出場できる準備をするはずで、あくまでもGKを貫き通せと助言する。
無理をして気を遣いすぎるな。GKとしてゴールを守るチャンスがあるんだ。選手としてポジションをつかむためピッチのプレーで力を出し尽くせばいいんだ。それがチームの為になるはずだと。おに」

日本のサッカーを引っ張ってきたカズならではの言葉だ。
かれはいまだに4年ごとに巡ってくるコパ・あとか。1ド・ムンドの季節。何時呼ばれても良いようにスケジュールを空けてまっているんそうな。
イングランドチームはアキレス腱損傷したベッカムをチームスタッフとして帯同する。
岡ちゃん、今からでも遅くない。カズを南アフリカに呼ぶべきだ。

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 このとき島津軍は城の囲みを解いたが、それは慎重な戦術的後退に過ぎなかった。秀久の強行策は釣野伏せの策にまんまと嵌った。
家久は戸次庄の野原の中央に陣し左翼と右翼に遊撃部隊を配置して、四国勢が渡河を終えるのを待ち構えた。
渡河に難なく成功して油断した四国勢に、左右の遊撃隊が鉄砲を斉射した。
たまらず算を乱した四国勢の前に槍隊、つづいて騎兵隊が突撃して来た。
この壊滅的戦場を真っ先に離脱したのは秀久だった。指揮系統など有ったもんではない。たちまち四国勢は崩壊浮足立つ。
この乱戦の中で踏み止まったのは元親、信親の長宗我部軍だけとなった。
釣野伏せの策に嵌った白兵戦。長宗我部兵は血しぶきを吹き上げて倒れた。
元親と信親は川岸での合流を約し、じりじりと後退していったが、ついに父子は散り散りになった。
元親を逃がすために、七百余の兵が敵の前に立ちふさがり、討ち死にした。
供回りがわずか十数人になった元親は、やっと川岸まで逃れたが、信親の姿はない。
血まみれの近習が駆けてきて、信親の戦死を告げる。
もはやこれまでと腹を切ろうとした元親を、供回りの者達が身を挺して護り、からくも戦場から逃した。
元親にとって信親を戦死させ、初めての屈辱となった敗戦は、島津の釣野伏せによっtれもたらされた。
だが長宗我部家にとって戸次川の敗戦は、家臣を二つに割る悲劇の始まりでもあった。

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 稀代の『梟雄』元親が人、変わりしたのは、秀吉の九州征伐(対島津家久)の際の戸次川合戦敗戦による。
それは元親をはじめ四国軍が、島津軍に釣り野伏せを仕掛けられ壊滅的な敗北を喰らった戦でした。
天正14年(1586)12月。
日本列島の中原をほぼ制圧した秀吉は、九州進撃を考えた。その対抗戦略として島津家久は、九州全土を併合しようと精兵2万を率いて北上した。
豊後(今の大分地域)に侵攻した島津家久が、まず襲ったのが、大友宗麟系の鶴賀城である。城主の利光鑑教(かねのり)が戦死して落城間近であったが、島津軍に鶴賀城を奪われると、秀吉の九州征討の大きな障害となる。もちろんこの事態を秀吉が赦す訳がない。
秀吉は讃岐領主の仙石秀久を軍監にして、長宗我部元親と十河存保(まさやす)の四国勢に出陣を命じた。元親は長男信親を軍陣に加えて、鶴賀城救援に向かった。
信親は二十二歳、身の丈は六尺一寸(約1.85メートル)の屈強な若武者である。
3尺5寸(106㎝)の長刀を振るい、勇猛果敢な後継ぎを元親は信頼していた。
戸次川の対岸に屹立する鶴賀城を観望しつつ、四国勢は軍議を開いた。
対岸に島津軍の姿は見えない。物見を放っても敵兵の影すら認めない。
その知らせを受けた軍監の秀久がー即時、渡河攻撃 を主張した。これに存保も同意。
一方元親は長い戦の経験から慎重策を口にした。四国勢は6千で兵力不足であり、秀吉本軍の出陣をまつべきであると。
だが島津軍の姿が見えず、功に逸る秀久は、軍監の立場を押し通して、渡河進撃を決定した。四国勢は戸次川の浅瀬を渡り、川岸に沿う戸次(へつぎ)庄の野原に向かった。



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以下 30年前 ブルーコーツを迎えて明石市民会館大ホールに1600人の観客を集めて開催した
第6回GOOD TIME JAZZ FESTIVAL 「トランペット・メルへン」のプログラム掲載ご挨拶です。

その昔、映画「グレン・ミラー物語」をかいま見た少年が、中学に入学するなり、迷わずプラス・バンド部に入部、ポンコツ・トロンボーンを担いで最初に覚えた曲が、マーチ「錨をあげて」。
以来、ジェームス・スチュアートばりに首をかしげて三年、明石高校に入学して、故有永正人先生(チューさん)に、早速ありがたいお言葉をいただいた…「コテそこのボーン首まげるな」。
高校の三年間は早朝のロング・トーン練習、昼はてんでバラバラに、好みのマーチの合奏、そして放課後はオトロシイ、チューさん直々の練習。
あまりの不出来にたまりかねて、チューさんがオルガンの前に陣取っての個人練習。順次呼出されて吹くのはいいが、気の弱い小生、ハートはドキドキ、唇ブルブル、蚊の鳴くような音出して、かろうじて解放。
しかし合奏ともなれば勇気百倍のパリ・パリ・ボーン、チューさんしきりに首をカシゲて「バランス悪いなあ.″」。
そんな、こんなで、ろくに勉強もせず、当然の如く浪人生活に突入。かなりの情緒不安定に悩んでいた時、大OBの呉サンに呼出された。
「ボーンのパート足らんねん。全日本コンクール の東京に行くのん出たってんか。」正直うれしかったねえ。
もうラッパなんぞ吹くこともなかろうと自閉症ぎみにウジウジしていた、迷える子羊を蟻地獄から助け出すに充分なお言葉。
喜びいさんで、練習にかけつけて、渡された譜面をみて涙がウカンダ。なんと皮肉にも自由曲はチャイコフスキーの「悲槍」だと。

その当時、チューさんのログセが「私はJAZZはよくわからないが、君たちの先輩にジャズ界で活躍している4人のトランペッターがいるんだ。」
これが我々には郷土の誉みたいに聞こえたもので、JAZ2という言葉が、やけにまぶしかったことが印象に残っている。
人間、何事をはじめるにも年令はないと、30才になってかはじめたDIXIE LAND」AZZ。師匠の伊藤隆文には、もうとっくに見放されてぃるρ は承知ながら、これをやめると、あとは酒と女しかないと、身の破滅を防ぐためにも、ラッパは手放せない。
たまたま関谷先輩からの良い話があって、おもいもかけず明石にとって、ブルーコーツを迎えて、まぼろしのトランペッター4人が一同に会してのCONCERT。私にとっては、しっかりとトランペットメルヘン。
本日ご協力下さった地元ビッグ・バンドの皆様他、心から感謝の心持ち。夢かなった私は、ひとまず今回をもって600D―BYE。
                明石デキシ―ランドジャズ協会  津野伸一
 

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