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 このとき島津軍は城の囲みを解いたが、それは慎重な戦術的後退に過ぎなかった。秀久の強行策は釣野伏せの策にまんまと嵌った。
家久は戸次庄の野原の中央に陣し左翼と右翼に遊撃部隊を配置して、四国勢が渡河を終えるのを待ち構えた。
渡河に難なく成功して油断した四国勢に、左右の遊撃隊が鉄砲を斉射した。
たまらず算を乱した四国勢の前に槍隊、つづいて騎兵隊が突撃して来た。
この壊滅的戦場を真っ先に離脱したのは秀久だった。指揮系統など有ったもんではない。たちまち四国勢は崩壊浮足立つ。
この乱戦の中で踏み止まったのは元親、信親の長宗我部軍だけとなった。
釣野伏せの策に嵌った白兵戦。長宗我部兵は血しぶきを吹き上げて倒れた。
元親と信親は川岸での合流を約し、じりじりと後退していったが、ついに父子は散り散りになった。
元親を逃がすために、七百余の兵が敵の前に立ちふさがり、討ち死にした。
供回りがわずか十数人になった元親は、やっと川岸まで逃れたが、信親の姿はない。
血まみれの近習が駆けてきて、信親の戦死を告げる。
もはやこれまでと腹を切ろうとした元親を、供回りの者達が身を挺して護り、からくも戦場から逃した。
元親にとって信親を戦死させ、初めての屈辱となった敗戦は、島津の釣野伏せによっtれもたらされた。
だが長宗我部家にとって戸次川の敗戦は、家臣を二つに割る悲劇の始まりでもあった。

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