書きますよ~皆さんついてきてくださいね!
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今日は11時間ぶつ通しでBS・NHKが岡田ジャパン応援のチョウチン番組をやっています。
流石に海外での取材力は凄くて、我々の知らない情報をもたらしてくれる。
今もセルチック・中村俊輔の足跡を伝えている最中だ。
その前は、オランダ・フェンローでの本田圭佑の活躍とロシアへの移籍金9億円でのスタジアム建設そしてその名前がケイスケホンダスタジアムになるんだとか。
ところがスタジオでのトークとなると早速チャンネルを換えたくなってしまう。
おまけに全く身びいきのゲームシュミレーションに至っては耳を、目を覆いたくなる。
何処まで脳天気で楽観的でアホな予想を恥ずかしげもなく喋れるもんだ。
今回の岡田ジャパンのワールドカップ。最悪の3戦3敗ノーゴールの予感が絶えないのは何故か。
岡ちゃんも随分と顔面で損をしていることには同じ種類の小生としては同情に堪えないが、なにしろ我々を納得させるような発言が全く無い。せめてチームのイメージをアップするような事を話せば良いのに、のっけから4位目標との宣言を聞いてしまうと、それだけでほんまかいな、この監督で大丈夫なのと頭を抱えてしまう。
勿論サッカーは何が起こるか分からないし、やってみなければ結果は分からない。
しかし、これまでのゲームを見る限りでは攻撃の型もそうあるわけでもなく、海外組の活躍頼みで終わるのは目に見えている。
なにせゲームが面白くない。ワクワクしない。これまでのジャパンのゲームをいろいろ見てきたが、途中でどうでもいいやとチャンネルを換えたのは岡ちゃんジャパンが初めてだ。
パス回しは上手だがサイドなりド真ん中なりを切り裂いてゴールに執念を見せる選手が見当たらない。
ストライカーなんてのは高慢で唯我独尊で生意気でそれでもゴールに球を放り込むような尖がった奴と相場は決まっている。
そんな奴はもう日本に居ないのかい。
こうなれば岡ちゃんジャパンはさておいて、世界のサッカーを堪能する事に致しましょう。
流石に海外での取材力は凄くて、我々の知らない情報をもたらしてくれる。
今もセルチック・中村俊輔の足跡を伝えている最中だ。
その前は、オランダ・フェンローでの本田圭佑の活躍とロシアへの移籍金9億円でのスタジアム建設そしてその名前がケイスケホンダスタジアムになるんだとか。
ところがスタジオでのトークとなると早速チャンネルを換えたくなってしまう。
おまけに全く身びいきのゲームシュミレーションに至っては耳を、目を覆いたくなる。
何処まで脳天気で楽観的でアホな予想を恥ずかしげもなく喋れるもんだ。
今回の岡田ジャパンのワールドカップ。最悪の3戦3敗ノーゴールの予感が絶えないのは何故か。
岡ちゃんも随分と顔面で損をしていることには同じ種類の小生としては同情に堪えないが、なにしろ我々を納得させるような発言が全く無い。せめてチームのイメージをアップするような事を話せば良いのに、のっけから4位目標との宣言を聞いてしまうと、それだけでほんまかいな、この監督で大丈夫なのと頭を抱えてしまう。
勿論サッカーは何が起こるか分からないし、やってみなければ結果は分からない。
しかし、これまでのゲームを見る限りでは攻撃の型もそうあるわけでもなく、海外組の活躍頼みで終わるのは目に見えている。
なにせゲームが面白くない。ワクワクしない。これまでのジャパンのゲームをいろいろ見てきたが、途中でどうでもいいやとチャンネルを換えたのは岡ちゃんジャパンが初めてだ。
パス回しは上手だがサイドなりド真ん中なりを切り裂いてゴールに執念を見せる選手が見当たらない。
ストライカーなんてのは高慢で唯我独尊で生意気でそれでもゴールに球を放り込むような尖がった奴と相場は決まっている。
そんな奴はもう日本に居ないのかい。
こうなれば岡ちゃんジャパンはさておいて、世界のサッカーを堪能する事に致しましょう。
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いよいよ半島が緊迫してきた。
この3月末、韓国哨戒艦爆沈を受けての日本政府の危機感の無さは本当に信じがたい。
普天間基地の移転問題に明け暮れて、まさに半島有事がもたらす日本国に及ぼす危機の検討がまるで為されている形跡が見られない。
5月20日になって合同調査団が調査結果を発表し、北朝鮮製魚雷の爆発が原因と断定した。
これにより半島有事の可能性が増大し、米韓国軍は当然に警戒度を引き上げている。
一方、我が鳩山首相は、記者団のこの有事状態への対応の内、せめて自衛隊の態勢を引き上げる必要はないのかと言う質問に対して、平野官房長官に聞いたところその必要は今のところ無いとのことだとのたまう。
昭和25年6月25日に勃発した朝鮮戦争は戦後困窮の果ての日本に空前の軍需景気をもたらした。
金ヘンの物は何でも高値が付き、町のガキ大将迄が大きな磁石にひもを付けて、街中を走り廻る始末。
米国の日本統治方針もガラリと変わり、それまで軍国日本再生を懸念して鉄砲の1つも取り上げていたものが、極東戦略の重要な一員としての位置付けに変わった。警察予備隊他自衛隊の前身が設立された。
戦争放棄の新憲法の下にであります。
かくして半島の悲劇を横目で見ながらせっせと経済活動に専念して漁夫の利を得た日本でした。
北朝鮮の発表は、この哨戒艦爆沈が北朝鮮によるというのは全くの濡れ衣で、もしも何らかの制裁が有れば、全面戦争も含んだ報復処置を取ると言う何時もの強硬宣言だ。
ところが、今回の攻撃に関しては相当困難な作戦で、思い出せば日本軍による真珠湾攻撃の一手、特殊潜航艇による魚雷攻撃に匹敵する。その狙いは不可解で、軍の独走説もささやかれる。
いよいよ、南北手切れとなってドンパチが始まろうと言う瀬戸際、懸念されるのは日本生贄作戦のこととなります。
北はきっと韓国への乱入よりも、同盟国日本への報復攻撃を宣言するのではないか。
いわゆる人質作戦であります。
弱腰日本は自国民が拉致されても人ごとで済ましてきた。
まして北のミサイルが雨霰と降って来ることなど予想もしない脳天気さ。
その日本を脅すしか実は北に遺された対抗策はありません。
どうする、どうなる日本。
この3月末、韓国哨戒艦爆沈を受けての日本政府の危機感の無さは本当に信じがたい。
普天間基地の移転問題に明け暮れて、まさに半島有事がもたらす日本国に及ぼす危機の検討がまるで為されている形跡が見られない。
5月20日になって合同調査団が調査結果を発表し、北朝鮮製魚雷の爆発が原因と断定した。
これにより半島有事の可能性が増大し、米韓国軍は当然に警戒度を引き上げている。
一方、我が鳩山首相は、記者団のこの有事状態への対応の内、せめて自衛隊の態勢を引き上げる必要はないのかと言う質問に対して、平野官房長官に聞いたところその必要は今のところ無いとのことだとのたまう。
昭和25年6月25日に勃発した朝鮮戦争は戦後困窮の果ての日本に空前の軍需景気をもたらした。
金ヘンの物は何でも高値が付き、町のガキ大将迄が大きな磁石にひもを付けて、街中を走り廻る始末。
米国の日本統治方針もガラリと変わり、それまで軍国日本再生を懸念して鉄砲の1つも取り上げていたものが、極東戦略の重要な一員としての位置付けに変わった。警察予備隊他自衛隊の前身が設立された。
戦争放棄の新憲法の下にであります。
かくして半島の悲劇を横目で見ながらせっせと経済活動に専念して漁夫の利を得た日本でした。
北朝鮮の発表は、この哨戒艦爆沈が北朝鮮によるというのは全くの濡れ衣で、もしも何らかの制裁が有れば、全面戦争も含んだ報復処置を取ると言う何時もの強硬宣言だ。
ところが、今回の攻撃に関しては相当困難な作戦で、思い出せば日本軍による真珠湾攻撃の一手、特殊潜航艇による魚雷攻撃に匹敵する。その狙いは不可解で、軍の独走説もささやかれる。
いよいよ、南北手切れとなってドンパチが始まろうと言う瀬戸際、懸念されるのは日本生贄作戦のこととなります。
北はきっと韓国への乱入よりも、同盟国日本への報復攻撃を宣言するのではないか。
いわゆる人質作戦であります。
弱腰日本は自国民が拉致されても人ごとで済ましてきた。
まして北のミサイルが雨霰と降って来ることなど予想もしない脳天気さ。
その日本を脅すしか実は北に遺された対抗策はありません。
どうする、どうなる日本。
盛親の親は長宗我部元親。この一代の英雄の晩年、それまでとは人変わりしたような事態が続く。
元親には4人の男児あり。信親・親和・親忠・盛親の内、長男信親は信長より信の字を賜るなど元親期待の後継ぎでありました。
信長がまだ四国に関心を払う余裕なき頃、元親が願って四国切り取り勝手の朱印状を貰い四国制圧に乗り出します。
ところが「天正8年(1580年)、信長は元親の四国征服をよしとせず、土佐と阿波南半国のみの領有を認めて臣従するよう迫るが、元親はこれを拒絶する。このため信長と敵対関係になり、天正9年(1581年)には信長の助力を得た三好康長・十河存保らの反攻を受け、天正10年(1582年)には神戸信孝を総大将とした四国攻撃軍が編成されるなどの危機に陥った。この元親に対する信長の政策転換が、彼との外交を担当していた明智光秀の心を苦しめた為に本能寺の変に至ったという説もある。ともあれ、信長の死で信孝軍は解体して撤退したので、元親は危機を脱した。」WIKIPEDIA引用
この中央における政権交代劇の際にも土佐・四国の立地から独り孤高を保ち、なお虎視眈々と中央をも狙う構えをとり続けます。
元親には4人の男児あり。信親・親和・親忠・盛親の内、長男信親は信長より信の字を賜るなど元親期待の後継ぎでありました。
信長がまだ四国に関心を払う余裕なき頃、元親が願って四国切り取り勝手の朱印状を貰い四国制圧に乗り出します。
ところが「天正8年(1580年)、信長は元親の四国征服をよしとせず、土佐と阿波南半国のみの領有を認めて臣従するよう迫るが、元親はこれを拒絶する。このため信長と敵対関係になり、天正9年(1581年)には信長の助力を得た三好康長・十河存保らの反攻を受け、天正10年(1582年)には神戸信孝を総大将とした四国攻撃軍が編成されるなどの危機に陥った。この元親に対する信長の政策転換が、彼との外交を担当していた明智光秀の心を苦しめた為に本能寺の変に至ったという説もある。ともあれ、信長の死で信孝軍は解体して撤退したので、元親は危機を脱した。」WIKIPEDIA引用
この中央における政権交代劇の際にも土佐・四国の立地から独り孤高を保ち、なお虎視眈々と中央をも狙う構えをとり続けます。
天正13年(1585年)、羽柴秀吉からの伊予、讃岐の返納の命令を断ったため、秀吉の弟羽柴秀長を総大将とする10万を超える軍が派遣されると、元親は阿波白地城を本拠に阿・讃・予の海岸線沿いに防備を固める一方で、秀吉に伊予1国を割譲することで和睦を求めたが、拒絶されたため抗戦する。
秀吉は宇喜多秀家らを讃岐へ、小早川隆景・吉川元長率いる毛利勢を伊予へ、羽柴秀長・秀次の兵を阿波へと同時に派遣し、長宗我部方の城を相次いで攻略した。そして阿波戦線が崩壊して白地城までの道が裸に晒されると、元親は反戦派の家臣谷忠澄の言を容れて7月25日に降伏し、阿波・讃岐・伊予を没収されて土佐一国のみを安堵された。
この間、元親は秀吉に対抗すべく家康・根来・雑賀と手を組み、秀吉包囲網を画策する。これにより秀吉は急遽家康と和睦して長久手の戦を終結させねばならなかった。
何はともあれ、秀吉により永年に渡り駆けずり廻って切り取った努力が水泡に帰す結果となった。
しかし、戦国の倣いからして、このような事態で本領安堵に落ち着いたのは、やはり元親の武将としての器量を秀吉も認めざるを得なかったためでしょう。
戦国の武将に見る危機管理。即ち一国の命運を左右する切所に懸かった際の決断が結果を如何左右したか。
その典型と思われるのが、天下分け目の関ヶ原合戦に参じた土佐・長宗我部盛親と薩摩・島津義弘の身の処し方でありましょう。
両者とも石田三成の西軍に属す羽目となり、南宮山に布陣したが、宇喜多の裏切りに遭い、東軍勝利と見極めると、それぞれ6000余の家臣団を死兵と為して、中央突破してそれぞれの国に帰着した。
同じ西軍に属し、緒戦より伏見城攻略などで活躍しながら西軍本流からは遠ざけられ、最終自力で戦場脱出を図った。ほぼ同じ行動を採ったわけだが、その後の対家康に対する敗戦処理策で大きく違った。
島津はまず今回の参戦は義弘が勝手に行ったことで、島津は関わり知らぬと主張し、家久・豊久親子は尚国境を固めて籠城抗戦の姿勢を示した。
一方、盛親は国に逃げ帰り家臣の意見をまとめて家康への恭順を示し、井伊直政を通じて、せめて半国安堵を申し入れ、それものこのこ大坂へ出向いて行った。
結果、生き残ったのは徹底抗戦策の島津が生き残り、盛親は命と引き換えに一国を召し挙げられてしまった。
家康が一番恐れたのが島津であり、土佐には腹心を入国させてその抑えにするという構想は関ヶ原の前から決めていた仕置だ。そこで何とか盛親の落ち度が無いものかと苦慮していたところに、籐堂高虎から兄である津野親忠殺しの報がもたらされた訳で、これ程悲運な武将も珍しい。
その危機に際しての盛親の判断過程を検証すると、誠に乏しい情報しか持ち合わせなかった所に最大のミスが生じている。
その典型と思われるのが、天下分け目の関ヶ原合戦に参じた土佐・長宗我部盛親と薩摩・島津義弘の身の処し方でありましょう。
両者とも石田三成の西軍に属す羽目となり、南宮山に布陣したが、宇喜多の裏切りに遭い、東軍勝利と見極めると、それぞれ6000余の家臣団を死兵と為して、中央突破してそれぞれの国に帰着した。
同じ西軍に属し、緒戦より伏見城攻略などで活躍しながら西軍本流からは遠ざけられ、最終自力で戦場脱出を図った。ほぼ同じ行動を採ったわけだが、その後の対家康に対する敗戦処理策で大きく違った。
島津はまず今回の参戦は義弘が勝手に行ったことで、島津は関わり知らぬと主張し、家久・豊久親子は尚国境を固めて籠城抗戦の姿勢を示した。
一方、盛親は国に逃げ帰り家臣の意見をまとめて家康への恭順を示し、井伊直政を通じて、せめて半国安堵を申し入れ、それものこのこ大坂へ出向いて行った。
結果、生き残ったのは徹底抗戦策の島津が生き残り、盛親は命と引き換えに一国を召し挙げられてしまった。
家康が一番恐れたのが島津であり、土佐には腹心を入国させてその抑えにするという構想は関ヶ原の前から決めていた仕置だ。そこで何とか盛親の落ち度が無いものかと苦慮していたところに、籐堂高虎から兄である津野親忠殺しの報がもたらされた訳で、これ程悲運な武将も珍しい。
その危機に際しての盛親の判断過程を検証すると、誠に乏しい情報しか持ち合わせなかった所に最大のミスが生じている。
感想
お話にも出ましたが、龍馬とその周辺の若者の気概には圧倒されます。
維新当時の人間がすべて、龍馬レベルの気概の持ち主であったとは思えませんが、全体に今の人間とは
格段の差を感じます。
お話にも出ましたが、龍馬とその周辺の若者の気概には圧倒されます。
維新当時の人間がすべて、龍馬レベルの気概の持ち主であったとは思えませんが、全体に今の人間とは
格段の差を感じます。
考えてみれば、私の先輩にも高い気概の持ち主がいて、良い手本しました(というより「気概」 を意識しただけに終ったというのが実情)。 そして、今、自分がレベルは違っていても、後輩や若い人の手本になったか?なっているか? 「気概」を意識させたか?を考えると全くの「ノー!」であり、多くの若い人の「気概という 日本語は無い」状況に、私自信はいつか聞いたことのある「胸に棘さすことばかり」です。 今、国のリーダー(という立場)になっている人間ですら「事」に対して立ち向かっていない 状況は「気概」が無いことそのものである感じます。 頭脳の働は、維新当時と変わらないと思います。今こそ、龍馬とその周辺の若者に見習って、 「気概」をもって「事」に立ち向かっていかねばならないと思いました。 (・・・・この思いが続くかですって? イエ! アノー! マァそうですね!) 上記は冷や汗3斗の六甲山山頂・龍馬講演みたいなものの反響メッセージが送られて来ました。 我が拙いお話を真摯に受け止めて頂くなんて、なかなかに味わえない経験といえます。
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ふるさと高知と龍馬をこよなく愛し、元気に活動中。
永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)
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