忍者ブログ
書きますよ~皆さんついてきてくださいね!
[33]  [34]  [35]  [36]  [37]  [38]  [39]  [40]  [41]  [42]  [43
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 国公立の大学は真面目に走ると奇しくも遊上君が言った通りで、外大の足は後半も止まることが無かった。
バーを叩くこと3-4回、実に惜しい得点機を逃した。
前の2試合では後半相手の足が止まったことから大量得点が出来たが、そのために少しく油断は無かったか。
中盤、かなり球を取られたり、どこにパスを出そうか迷っている場面も多数。ゴール前空間でパスカットされる一番心配していたシーンもあった。
幸い、相手校に決定力が無かったため、ゴールを割られることはなかったが、少し動ける相手に対すると、たちまち球回しが出来なくなった。
5日の芦屋大も従来から苦手としている相手だ。おまけに先週芦屋は兵教大を6-0で破っている。
(3-0)(3-0)のスコアから見て、まぐれで勝ったようにも思えない。
案外、今期台風の眼なのかもしれない。要注意だ。
追白・・・芦屋大が京大と0-0と引き分けた。どうやら小生の予感が当たったようだ。
後半1点ゴールシーン
CIMG3848A.jpg












CIMG3849A.jpg















254d8070.jpg










5951e332.jpg












CIMG3852A.jpg












952b105e.jpg











a59200c1.jpg











CIMG3855A.jpg











CIMG3856A.jpg












CIMG3857A.jpg











CIMG3858A.jpg













拍手[0回]

PR
 東郷外相の甲案は天皇制護持だけを唯一の降伏条件としていた。阿南陸相が書いた乙案は、天皇制護持の他に、占領不可、軍の武装解除不可、戦犯指定不可の三つの不可条件を付け加えた徹底抗戦玉砕論であった。
東郷外相と元老の平沼枢密院議長と、日独伊三国同盟反対論者だった米内海相が甲案を支持すると、阿南陸相、梅津、豊田陸海両総長は乙案支持。阿南陸相は「敵の本土上陸作戦をとらえ痛撃を与えてから好条件で和平したいと存ずる」と所信を述べた。
さて甲案賛成3名、乙案賛成3名で、議して決せざるとき、鈴木貫太郎首相(海軍大将)は天皇の裁下を求めた。そして天皇は甲案を採った。
思えば、開戦の詔勅を求められた際も、すでに決定された上奏を裁下するということで、天皇の意志による判定の逆転は決してあり得ないし、天皇の意志表示を以て事が左右されるような事はなかった。
しかし、ここにきて遂に国家首脳が雁首を揃えて天皇の判断に全てを委ねると言う未曽有の事態に立ち至った。

思えば、天皇ほどに近来これ程重い判断を求められた人間が一体何人居たことか。
二つの原子爆弾とソ連参戦というダメ押しがあったとはいえ、甲案を取れば、軍による反乱・クーデターの可能性もあり、事実玉音放送の録音盤を巡ってその動きがあった。
そして、以後43年、その判断が正しかったかどうかの十字架を背負って過ごされた天皇の心中がどれほどのものであったのか、今更ながら、近頃の国家指導者の情けない体たらくを見るにつけ、思われてならない。



かくして8月15日正午天皇の降伏受諾は放送された。

拍手[0回]

 快晴強風風下の中、前半わずか1点で、前週京大が近畿に4-0おで勝利していることから、バランス悪い印象があったが、後半土肥監督のシステム手直しが効を奏して結果、10-0の大勝となった。
会場本学入り口、神戸商大の名残を発見。
CIMG2928A.jpg














CIMG2934A.jpg









試合終わり。今期から胸番号表示となってアシックスでユニホーム新調。
CIMG3579A.jpg















CIMG3584A.jpg














CIMG3587A.jpg
















静かなるファイター 兼折主将。頼んだぜ。


拍手[0回]

最近つくづく昭和天皇の偉大さを感じる。
八月九日、深夜十一時五十分から皇居の地下十メートルの深さに掘られた防空壕の中で、最後の御前会議が開かれていた。
天皇は金屏風を背にして一段高い玉座。大元帥の制服。天皇の玉座の前にコの字型にテーブルが置かれ 、天皇側から見下ろして左側に鈴木貫太郎首相、阿南惟幾陸相、梅津美治郎陸軍参謀総長が座った。右側には平沼騏一郎枢密院議長、米内光政海相、東郷茂徳外相、豊田海軍軍司令部総長が連なり、陪席したのは迫水久常内閣書記官長、池田内閣総合計画局長、吉積陸軍軍務局長、保科海軍軍務局長らでテーブルの上には、東郷外相が書いた甲案と、阿南陸相が書いた乙案の二つの書類が載せられていた。
東ドイツの古都ポツダムで、戦勝連合国が発表した無条件降伏宣言の中には「天皇の地位」は空白にされていた。ポツダム宣言発表後二週間の空白期間を経過し、その間、広島と長崎に二個の原子爆弾が投下され、ソ連軍の参戦という恐怖的な大付録が付くまで、政府と軍部が宣言受諾を戸惑ったのは、ポツダム宣言内に「天皇の地位」が空白化されたためであった。宮中地下壕、最後の御前会議の席でも、最後の最後まで揉めに揉めたのはこの一点であった。

拍手[0回]

 馬鹿なもので、一気に読破した覚えのある大森実先輩の『エンピツ一本3巻』の最初の所を読み返したが殆ど忘れてしまっていて、おまけに面白い話がぎっしりで、ついつい読み進んでしまった。
観るたびに胸に迫るあの神宮外苑での学徒動員に始まる大学生繰り上げ卒業で徴兵された神戸高商同期生の内、ダイエーの中内氏と大森氏は早行きで、早速の徴兵を免れたとか。
このため、大森氏は日本窒素に就職するわけだが、ダイエー中内氏はたしかビルマ戦線へ送られた筈だ。
ジャングルの悲惨を通り越した状況の中で、国民誰もが夕飯にすき焼きを囲めることを夢みて、復員後ダイエーを創業したはずだ。
もっとも、大森氏は故郷・岡山・和気での徴兵検査でたまたまレントゲンに肺の陰が写り、乙種合格となっていた。

その中の敗戦前夜のエピソードとして、竹槍と剃刀の話があった。
一億玉砕・鬼畜米英のスローガンはまだ記憶にあって、ついに男子は竹槍で米兵に立ち向かう。
一方、女子は上陸して来た敵兵を色気で誘い、敵のナニを剃刀でちょん切ってしまおうと言う、今考えれば噴飯ものの作戦も真剣に検討されたそうだ。
悲しいことに、当時この捨て身作戦に該当する婦女子は日本全国に3000万人で、なんとか用意出来る剃刀が1000万であったことから、作戦は見送られた。なんじゃこれは。

ついでに書くと、よく知られているスローガンには必ず続きがあって、たとえばいろは丸補償交渉に際して龍馬さんが長崎丸山界隈に流行らせた唄の文句である『金を取らずに国を獲る』の続きは『国を取ったらミカン食う』
だったとか。よほど紀州のミカンは天下に美味と知られていたんだ。


拍手[0回]

[33]  [34]  [35]  [36]  [37]  [38]  [39]  [40]  [41]  [42]  [43
カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
[01/30 つのしん]
[01/30 さくら]
[01/30 さくら]
[10/06 かめいち]
[10/03 庫山堂]
最新TB
プロフィール
HN:
つのしん
性別:
男性
職業:
企業向不動産仲介・企業立地
趣味:
ボランティア活動
自己紹介:
ふるさと高知と龍馬をこよなく愛し、元気に活動中。
永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)
バーコード
ブログ内検索
カウンター

Copyright © 『つのしんの独り言』 All Rights Reserved

Template by ゆうじ

忍者ブログ [PR]