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 4月18日1時からの龍馬甲子園大賞選考会と龍馬講演会会場となるよみうり神戸ホールを下見する。
2月26日の土陽会理事会で講演会案が了承されましたので、やつと大賞選考会開催を決意した。
6日現在も募集半ばの感じで、よほど中止の御断りをしようかと悩んでおりました。
しかし、せっかく頂いた、皆様の熱い思いを私の一存で無駄にして良いわけが無い事に気がつきました。
15日の締め切りまでの奇跡を信じて、開催に踏み切り、一日で神戸の5大新聞に広報をお願いに回った。
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 ステレオ装置とかが日本で初めてビクターから発売され、まるで神器を扱うようにおし抱いて「さんようステレオコンサート」を何百回と続けたわが身を驚かす椿事が発生。
朝一某神戸元町のマンションデベにプレゼンを終えて、近所のI君を呼び出す。
これから、神戸の新聞総局5社を回るまえの一服。4月18日の龍馬レター大賞選考会と龍馬講演会の広報をお願いしてのこと。
仕事の打ち合わせも大切なことは勿論。別れ際に、JAZZの良い店を案内しますということで、元町通り海文堂前の角を右折。最初の左角にJUST IN TIMEとの看板が有る。
お店の名前は前から知っていて、土日ライブがある。
今日は金曜のお昼、まあ一度覗いて見ることにして、ドアを開ける。コーヒーだけでも良いですかと断って店内に。
そのまえに気になっていたのが、看板にあるJBLの文字。
オーディオ・再生装置はタンノイのジブランのと凝りに凝っていた頃を思い出す。
もしかして、JBLの名機を使っているのかなとの予感。
店内正面を見てビックリ、あの幻の名機PARAGONが鎭座まします。
JBL社が1957年に開発した最初の3ウエー機で、製造台数は1100台未満という希少スピーカーだ。
思わず、真正面の席に腰を下ろし、しばしその威容に見とれる。アンプはと見ると、確り真空管が聳えている。
最初はエラ、そしてマイルスのMY  FUNNY VALENTINE とリクエスト。
ママさんが嫌がらず、付き合って下さる。カウンター右端はどうやらマスターの道楽コーナーになっているらしい。雑多なCDと資料が積み上がっている。そんな様子を見ながら耳は完全にパラゴンにくぎ付けだ。
なんという臨場感だ、音の深みだ。これだけで十分。2ヶ月に一回は東京から通ってくるお客様がいらっしゃるとか、気持は十分分かります。
コーヒーのお代りをお願いしての一時間余り、至福のパラゴン独り占めを堪能した。
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 4日2時10分ころには、ジャパンFMネットワークのFLOWERSという番組での生電話出演の為、固定電話の前で待機するようにとのメールがあった。
言われたとおり、8階事務所の電話の前でじっと電話を待つ。
一方、弘子ちゃんはまず東京の3人息子たちに親父がFMにでるからとメールを入れたらしい。
おまけに、この番組を聞くために、コーナンへ走ってFMラジオを買って来たとか。大げさな。
確かに、本番5分前に前触れ電話が入って、そのまま電話を切らずにお待ち下さいとのことだ。
手許に、FMラジオはないし、パーソナリティが今何を喋っているのかサッパリ判らない。
まだ龍馬検定の時、ラジオ関西のスタジオに2度程呼ばれた際の方が、番組が目に見えた。
突然、電話が切り替わって、DJの呼びかけが聞こえてきた。
どちらにおられますか・神戸です・お天気は・曇っていますとの挨拶から始まった。
結局は、龍馬と神戸の関係を説明しながら、是非手紙をと呼びかける。DJが一番食いついて来たのが、頂いた手紙には必ず龍馬返書が届きますアピールした時だった。へー龍馬さんからの返事が来るんですか。天国で書いてくれるのかしら等と念を押す。
あっという間の10分が過ぎて、電話終了。何のこっちゃと呟きながらも少々疲れた。
しばらくたって、弘子ちゃんがやってきて、KISS-FMKOBEではその番組の放送はなかったよ。息子たちもFMーTOKYOでも、その番組はなかったと言ってきたらしい。
どうやら、このFLOWERSは主要都市以外の地方局23局ネットであったらしい。
確かにKOBEと書いてあるが、時間帯が異なる場合がありますとも書いてある。
何はともあれ、ディレクター山川さんに同録を送ってねとお願いした。
以上が、FM生電話出演のドタバタの一部始終です。
kobenavy_banner2.jpg早速徳島・伊勢哲也さんからTシャツあるよとのメールありました。
ちょいと、龍馬さんが馬すぎる感じ。
































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 岡内は24日早朝、渡辺を訪ねたのではないか。
渡辺家は家格御馬回りで、禄高三百五十石、弥久馬は少年時代から文武に励み、吉田東洋に登用され、十三代藩主豊煕の御側物頭、近習目付、操練教授などを経て仕置役(参政)に進んだ。文政五年(1822)生まれで、この年四十六歳であった。後、斎藤利行と改名し維新政府に出仕、元老院議官になり明治十四年(1881)、六十歳で死去した。
岡内は渡辺弥久馬に会って「種々今般の事情、また薩長一致協力、大いになさんとする大勢を御内話し仕り」龍馬入国とライフル持ち込みの経緯を詳しく話した。
岡内は次いで大目付(大監察)本山只一郎(茂仁)の屋敷へ向かった。本山もまた上士勤皇派の同志であった。
本山このとき42才。容堂の側小姓、幡多安芸郡奉行、藩主豊範の御側物頭などを務め、前年から大目付に進んでいた。
龍馬が容堂と豊煕の側近にいて勤王派の実力者である渡辺と本山を目標に定めたのは、佐々木の示唆もあったであろうが、さすがに的確な判断であった。
岡内の話を聞いて「御両所大いに奮発、御聞き取り、御決心に相成り」、龍馬と秘密に会見する事を約束した。
会談の日時は翌二十五日暮六ッ(午後6時)、場所は松ヶ鼻の某茶店と決めた。

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 神戸高知県人土陽会名誉会長公文康先生は、神戸の小児科医療を指導される立場で活躍されています。
神戸市小児科医会会長として市内130余の小児科医を纏め、今年の冬には、神戸市東部都心(HAT神戸)に夜間・休日対応の「小児初期救急医療拠点」病院を神戸市・神戸市医師会・神戸大学医学部の協働により設置されます。
そこで、来院する子供たちを勇気づける何か良い案がないかとなって、浮上したのがアンパンマンのレリーフとか遊具等を土陽会80周年記念事業として取り上げてはどうかとなった。
それには土佐の漫画家、やなせたかし氏主宰のアンパンマンミュージアム(香美市香北町・やなせたかし記念館内)と交渉して、この趣意に賛同頂き、著作権使用の許諾を頂く必要があります。
またまた、この件を理事会で申し付かり早速県大阪事務所・土居さんに問い合わせる。
県では新年度にまんが課が新設されるが、まだその職掌も詳しくはきまっていないので、直接アンパンマンミュージアムに相談されてはとのアドバイス。早速電話をいれるが本日は休館でご連絡は明日以降にお願いしますとのアナウンスを聞いて、思わず佇んでおります。

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