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CIMG0005.JPG 兵庫県出石町から尾崎俊雄翁さまから、淡水サッカーのOBとして何がしかの寄付をしたいので振替用紙を送られたたしとのハガキが届いた。
高商9回生、九水会と書かれてあった。高商9回と云えば昭和15年卒業で、まさに太平洋戦争前夜、騒然たる世情のなか、神戸大学に進まれて、かの学徒出陣された年代にあたります。
御年90歳。
現役から会長へ、そして会計遊上君がその対応を任された。
まさか、振替用紙をただ送りつけることなど以ての外。ひたすら御好意を頂きに参上のうえ、昔の高商サッカーの思い出を語っていただければ、我々にとってこれ以上のプレゼントは有りません。
ということで、早速連絡を取って出石の街に遊上君が2月6日(土)尾嶋先輩宅を訪問してくれました。
今日届いた封書には、その訪問時の様子が克明に列記されていて、今回のお申し出にいたった経緯。
特に5年程前の夏の合宿が但馬であると知り、よほどその場に駆けつけたかったが、体調優れずタイミングを逃したこと。現役時代のポジションの話から、今のサッカーとの戦術の違い(がちがちのWMフォーメイションの時代)。あの暗い時代に黙々とサッカーがやりたくとも出来ず、無理やり戦地に駆り出されていった級友たちのこと。そして今のこのよき時代にサッカーが出来ることの喜びを噛みしめてほしいとの提言が書き連ねてあります。(・・・淡水の諸君はHPで詳しく報告します。)
一読しての感想は、90歳になられた今も、神戸一中・神戸高商・神戸大学と続けられたサッカー生活の中でも神戸高商のサッカーを懐かしまれる気持ちの熱さに、おもわず込み上げるものを禁じ得ませんでした。
さて、我々がその年までこの情念を持ち続けられるかと聞かれれば、とてもとてもと返事するしかありません。
よくぞ、今回お話を伺えるチャンスを下さった。ただそのことだけでも千金の値。感謝感謝。

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 今日浦臼小学校教頭先生から電話をいただいた。
「龍馬甲子園実行事務局の津野さんですか。あなたが出した浦臼小学校あての手紙応募いらいの封書が、宛名間違いで羅臼小学校に届いてしまい、内容からして浦臼小学校に違いないとなって、態々当校に転送されてきましたよ。」
瞬間顔から火が出る思い。済みません誠に済みませんと叫びながら、しかし確り手紙応募を改めて依頼しておりました。
親切に浦臼小に転送して下さった羅臼小の先生、また以後は間違えないでと声を掛けて下すった教頭先生。
本当にありがとうございます。
この親切な心配りは龍馬さんの名前が有ってこその御好意に違いありません。
どうやら、龍馬さんの大きな手の平で、もっともっと踊りまくれとの激励にも聞こえてきます。

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 日経新聞検証小沢マネー捜査(下)によると、赤坂、盛岡、仙台、・・・と1994年―2007年に陸山会が購入した不動産は計12件、総額10屋2千万円に上るそうだ。
よほど不動産が御好きなようで、購入した物件が全て政治活動の拠点あるいは秘書の寮として使われているわけではなさそうだ。
ところで、買ったお金がどうあろうと、買った物件が使われてなくて放置してあろうと、世の中にはもっと不思議な不動産の持ち方をしている向きはいくらでもあって、別に不思議に思わないんだが、その所有の形態が合点がいかない。
買った不動産は陸山会の金で買ったはずが、名義はすべて小沢氏個人だ。
言いわけに、陸山会は法人格がないただの政治団体なので不動産は所有できないので、小沢名義になっているが小澤氏には所有権の権利がないことを示す確認書を交わしているとの説明だ。
とりあえずは、小沢と小澤がどう違うのかがよく判らない。
この確認書にはなんら法的効力は無いと当の小沢氏が云っているように、名義が小沢である以上、今後相続などが有れば、小沢氏の親族名義に必ずなってしまいます。
これに異議・疑問を以て正す声が聞こえてこない。 なんと陸山会から個人への資金移動がいとも簡単に、無税でされてしまう。 丸8年も経てば、時効によりなんのお咎めもありません。
この様なことは、賤しくも一国を代表する政治家のすることではありません。即刻、個人名義を認め、陸山会から小沢への贈与とし、しかるべき贈与税を払い追徴にも応じ、さらに政治資金法に抵触しているのであれば立件逮捕も受け入れて貰わなくてはならないのは言うを待たない。
厳正な法の元、粛々と遵法を心がけて日々の社会活動を積み上げている我々に、これほどそのアホらしさを実感させるものはありません。これを許せばきっと国が乱れる。いや、もう乱れ始めている。

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 龍馬ブームもここまで来たかと感服。お堅いことで知られる日本銀行。その高知支店のホームページに「坂本龍馬とおかね」と題しての一コーナーが設けられているのを発見した。
息子の同級生が日銀勤めで、大変なエリートなんだけれど、日常どんな業務をしているのか尋ねたところ、まだ就職して間もないころだったが、市場調査といって、一般小売店での物の値段を調べて回るのが仕事ですとの返事。毎日市場に出向き豆腐の値段から調べているそうだ。
誠に御苦労なことで、仕事に格別不満・疑問を抱いている様子もなかった。
無事勤めあげさえすれば、順調安穏な人生を過ごせること間違いありません。
そんな、一般にはどんな仕事をしているのか判らない日銀が、くだけたHPのコーナーを設けているとは、誠に意外。それも高知支店限定らしくて、是非とも、このHPを覗いてやって欲しいものです。( www3.boj.or.jp/kochi/)

日銀試算によると、龍馬さんが脱藩に際し田中良助から拝借した御金は2両で今の価値は 40万円也。
 勝海舟の命により、海軍塾開設の一部資金として松平春嶽さんから調達した五〇〇〇両は 11億円。    
薩長連盟のきっかけとなった龍馬・近藤長次郎が斡旋した長州の武器購入額は 169億円。
 いろは丸の賠償金83,526両(のちに7万両に減額)は 164億円。
 最後の帰郷時土佐藩に持ち込んだ1000丁のライフル代は 37億円 となるそうです。

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 先にも述べた龍馬の頼もしい協力者であった岡内俊太郎の書簡によると『浦戸湾に着し、藩論の成り行き聞き合わせ見候ところ、いよいよニ派に分かれ、双方ともなかなか激烈にて、かへって私ども御国元出の時より烈しく、同志の方々もなかなか墳発いたし居り、また俗論も撓まず候有様にて・・・』
こうゆう状況だったので龍馬たちを「旅人となして種崎浦に隠し置き、それより種々龍馬らと謀議」した。
岡内の手紙から判断すると、彼は高知城下へ船で入り、情報を集めた後、また種崎の龍馬のところへ取って返したものと思われる。岡内は下横目とは云え、大目付佐々木三四郎の随員に取りたてられ、表向き「長崎景況」報告のため帰国したのであるから、城下への出入りは自由だったであろうと思われる。龍馬は岡内の才能を充分に発揮させている。
しかし、渡辺弥久馬と龍馬を会談させ、ライフル銃引き取りの交渉をするという要務を帯びていたから、行動は慎重でなければならなかった。彼は単なる下横目ではなく、現在で云う公安、治安情報の収集に優れた才能を持っていたようである。震天丸の船内が、中城家かで龍馬たちは謀議をした結果、木戸準一郎(孝允)から龍馬へ来た手紙と、龍馬が渡辺弥久馬に宛てて書いた手紙を「一対となし」、岡内が渡辺に届けに行くことに決めた。
(山田一郎・・・)

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