書きますよ~皆さんついてきてくださいね!
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街の入江商店という名のお店はたぶん日本に掃いて捨てるほどあるんじゃないかな。西明石の入江商店は氷屋さんだ。
しかしここで言う株式会社入江商店は私がサッカー2部転落を逃れるべく練習に励んだばかりに、肝心の就職活動を疎かにして、時あたかも昭和40-41年不況のさなか、やっと巡り合って内定を貰った会社だ。
平成15年7月31日自己破産負債総額327億との文字が紙上に踊る。
同期入社は3人で、私を除く2人はまだ辞めずにいて両者とも常務になっていた。
奴らが常務なら当然私がおれば社長となっていたところだ。
この時の社長は長年経理担当の方で、2代目社長に代わって幕引き役を引き受けたんだろうと思っていた。
悪いとは聞いていたが、私にとっては突然死のごとく感じられて様子をうかがうべく大西常務に電話をいれた。
大西常務曰く、我々もあまりに急なことで驚きを通り越していると繰り返すばかり。
まだ何も手がつかないようすだ。なにしろ月末の資金手当てはメインのりそなBKがOKを出していたとかで、
本店決栽でアウトになって、そのまま突然死とか。
しかしそれまで再三財務改善を勧告されていたらしく、ぎゃくにこれぐらい大きな借金があればBKもよもや潰しはしなかろうと高をくくっていたんじゃないのかな。
売上の最高で650億とか言っていた入江商店が何故自己破産に至ったか。
それは過剰な自己接待と、専務・常務あたりのイケイケ精神が災いして、新事業とやらを立ち上げては、失敗して借金の山を築いたことが主な原因だ。先日やっとお会いした元副社長も8億ほど損害をかけたかなとうそぶく。
それでもオーナー社長でもっていたところ、ボンボン育ちの2代目社長となって一気に社風も変わってしまい、
大局を見据える人物がいなかったということ。
その後、入江商店は大銑産業にそっくり引き取られて、一時はどうなることかと心配した若手連中もほぼ元どうりの元気をとりもどしているとのことだ。
だって、入江が新日鉄に持っていた商権は凄いもんだった。大銑産業さんは棚から牡丹餅だったんではないかな。
もう少し知恵があれば、負債を切り離して再建を探る方法もあったろうに。私に一言声をかけてくれても良かったのに。
しかしここで言う株式会社入江商店は私がサッカー2部転落を逃れるべく練習に励んだばかりに、肝心の就職活動を疎かにして、時あたかも昭和40-41年不況のさなか、やっと巡り合って内定を貰った会社だ。
平成15年7月31日自己破産負債総額327億との文字が紙上に踊る。
同期入社は3人で、私を除く2人はまだ辞めずにいて両者とも常務になっていた。
奴らが常務なら当然私がおれば社長となっていたところだ。
この時の社長は長年経理担当の方で、2代目社長に代わって幕引き役を引き受けたんだろうと思っていた。
悪いとは聞いていたが、私にとっては突然死のごとく感じられて様子をうかがうべく大西常務に電話をいれた。
大西常務曰く、我々もあまりに急なことで驚きを通り越していると繰り返すばかり。
まだ何も手がつかないようすだ。なにしろ月末の資金手当てはメインのりそなBKがOKを出していたとかで、
本店決栽でアウトになって、そのまま突然死とか。
しかしそれまで再三財務改善を勧告されていたらしく、ぎゃくにこれぐらい大きな借金があればBKもよもや潰しはしなかろうと高をくくっていたんじゃないのかな。
売上の最高で650億とか言っていた入江商店が何故自己破産に至ったか。
それは過剰な自己接待と、専務・常務あたりのイケイケ精神が災いして、新事業とやらを立ち上げては、失敗して借金の山を築いたことが主な原因だ。先日やっとお会いした元副社長も8億ほど損害をかけたかなとうそぶく。
それでもオーナー社長でもっていたところ、ボンボン育ちの2代目社長となって一気に社風も変わってしまい、
大局を見据える人物がいなかったということ。
その後、入江商店は大銑産業にそっくり引き取られて、一時はどうなることかと心配した若手連中もほぼ元どうりの元気をとりもどしているとのことだ。
だって、入江が新日鉄に持っていた商権は凄いもんだった。大銑産業さんは棚から牡丹餅だったんではないかな。
もう少し知恵があれば、負債を切り離して再建を探る方法もあったろうに。私に一言声をかけてくれても良かったのに。
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広島といえば弘子ちゃんの爺さんが江田島の地続き能美島で海運業を営んでいた関係で、原爆投下直後、市内太田川河口に仕事で出かけていた伯父さんの安否を気遣って捜索に行ったとか。その為被曝し、激しい症状までには至らなかったが、60歳にして胃がんを患って亡くなった。
その広島でこの60年、市内120ヶ所はある原爆慰霊碑を一日3-4ヶ所巡っては献水を続けている伊根利枝さん(90)のことを報じていた。
その水もわざわざ教順寺という広島市内を眺められるお寺の滝の観音から汲みとっての献水であるという。
このことは『夏の花びら』という本にまとめられているとか。
被爆した人々が最後に求めたのが一杯の水だった。彼女はその時、その求めを叶えてあげることが出来なかったことを悔いての60年だ。
たまたま幸運にも命拾いをした人でさえ、ここまで心の重荷を背負わせた原爆。
このあと、長崎の原爆と続いたにも拘わらず、日本の戦争指導者、特に陸海軍部は国体護持の確証あるまではポツダム宣言の受け入れを峻巡した。
この時とばかりに、広島・長崎でそれぞれ違うタイプの原爆を実験投下した米国も米国なら、御前会議でのポツダム宣言受諾の是非を問われて、10人中5-6人が反対・時期早尚を唱えた。ただ一人、切腹してけじめをつけた阿南陸軍大臣のみが、最期まで反対に回ったと知らされていたのとは違った真実があったのだ。
日本人の優柔不断もここまでくると殆ど病気だ。そしてこの傾向は雲上人のみならず、我々市井の民に至るまで持ち合わせている。・・・一体このザマはどこから由来しているのか。戦国武将があれほどの気概を持っていたことは確かで、何時の頃から日本人はかくも柔くなってしまったんだろう。
その広島でこの60年、市内120ヶ所はある原爆慰霊碑を一日3-4ヶ所巡っては献水を続けている伊根利枝さん(90)のことを報じていた。
その水もわざわざ教順寺という広島市内を眺められるお寺の滝の観音から汲みとっての献水であるという。
このことは『夏の花びら』という本にまとめられているとか。
被爆した人々が最後に求めたのが一杯の水だった。彼女はその時、その求めを叶えてあげることが出来なかったことを悔いての60年だ。
たまたま幸運にも命拾いをした人でさえ、ここまで心の重荷を背負わせた原爆。
このあと、長崎の原爆と続いたにも拘わらず、日本の戦争指導者、特に陸海軍部は国体護持の確証あるまではポツダム宣言の受け入れを峻巡した。
この時とばかりに、広島・長崎でそれぞれ違うタイプの原爆を実験投下した米国も米国なら、御前会議でのポツダム宣言受諾の是非を問われて、10人中5-6人が反対・時期早尚を唱えた。ただ一人、切腹してけじめをつけた阿南陸軍大臣のみが、最期まで反対に回ったと知らされていたのとは違った真実があったのだ。
日本人の優柔不断もここまでくると殆ど病気だ。そしてこの傾向は雲上人のみならず、我々市井の民に至るまで持ち合わせている。・・・一体このザマはどこから由来しているのか。戦国武将があれほどの気概を持っていたことは確かで、何時の頃から日本人はかくも柔くなってしまったんだろう。
今年もまた終戦記念日(敗戦記念日とは言わない)が近づくにつれてNHKが毎年の恒例といったように『兵士の証言』シリーズを放映する。
そして私はその番組をせっせと録画。けれど、今はこの番組を見ようとは思わない。否、思えない。正視出来ない。
『坂の上の雲』等であれほど日清日露の戦争を書いた司馬遼太郎氏が、なぜ昭和の戦争を書かないのかと聞かれて、『私には昭和の戦争は到底書けない。これほど酷く馬鹿馬鹿しい戦争はなかった。そして意味もなく命を散らした人々のことが、あなた書けますか。』と。
私も少年時代、『丸』とかいう戦記雑誌を愛読して、坂井三郎の撃墜王とか紫電改が如何に素晴らしかったとか、人間ロケット桜花、4発爆撃機開山それから仁科博士の原爆開発等、血湧き肉踊らした頃もあったけれど、年を食ってこの大戦の真実を知るにつれて、よくもここまで幼稚で浅はかな決戦に踏み切ったのか訳が分からなくなってからは、何故なんだという究明することさえも力が萎えて出来なくなっている。
ちらっと見た番組でかのインパール作戦に臨んで日本軍兵士が待たされたのはたった一週間分の弾薬と食糧だったという証言を聞いた。ほんとかよー。陸大恩賜の時計組の秀才参謀がいくら馬鹿だといってもこれはないだろう。本土決戦に用意された武器のほとんどが竹やり、斧、鎌だったって。
この時代の陸海軍が陥った神国日本主義への一本道まっしぐらの事情を、堺屋太一が著書『時代末』で明解に謎解きしてくれている。
流行作家のように現代を読み解く堺屋本も10年後に読んでみると以外に的を射ている。
とくに、昭和の日本、それも軍部が陥った錯覚と妄想については、実に納得の解説を書いておられる。
そして私はその番組をせっせと録画。けれど、今はこの番組を見ようとは思わない。否、思えない。正視出来ない。
『坂の上の雲』等であれほど日清日露の戦争を書いた司馬遼太郎氏が、なぜ昭和の戦争を書かないのかと聞かれて、『私には昭和の戦争は到底書けない。これほど酷く馬鹿馬鹿しい戦争はなかった。そして意味もなく命を散らした人々のことが、あなた書けますか。』と。
私も少年時代、『丸』とかいう戦記雑誌を愛読して、坂井三郎の撃墜王とか紫電改が如何に素晴らしかったとか、人間ロケット桜花、4発爆撃機開山それから仁科博士の原爆開発等、血湧き肉踊らした頃もあったけれど、年を食ってこの大戦の真実を知るにつれて、よくもここまで幼稚で浅はかな決戦に踏み切ったのか訳が分からなくなってからは、何故なんだという究明することさえも力が萎えて出来なくなっている。
ちらっと見た番組でかのインパール作戦に臨んで日本軍兵士が待たされたのはたった一週間分の弾薬と食糧だったという証言を聞いた。ほんとかよー。陸大恩賜の時計組の秀才参謀がいくら馬鹿だといってもこれはないだろう。本土決戦に用意された武器のほとんどが竹やり、斧、鎌だったって。
この時代の陸海軍が陥った神国日本主義への一本道まっしぐらの事情を、堺屋太一が著書『時代末』で明解に謎解きしてくれている。
流行作家のように現代を読み解く堺屋本も10年後に読んでみると以外に的を射ている。
とくに、昭和の日本、それも軍部が陥った錯覚と妄想については、実に納得の解説を書いておられる。
今日のニュースステーション。広島の原爆投下について衝劇的な事実を発掘して見せた。
あの日、広島になぜ警戒警報が鳴らなかったのか。爆心地の小学校でただ一人生き残った生徒は、朝令前、
国民服のボタンが取れかかっているのに気がついて、友達にボタンをつけてくるといって防空壕に降りて行った。
ボタンをつけ直しているとき、あの閃光を感じて、慌てて地上に出てみると、1800人いた人々すべての姿が無かった。
せめて、あの時警戒警報が鳴り、皆が防空壕に避難出来ていたら、ほとんどの人が、私のように生き残ったに違いないと77歳の老人は回想・慟哭した。
原爆投下機で有名なB29・エノラゲイの航空兵・ナビゲーターが生存していて、エノラ・ゲイ他3機は真っ直ぐ広島を狙い、投下後まっすぐ帰投したと証言する。詳細な飛行記録のコピーを示しながら。
けれど、投下前30分の記録が空白となっていた。またその兵曰く『真実は絶対に分らない』と。
そして当時防空監視に当たっていた監視員の報告では、原爆投下の30分前、B29・3機編隊の広島上空新入を認め警戒していた所、上空で3回旋回した後、岡山・播磨灘方面に姿を消したとの事実があった。
その後、岡山図書館に残されていた防空日誌には、その日B29・3機編隊が8時前、岡山の上空に現れて、すぐさま広島方面に機首を巡らしたとの報告が記されていたという。
ここに世界で唯一原爆を使った米国のあまりにも非情な計算が読み取れる。
米軍は原爆の特性を最大限に発揮させ、ただただ罪なき市民を最大殺傷するため、人々が警戒することもなく地上に姿を表しているその瞬間に原爆投下すべく、あってはならないフェイントを仕掛けたんだ。
いくら合理主義の国とは言え、この所業はナチス・ドイツのユダヤ人抹殺計画の冷酷さ、人類への罪深さとなにほど変わるところが有るのだろうか。
酷いことをしやがる。65年経ってやっとオバマ大統領が『世界で唯一原子爆弾を投下した国』と発言した。
1983年11月、冷戦の真っ最中、ヨーロッパで行われたエイブル・アーチャー作戦というソ連へのミサイル発射を含む演習のさなか、事実誤認したソ連の書記長ゴルジエフスキーは報復のためのICBM300基とSS20、75基の発射ボタンを押す寸前まで至っており、まさに第三次世界大戦勃発の危機があったという事件の際、ソ連が一番に気にしたのがかの国米国が唯一世界で原子爆弾を投下した国であるという事実だった。『あの国ならやりかねない、事実広島・長崎があるではないか。』
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ふるさと高知と龍馬をこよなく愛し、元気に活動中。
永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)
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